神智学からみた主・エルカンターレという光の存在
仏陀の本体であられる主エルカンターレは、人類を創造し、永年にわたって人類を導かれてきた存在です。
神智学あるいは人智学でも、仏陀といわれる霊的存在の任務は、高い叡智の力を永久に人々の心の中に燃え立たせることであると見抜いています。
仏陀の霊的エネルギーの中には、私たち人間が人間として関わるものすべてが含まれています。
主エルカンターレは、西洋文明の宗教的基盤を築き上げたイエス様を導いてこられた存在です。
キリスト教の最大の教えの中心は、愛です。
インドで仏陀が説かれた教えは慈悲と智慧です。
西洋文明と東洋文明を導いてこられた、共通する最大の教えは慈悲と愛です。
そうしますと、主エルカンターレとは、愛と慈悲、智慧や勇気の根源の存在であるといえます。
そして、悟りというものを通して、人類を本当の意味における幸福へと導いている存在でもあると思えます。
そして宗教だけではなく、仏陀の力は、西洋の哲学者の世界観の中に流れ込んで(特に観念論哲学だと思いますが)、働いています。
人智学では、霊界から仏陀が西洋の哲学的精神を推進させていると見抜いています。
西洋社会に仏陀という名前が知られてなった頃にも、仏陀あるいは主エルカンターレは、渾身的な働きをしていました。
主エルカンターレの地球における役割は、愛と慈悲、信仰を象徴する阿弥陀如来的側面(救世主的部分)そして、悟りと修行、霊界の秘儀を象徴する大日如来的側面(仏陀の本質的部分)をあわせもった御存在ですから、地球人類全体の方向性および宇宙の中における地球の役割を決定されているかもしれません。
地球における役割と書いたのは、現時点で反宇宙といいますか、裏宇宙の存在や虚数の世界、あるいはパラレルワールドの存在が明らかになってきましたので、私たちが認識できない世界をも指導されている可能性があるからです。
人智学における使命は、諸宗教の統合であるとルドルフ・シュタイナーは述べています。
宗教の一つの型として仏教があり、もう一つの型としてキリスト教を見出しています。
東洋における仏教はもちろんのこと、キリスト教の教え、および西洋の歴史の流れは、ヘルメス神が関係していますので、西洋文明、東洋文明を築いてきた根源の位置に主エルカンターレの存在を知ることができます。
ただ、諸宗教の統合と言いましても、神智学および人智学では、やはり無理なのではないかという感じを受けます。
それをやり遂げる唯一の宗教は、幸福の科学であり、主エルカンターレが説かれる法であると思います。
過去の歴史の流れの中で、霊的な能力を法という普遍性のある形までに昇華したのは、イエス様、仏陀、スウェーデンボルグ、ルドルフ・シュタイナー、ブラバッキー、その他にもいろんな方がいますが、主エルカンターレは格が違います。
それは、上記の光の大指導霊の方々の本と読み比べてみれば一目瞭然です。
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posted by ガンちゃん at 00:17
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