フランシス・ベーコンは「少しばかりの哲学は人間の心を無神論に傾かせる。だが、哲学に深く入れば、人々の心は宗教の方にまた向かうことになる」と随筆集で述べています。
言葉をかえれば、宗教における生悟りは、人間を傲慢し、自我の拡大につながる、と読めなくもありません。
宗教をしていながら、確信犯的に嘘やねつ造をして相手を貶めようとする人とは、結局、深いところで神を信じていないのではないでしょうか。
ですから、ご本尊を持っている自分自身は信仰心があるのだと、周囲にアピールします。
しかし、普通の信者であれば、いちいちそのようなことは口にしないでしょう。
持っていることでご自身は、持っていない方より信仰心があるとでも思っているのでしょうか。
ちなみに、私が批判している人は、2人だけです。
コウ氏とピッポ氏です。
ポン吉君に関しては、私ガンブロは、基本的に相手にしないようにして、レオが周りのブロガーに被害がいかないように、牽制しています。
ポン吉を批判することが間違いなのでしょうか?
黙認して言いたいことを言わせていることが正しいのでしょうか?
間違っている人に対しては、論理を根拠として、あるいは真実を根拠として、正当な批判をするべきであると自分は考えます。
最初、私ガンブロはポン吉なる人物など知りませんでしたが、あちらが私のことをよく知っているようで、いろんなところに出没しては、恨みや怒りを発信していました。
ですから、2回ぐらい、やかましいので黙っていなさい、的な発言をしたことはあります。
例えば、事情や状況を知りもしないで、途中から理由もわからずにしゃしゃり出てきて、何か月、何年も悪口や、事実ではないことを捏造して相手を貶めようとする人間など、常識人以下であると私は判断します。
渡部 昇一氏も、いろんな方と論戦をしてきましたが、事実を根拠として相手を切り返すと、相手は話をねつ造して攻撃するか、話をそらして人格攻撃されてきたようです。
霊的観点から心の状態を観察した時に、第三者から自分の心の態度をみられた時、いかに偽善で自分を取り繕っても、やがて真実は白日の下にさらされるでしょう。
ヘラクレイトスは「人は自分自身の小さな世界の中で真理を求め、大きな一般的な世界の中で求めなかった」と述べていました。
これは、考えが常に自分中心に有り、神や仏、偉大な哲学や宗教の方向には関心が向かなかったという意味にもとれます。
コウ氏が批判はいけないと述べているのは自分に対しての悪口はよくないと言っているだけです。
批判がいけないのであれば、どうしてポン吉には何も言わないのでしょうか。
ポン吉は人の悪口を1日中、いくつアップしているのでしょうか
多すぎてすぐに数字が出てきません。
それを1年365日欠かさず言い続け、さらに何年も継続しています。
それに関しては、コウ氏はまったく何も言いません。
おかしな話です。
なぜ、コウ氏はポン吉に対して何も言わないのかと言いますと、ポン吉を正しいと思っているからです。以前、ポン吉を根拠に、私は批判されたことがあります。
また、コウ氏はポン吉を正義の人と絶賛していましたので、コウ氏の善とはポン吉と同じなのでしょう。
もちろん私自身が全面的に正しいとはもうしません。
以前、ブログ村での騒動に関しても、周りに迷惑をかけたと思い、その件に関しては謝罪の記事を書きました。
しかし、コウ氏は事情も知らないで、途中からしゃしゃり出て、悪口・ねつ造・人に悪いイメージを植え付けようとする印象操作など、姑息な手段を使ってかき乱してきました。
まったく常識外れもいいところです。
一般社会であれば、批判され糾弾されて当然です。
そのうえ謝罪などさらさらする気がありませんので、戦う以外にありません。
しかし、あまり相手にしていると、こちらも霊的に悪影響が出てきますので、基本的には、相手にしない方がいいと思っています。
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