2016年05月15日

言葉を使い分ける 私とは・・・体験談

言葉を使い分ける 私とは・・・体験談

ガンブロの記事は、何を言っているのかよくわからない、本当か嘘かもわからないと思われている方も多いかもしれません。

しかし、実際の私自身はといいますと、真面目な話より冗談を言っている方が多いのです。
真面目さ3割、冗談7割といった比率だと思います。

冗談も意外に、うけたりします。
今年入った新入社員の女性から、すでに何回か笑いを取っています。

ガンブロとはどんな顔しているのかと言えば(どうでもいいやと思われる方は、読み飛ばしてください)、以前、記事で少しふれたことがあるかもしれませんが、眉毛はこく、目はパッチリそしてきれいな二重、まつげは長い(シャーペンの芯を乗せた実験もしたことがある。何本かのります)
顔は小顔です。(自画自賛)
鼻と口は普通でしょうか。
体形は、以前は68キロでしたが、最近カロリーが高い食事を続けたおかげで、70キロを越してしまいました。
(現在、ダイエット中です)
色白です。これらの情報をもとに、どんな奴か勝手に想像してください。


そんな私がどうして、わけわからない記事を書くのかと言いますと、ブログでは、アイコンタクトができません。
また、どんな人が読んでいるのかわからないので、とりあえず、わからないように書いています。(笑)といいますか、文章が下手なだけです。

ですから、記事にはあまりジョークを入れずに書いています。
ブログを始めた当初、冗談で記事を書いたことがあります。

そうしましたらとんでもないことになってしまいました。
題名が確か、「○○宗教の婦人部に逆伝道されそうです」的な感じだったでしょうか。

そうしましたら、たくさんの方から、コメントをただきました。
「恥知らず、早く会員をやめてしまえ」とか、
「心配してくださった方」とか、
レオも本気にしてしまい、連絡をくれました。

私はまったくの冗談で書いたつもりでしたが、皆さまは本気にしてしまい、早く訂正の記事を書かなければと思った矢先に、パソコンが壊れてしまったのです。

その後、いろいろありましたが、その時の体験があり、記事は真面目に書こうと思いました。

それで今回の記事で何が言いたいのかといえば、幸福の科学で通じる単語が、必ずしも一般の人には通じないということです。

そして、あまり説教口調にならずに、相手の悩みに同調することです。
一本筋を通した態度、姿勢は大事ですが、相手の悩みに共感し、優しく励ますことで、徐々に信頼されると思います。

信頼されると、ガンブロさんがいると安心できると女性から言われるようになります。
(自画自賛ばかりですいません。)

真理を自分の中でよく整理し、自分の言葉で話すことが大切であるという記事でした。




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posted by ガンちゃん at 02:14 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仏教的修行と他力・人から信用される人間になる

仏教的修行と他力・人から信用される人間になる

基本的に仏教の修行は自力で、戒・定・慧の三学であると言われています。
戒律を守る過程で自分の日常生活の在り方を律していきながら、意志の力を強めていきます。
禅定を通して自分の心を落ち着け、霊天上界との交流をはかり、智慧を得る。
戒も定も最終的には智慧を得ることが目的であるといわれています。
智慧とは、地上的な知恵と霊的智慧の両方を含むものです。
その先に、この世的な束縛やとらわれから自由になり解脱をする境地があるといわれています。
真実の自由とは実在界のおける価値観を体現した自由であり、自分が真実解脱したことを知る解脱知見があると教わっています。

この地上は相対的な世界であり、相互依存で成り立っています。
あるいはお互いの関係で成り立っています。
自らなる性質、それ自体の性質からなるものはありません。(無自性)。

ナーガールジュナは『中論』で、空についての一つの説明をしています。
不浄と淨についての説明として「淨と不浄とがそれぞれ自身の本質(自性)を持つならば淨は不浄を離れても存在し、不浄は、淨とは独立に不浄として存在するであろう。しかし、淨も不浄も自然的存在のありかたであるから、独立に存在することは不可能である。
両者は互いに無関係ではありえず、互いに他を予想して存在しています。
淨は不浄によって淨であり、不浄は淨によって不浄である。したがって両者は独立には存在しない。すべてはお互いに相互依存で成立している。」
と述べています。

また、われわれは感覚器官を通して物質的なものを実体があると思っています。
しかし、実体性はしょせん限定されたものにすぎません。
これらが未来永劫続いていくものではありません。
ある限られた時間の間に存在するだけであります。どこまでも限られた意味において実在するのであり、すべての存在には滅びが内包されています。


仏教的世界観における修行とは、この地上は無情の世界であり、過ぎ行くもの、流れ去るものに執着をするなという教えであると同時に、真実の自己、霊的生命を伸ばしていこうとする教えです。

仏教の根本命題は「上求菩提・下化衆生」であり自分の悟りが高くなるほど救済力が高くなり、影響力も増してくると教わっています。

不滅の法の第2章・霊界と奇跡の中に、「信じない」ということは、物事を常識的に考えて「こういう時には、このようになる」という、この世のルールに屈服していることを意味しています。」この世のルールに屈服していれば、この世で普通に起きること以外は起きませんと書かれています。

基本的に自力は大切な視点です。
地上に生まれてきた目的を考えますと、自力の部分を否定したのでは、転生する意味が減少します。
しかし、私たちは目には見えない天上界からの応援も受けています。
ですから、努力する姿勢を大切にすると同時に、他力を受けながら地上的な影響力をましていく方向が中道であると思えます。

仏典には、このような内容が書かれています。
「尊い方!尊師は教え(真理)をお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは、教えを聞かなければ退歩しますが、[聞けば]真理を悟る者となりましょう」と書かれています。

伝道する対象を選別しています。基本的には全ての人が救いの対象なのでしょうが、優先順位をつけて、合理的に伝道の対象者を絞っています。

この世的にも、信頼される人間になる必要があります。
信頼されるからこそ、自分の発言によって相手に対し、影響力が出てくるのであると思います。
しかし、すべての人が自分を信用してくれることはないでしょう。
誤解されることもあると思いますが、誠心誠意、相手のことを考えられる自分であるならば、必ず他力の光が降り注ぐと感じます。



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posted by ガンちゃん at 00:49 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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