2016年04月30日

次元の簡単な考え方と人間の認識の限界について

次元の簡単な考え方

図1のような円筒の表面は二次元空間です。
「大きい」次元は、横軸の直線として考えます。
「小さい」次元は、表面に沿った円です。
小さい次元(円)の半径がゼロに収縮するとともにつぶれると、一次元空間の直線として表現されます。

次元説明.jpg

同様な考え方で、我々の世界(3次元空間)にも適用して考えてみます。
我々の世界も4次元以上の次元をもっているかもしれません。そして、4次元以上の高い次元は直接、我々の観測にかからない「小さい」次元なのかもしれません。

4次元立方体.jpg


2次元世界は、縦と横からなります。
しかし、厳密に言いますと縦横以外にも3番目の次元(高さ)が存在するはずです。
線(1次元)にしても、3番目の方向に広がりがあるはずです。
線が長さしか持たず、高さを持たなければ、空間を占めることがなくなって、目には見えないでしょう。

更に、私たちは相手を観察するときに、2次元的(表面)にしか見ることができません。
距離の遠近感や、光の加減によって、立体的に見えていると思っているかもしれませんが、実際は、平面(2次元)的にみているはずです。
2次元的存在が、お互いを観察するならば、それは1次元的(線分)に見えているはずです。

ところが、3次元的存在が2次元的存在を観察するならば、2次元の内側まで見ることができます。
同じ次元同士がお互いを見るならば、一つ下の次元として観察されますが、一つ上の次元から見るならば、相手の内側まで観察することが可能になります。
4番目の次元(時間)を移動(過去・現在・未来)する生命体(霊)が存在するならば、私たち3次元的存在である肉体人間の内側まで、見ることができるということです。

4次元以降の世界は、あまりにも小さいために観測にかかりませんが、実際は、すぐ隣に存在しています。


例えば3次元空間に存在する私たちに対して、4次元(縦・横・高さ・時間)空間、つまり時間の方向に移動することが可能な存在がいるとするならば、私たちの視界からは消えてしまうでしょう。

過去か未来の方向に少しでも移動できる存在がいるならば、現在という時間の一点でしか存在が許されない人間の視界からは、消えてしまうはずです。


カントは、人間の認識は、感性・直観の試練を経たものでないと客観的認識として確証が持てない。
客観的な証明になりえないので、学問の対象から外して考えると述べています。
私たちは、物自体の一面しか、とらえることができません。

人間の認識には限界があります。
感性・直観は物の本質、理念を捕らえることができません。
カントは、私達の感性・直観は、物の現象面しか与えられず、物自体は決して人間の認識としてはわかりえない。と述べていたと思います。

しかし、人間には観測できない、あるいは、現象面しか認識しえないという理由で、それを超えた理念や目に見えない本質的なものがない、ということにはなりません。

人間の感覚器官が、すべてを測るほどすぐれた物差しではないという考え方を、どこかに持っていなければなりません。

私達が観測する事物は、どうしても感覚器官の性質に依存した形で認識されます。

もしヘーゲルやシュタイナーのように、事物の中に概念を掴むことができ、自然と一体になる、あるいは自他が一体であるという認識ができる、あるいは、人間の中にある共通した普遍的概念を見ることができたならば、それは本質をつかんだということであり、「自他はこれ別個に非ず一体なり」と言うことになると思います。





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2016年04月24日

自助努力なしのコピペ記事 他人の記事を貼り続けるだけで個人の意見がないという問題

自助努力なしのコピペ記事 他人の記事を貼り続けるだけで個人の意見がないという問題


基本的に記事を書くということは、どういうことなのでしょうか。
今まで自分が学び続けてきた勉強の内容、真理の勉強や政治経済などに対して、自分はこのように学び考えているということを一般の人たちに読んでもらい、評価してもらう。
あるいは、自分がいいと思うこと、正しいと思うことを述べ伝えるための手段であると考えることができるかもしれません。

文章を書き続ける人には、わかると思いますが、一つの記事を書くには大変な時間と労力が必要です。
どのようなテーマにするか、内容はどうするか、書き終わった後に見直しや誤字脱字がないか、あるいは、こんなことを書いたら見知らぬ人を傷つけることはないだろうかと、いろいろ考えてから記事をアップするわけです。

一方、コピペに関してはどうでしょうか。
いろんなところから、素晴らしい他人の書いた記事を拾ってきて自分のブログに貼るだけですから、慣れれば数分でことが足りてしまいます。

読む人も、このサイトに訪問すれば情報が簡単に手に入りますから、ありがたいと思っていることでしょう。
しかし、文章を書いた人のことを考えたことがあるのでしょうか。
勝手に文章を拝借して、努力して書いた人達の成果だけを、自分のものとしているとしか言いようがありません。

もし自分が勉強して必死になって書いた記事を、他人が毎回毎回、無断でコピペしていたらどのような気持ちになるか考えてみればわかることです。


確かに、いい記事、あるいは情報は紹介したいという気持ちはわかります。
しかし、紹介したいのであれば引用に留めるべきだと自分は思います。
そもそも、丸ごとコピペは著作権違反であるはずです。

レオもコピペしていたと思いますが、彼は、一部を紹介して、あとはオリジナルサイトでお読み下さいという形式であったと思います。

自分で考えて書いた記事は一つもなく、自分が考えて書いた記事ではないものを、大量に張り付けているだけというのは、私は問題があると考えます。
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posted by ガンちゃん at 21:50 | Comment(4) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする