2016年08月20日

天台大師智の新霊言を読んで

天台大師智の新霊言を読んで


個人の感想としては、自分自身に対する仏教に関しての勉強がまだまだ足りていないという感じを受けました。
天台智の教えには『法華玄義』『法華文句』
(上記の本って、大手の本屋にも売っていませんでした)
『魔訶止観』『天台小止観』(は現代語訳で以前購入しました)
等があります。

天台大師が目指したものは、「仏陀の本心はどこにあるのか」ということだったのではないでしょうか。

教相判釈されて、『法華経』が、お釈迦さまの教えの中で、一番優れたものであろうという結論を出されました。
天台大師ですから、御自身で比較分析されたうえでの結論だったと思います。

天台大師は、霊的体験をかなり積まれたようです。
魔訶止観も実際に、霊的体験を根拠に書かれているようです。

私達の参考になることとして、教学をしっかりと学んだうえでの、霊的体験であるということです。
その霊的体験が自分を飾るためのものではなく、多くの人達の救済に向いたという点が、偉大であると思います。

実際、国を守れる宗教をたてて、人々の心を平安にしたいといわていましたから、仏教における大切な慈悲の心を体現された方であると思います。

自分に甘く、教学を軽んじる人は、仏法を間違った勝手な解釈をします。
波長同通の法則は、天台智のいう一念三千論に通じる教えであると思います。
この法則があるからこそ、霊の声が聞こえたとしても、理性的判断によって、高級霊の声かどうかを自分自身の心境、現在の悟りから考えて判断します。

しかし、反省することなく自分に甘い考えの人は、見えない世界からの声が聞こえただけで、自分が特別な存在だと慢心し、すぐに自分は神だと誤認します。
回りから見れば、気の毒な存在ではありますが、本人は自分に都合の良い解釈以外にはしませんから、どうにもなりません。

天台大師は、霊的体験をしていたので、霊界について知悉していましたが、地上世界においても積極的な考えを持っていたと思います。

それが三諦円融という教えとして結実したのでしょう。

ヘーゲルの弁証法と比較して、正・反・合と関連付けて説明を試みたこともありますが、人間の本質が霊的存在ということだけでは、地上の意味を見出すことができません。

地上に生まれてくる理由は、霊的世界において経験できないこと、達成できないものが、3次元物質世界にあるからだという肯定を入れることで、魂修行の意味を見出そうとしたのだと思います。


そして、「法灯を絶やさない仕事」と「法の源流の部分をつくる仕事」にわけて考察されています。

法灯を絶やさないとは、仏陀入滅後、年月が経つにつれて教えが形骸化し真実が曇ってきますから、中興の祖がその時代時代に、教えを再構築して次の時代につなげていきます。

法の源流部分をつくる仕事は、過去の教えをふまえながらもそれにこだわらずに、どこまでも高みをつくっていくことが大切であるといわれていたと思います。

高みをつくるほど裾野もひろがっていくということでしょう。
幸福の科学は、キリスト教、儒教、イスラム教、等すべての思想をまとめ上げようとしていますので、あまり、仏教だけにこだわらない方がよいとも言われています。

ですから、私たち自身もどこまでも高みを求めていく姿勢がなければ、自分自身を変えようとする意志がなければ、ついていくことが難しいのではないかという感じを受けます。





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posted by ガンちゃん at 11:11 | Comment(0) | 総裁先生の本を読んだ感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

仏教の旗印・三宝印と変化

仏教の旗印・三宝印と変化


仏教的世界観を考えるとき、私はどうしてもギリシャのヘラクレイトスが思い浮かびます。

ヘラクレイトス 前535頃〜475頃 ギリシャの哲学者
「なにものも有ることなく常に成るのみ、万物は流転する、万物は流れて止まらず」。
「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説きました。
プラトンはヘラクレイトスの複雑な思想のなかから、その核心をなすものとして「万物流転」を取り上げました。
プラトンによれば、ヘラクレイトスは、この世界に存在するすべてのものは、一瞬たりとも静止していることはなく、絶えず生成と消滅を繰り返していると主張しました。
「諸君は同じ河に2度足を踏み入れることはできない。なぜなら新しい河水が、絶え間なく諸君に押し寄せてくるからだ。」
ヘラクレイトスはこのように述べて、この世界に恒常的なものは何もないと主張しています。

プラトンはヘラクレイトスのこの思想を、自分の思想の中に巧妙にとりこんだと言われています。
つまり、感覚し得る世界には永遠なるものは何も存在しないということの証拠として万物流転の思想を利用しながら、他方では感覚を超えた知性的な存在としてのイデアを主張したのであります。

たとえば火についても、それはアリストテレスが要約したような、静的な原理には留まらない。
火は始原的な要素であり、万物がそこから生じた元のものではありますが、それ自身が不変の実体といったものではなく、絶えず燃えながら変化しているものであります。
「火は空気の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」といった具合に、すべてが相互回帰的に循環しながら、流動している。
そこには、戦いのイメージがあります。「戦いがすべてのものに共通して見られ、正義であることをわれわれは知らねばならぬ。」

この戦いのイメージは、戦いを通じての統一のイメージとも結びついています。
「対立物の統一」の思想であります。

戦いにおいて対立物は調和であるところの一つの運動を生み出すべく結合する。「万物から一が生じ、一から万物が生ずる」という言葉は、この絶え間なき運動の過程を象徴したものであると言われています。ヘラクレイトスにとって世界とは、もろもろのものがせめぎあいつつ、その動的なプロセスのなかから調和したものや一なるものが生成されると考えていたのかもしれません。


上記をふまえて、仏教の旗印と言われる三宝印について整理します。

諸行無常
過去の偉人達が言われてきたように、この地上は常に変転変化しながら流れる川のように、次の瞬間すでに同じ状態を維持し続けることはできず、移り変わっています。
常に移り変わりながら縁起の理法によって、すべてが成り立っています。人は変化しないもの固定的で形を変えないものの中に安心感や安定感を求めますが、変化こそ真理であり、この地上は変化を前提に条件づけられて存在しているのではないかと思います。
諸行が無常とは、はかない存在とか冷たいということではなく、「常」なるものがないという意味だと考えます。
時間の流れの中で変化するからこそ、存在が成り立っています。
変化すればこそ未来を変える縁起の理法や、原因結果の法則が成り立つのであり、どのような種を蒔き、育てるかで(条件)個人としての未来や社会、国や世界も変わっていくという考えです。

諸法無我
空の説明と関係してくると思いますが、すべては原因や条件に依存しているので実体がある存在は地上的には、ないと考えます。
また、単一で成り立っているものは存在せず、自性なるものもありません。自らなる性質のものはなく、すべては肉体に基づく感覚器官とその対象との関係で成り立っています。
この地上は仮の存在で、霊的世界こそ実在の世界であり、地上に対する執着をなくすための教えが仏教的な教えの中心的な考え方であると思います。

涅槃寂静
諸行無常と諸法無我の関係で考察すると、この物質世界の中で人間の本質は魂、あるいは霊的な存在であると喝破すること。
常に霊的な視点から自分自身の考え方や行動を観察し人生の誤りを軌道修正する。
その結果、得られる境地なのでしょう。
心が安らぎに満ちた境地だと思います。


仏法は多岐にわたります。
仏の教えとは何なのかをまとめるとするならば、諸行無常・諸法無我で言われているように、過ぎ行くもの、感覚的なものは本質ではなく、目に見ることができない霊的世界こそ実相の世界である。
ですから、地上的なものに執着をしてはいけないということだと思えます。
そして、修行を通して人格を完成し、多くの人を救うという、上求菩提・下化衆生こそが、仏教であると思います。


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posted by ガンちゃん at 14:56 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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