個人の感想としては、自分自身に対する仏教に関しての勉強がまだまだ足りていないという感じを受けました。
天台智の教えには『法華玄義』『法華文句』
(上記の本って、大手の本屋にも売っていませんでした)
『魔訶止観』『天台小止観』(は現代語訳で以前購入しました)
等があります。
天台大師が目指したものは、「仏陀の本心はどこにあるのか」ということだったのではないでしょうか。
教相判釈されて、『法華経』が、お釈迦さまの教えの中で、一番優れたものであろうという結論を出されました。
天台大師ですから、御自身で比較分析されたうえでの結論だったと思います。
天台大師は、霊的体験をかなり積まれたようです。
魔訶止観も実際に、霊的体験を根拠に書かれているようです。
私達の参考になることとして、教学をしっかりと学んだうえでの、霊的体験であるということです。
その霊的体験が自分を飾るためのものではなく、多くの人達の救済に向いたという点が、偉大であると思います。
実際、国を守れる宗教をたてて、人々の心を平安にしたいといわていましたから、仏教における大切な慈悲の心を体現された方であると思います。
自分に甘く、教学を軽んじる人は、仏法を間違った勝手な解釈をします。
波長同通の法則は、天台智のいう一念三千論に通じる教えであると思います。
この法則があるからこそ、霊の声が聞こえたとしても、理性的判断によって、高級霊の声かどうかを自分自身の心境、現在の悟りから考えて判断します。
しかし、反省することなく自分に甘い考えの人は、見えない世界からの声が聞こえただけで、自分が特別な存在だと慢心し、すぐに自分は神だと誤認します。
回りから見れば、気の毒な存在ではありますが、本人は自分に都合の良い解釈以外にはしませんから、どうにもなりません。
天台大師は、霊的体験をしていたので、霊界について知悉していましたが、地上世界においても積極的な考えを持っていたと思います。
それが三諦円融という教えとして結実したのでしょう。
ヘーゲルの弁証法と比較して、正・反・合と関連付けて説明を試みたこともありますが、人間の本質が霊的存在ということだけでは、地上の意味を見出すことができません。
地上に生まれてくる理由は、霊的世界において経験できないこと、達成できないものが、3次元物質世界にあるからだという肯定を入れることで、魂修行の意味を見出そうとしたのだと思います。
そして、「法灯を絶やさない仕事」と「法の源流の部分をつくる仕事」にわけて考察されています。
法灯を絶やさないとは、仏陀入滅後、年月が経つにつれて教えが形骸化し真実が曇ってきますから、中興の祖がその時代時代に、教えを再構築して次の時代につなげていきます。
法の源流部分をつくる仕事は、過去の教えをふまえながらもそれにこだわらずに、どこまでも高みをつくっていくことが大切であるといわれていたと思います。
高みをつくるほど裾野もひろがっていくということでしょう。
幸福の科学は、キリスト教、儒教、イスラム教、等すべての思想をまとめ上げようとしていますので、あまり、仏教だけにこだわらない方がよいとも言われています。
ですから、私たち自身もどこまでも高みを求めていく姿勢がなければ、自分自身を変えようとする意志がなければ、ついていくことが難しいのではないかという感じを受けます。
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