民主主義には二つの流れがあると思います。一つは「結果平等」に流れるスタイルで、国民一人一人が享受できる結果を平等にしたいという考え方です。
もう一つは結果平等ではなく、「機会やチャンスの平等」を重要視する考え方です。
結果平等に強く引かれていきますと共産主義なります。共産主義とは共同で財産を持つという考えですから、生産手段を国家が管理するという考えでしょう。
工場や新聞社、放送局などすべてが国の管理下に置かれることを意味しています。
もう一点をあげるとするならば私有財産の否定ということになります。財産は平等でみんなのものであり個人としては財産を持ってはいけないというものです。
19世紀頃に始まった産業革命よって、世界中に貧民層が生まれてしまいます。それによって、資本主義が進めば進むほど貧富の格差が広がってしまうと思われてしまいました。
そのような時代の流れの中で、私有財産は悪という社会主義思想が正しいと思われてしまいます。
1917年にロシア革命によって世界に初めて社会主義経済、私有財産や相続権を否定する国が誕生したのです。
ロシア革命では、ロマノフ王朝の皇帝一家は一人残らず殺されてしまいます。皇帝の馬まで殺されたというのですから社会主義は恐ろしい思想であると思います。20世紀の文明にあって、国の皇帝が皆殺しにされるということはかつてなかったことです。
一方、機会やチャンスの平等につながる民主主義とは自由主義であります。自由主義とは生まれついての身分や財産、親の職業などに関係なく、すべての人に選択の自由が存在する社会です。
自由主義とは多様なる価値観を求める考え方であり、複数制の中から生じてくると言われています。
古代にギリシャ哲学者たちは民主主義をどのように考えていたかといいますと、民主主義は貧乏人には有利に働いて、お金持ちに対しては、厳しい制度であると考えていたようです。
寡頭制というものがありますが、これは少数支配でお金持ちに対しては有利に働く制度です。
アリストテレスは、少数支配が徳を中心とする制度になると貴族制になると考えていたようです。
しかし、この民主主義にも最大の弱点があると思います。
それは、成功した人、お金持ちの人達に対しての嫉妬心や猜疑心に基づく政治になっていくことです。
成功者に対して嫉妬心を抱くシステムになっていきますと、働かなくても適当な理由で国からお金が支給され、まじめに働けば損をし、働かなければ得をするという方向に向かってしまいます。
民主主義が堕落した形、衆愚制にむかうことになります。
民主義の優れている点、機会やチャンスの平等を保障することで貧乏な家庭からであろうが、大金持ちの家庭であろうが、自助努力によって道を切り開いていく可能性があり、それによって成功すれば社会的にも尊敬される立場に上がっていけるチャンスがあるわけです。
機会やチャンスによって繁栄を享受できることが民主主義の長所とするならば、その反面としての弱点はどこにあるのでしょうか。
それは「理性に基づいた支配」よりも「感情による支配」があるということです。
特に日本人は感情に支配されやすいと言いますか空気によって状況を判断しやすいのではないかという感じをうけます。
民主主義は多数決の原理によって成り立っていますから、政治などは感情によって動きやすいという危険性があります。
その為に少数派の良く勉強をしている理性的な人の意見に対して、まったく耳を傾けようとしないで、感情的に物事を判断しようとする大多数によって政治の方向性が決まってしまいます。
そのように民主主義の弱点を克服していくには、どうしていくべきか。
考えることができる人が、自由の主体であるべきだと「政治哲学の原点」で述べられています。
人間にはいろんなタイプの人がいますので、すべてを一元的な管理下に置こうという考え、全体主義的な考えには無理があります。
多様な価値観や考え方、複数制を認めたうえで、議論をしながら最大多数の幸福を実現する方向性を選択することが、個人及び国家にとって幸福な世界ではないかと考えます。
民主主義が繁栄するための条件は、個人が「考える人、考えることができる人」が前提であり、更に神仏の心を知っていること、あるいは、真理を学ぼうとうする姿勢が大切であると思います。
神仏の光を体現している真実の宗教と政治が融合した時に、国は繁栄し国民は最大の幸福を享受できると考えます。
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