2016年01月24日

龍樹の八不中道と生々流転法則

龍樹の八不中道と生々流転法則

龍樹の『中論』における中道的観点は、「不生・不滅」「不常・不断」「不一・不異」「不来・不去」の八種の否定です。

中論の第一章・縁の考察には次のように書かれています。
「滅することなく、生じることなく、断絶にあらず、常住にあらず、一義にあらず、多義にあらず、来ることなく、去ることなき、戯論が寂滅して吉祥である縁起を、説きたまえる正覚の仏陀 に、説法者の中の最勝なる人として、私は敬礼します。」大乗仏典 

ヘラクレイトスは次のようにいわれています。
「自然は一瞬たりとも静止することがなく、対立に駆り立てられ絶えず流動しています。この世では、生物であれ無生物であれ、時間の経過とともに変化しないものは皆無なのだ。森羅万象は流転する。」
「存在は非存在以上の存在ではなく、非存在とおなじく存在しない。存在と無はおなじものであり、本質は変化である。」
これは、万物が変転変化する様子を表現していると思いますが、地上にあるすべての存在で、固定的なものはなく、無自性(自ずからなる性質がない)であります。
すべての存在は誕生と同時に消滅を内包しています。ヘラクレイトスの森羅万象は流転するという言葉は生々流転の法則を言い表していると自分は思います。

中論の第二章には、<すでに去った>ものは去らない。<未だ去らないもの>も去らない。さらに<すでに去ったもの>と<未だ去らないもの>とを離れた<現にいま去りつつあるもの>も去らない。
「不来・不去」
さらに、現に生じつつあるものも、すでに生じたものも、未だ生じていないものも、決して生じない。
未だ滅びないものも滅びない。すでに滅びてしまったものも滅びない。現にいま滅びつつあるものもまた同様に滅びない。「不生・不滅」
対立矛盾する観念と観念がお互いに依存して成立しています。それぞれの観念が対立する観念を前提にして成り立っています。
すべての存在は自己の内部に対立を含んでいて、正(肯定)・反(否定)・合(否定の否定)による弁証法的な運動法則によって止揚統一されていきますが、弁証法的な運動法則も存在自体が無自性であるからこそ、相互依存によって成立していると言えます。


縁起(因縁生・縁生・因縁法)とは、<よって生じること>の意で、すべての現象は無数の原因と条件(縁)が相互に関係しあって成立しているものであり、独立自存のものではなく、諸条件や原因がなくなれば結果もおのずからなくなるということです。この法則からはずれたものはないというのが仏教の主張です。
諸行無常であるからこそ縁起が成立するのであり、縁起しないものは無常ではありません。
もろもろの事物(諸法)は無自性であるがゆえに、現象界の変化も成立し、それ自体の本性を欠いているゆえに、縁起が成立します。
無自性、無常は縁起と同義に用いられています。ですから空は縁起であると言えると思います。
以上の説明で現象界は仮の存在であり、固定的で変化しない実体をもった存在ではありません。
この地上が本質を欠いた世界であるからこそ、実在世界、イデアの世界があるのではないかという考えがでてきます。

八不中道の考え方を幸福の科学の真理価値に照らして説明すると、非常に理解がしやすいと思います。
「不生・不滅」生まれることなく、滅することのないもの、それが空です。
「不常・不断」常なるものでもなく、断ぜられるものでもない。
「不一・不異」いつなるものでもない、異なる(多様なる姿という意味)ものでもない。
「不来・不去」来るものでもなく、去るものでもない。
龍樹はこの八つ否定を通して現れる中道の境地を空の真髄とみました。
生まれることなく、滅することのない「不生・不滅」とは、生き通しの命です。
生まれることと、滅することとは対立する概念であり、「生き通しの命」という一言をもって止揚統一しています。
「不常・不断」とは、永遠にそのままの姿が続くというわけではなく、死を通してすべてが無になるという意味でもありません。物質世界の法則から離れ、霊的存在に移行し心の状態によって自由性が増し、存在形式も変わります。現在の状態が継続して続くというわけではなく、死ねば終わりといった唯物的な考えも間違えです。ヘラクレイトスが述べたように『変化』が真実であり、真理です。
「不一・不異」一なるものでもなく、多なるものでもないとは、人間の霊的生命の存在形式は、本体一・分身五という六人の魂グループが一体となって存在しています。その中の一人が地上に生まれ変わり、地上で経験した知識、智慧をグループ全員で共有することができます。

「不来・不去」来るものでもない、去るものでもないとは、霊界世界とは、はるか彼方にある世界ではなく、同一空間を共有して存在しています。
そして各人の心が霊的世界とつながっています。物質世界にありながら、心は霊的世界という4次元以降の高次元世界に通じているといわれています。
天台智が、心は一念三千といわれたように、思いの方向性によって天国、地獄に通じてしまいます。肉体は物質世界の法則の中で生きていながら、心は霊的世界の法則に従って、いろんな霊的世界に通じてしまいます。
物質世界が霊的世界と共存しています。現象界と霊的世界が重なり合って、波長の同通するもの同士がお互いに影響を与えあっています。これが来るものでもなく去るものでもない説明になるかと思います。

八不中道とは私たち人間の永遠の生命と霊的実相世界の秘密を解き明かしているのです。
空と阿羅漢 参照
空とは虚無主義ではなく、この世を肯定することでもありません。両極端を否定し、霊的価値観と物質的な両方の観点から見ていく仏教的世界観であると思います。
生々流転の法則が働いているからこそ、両極端を否定した中道的観点が大切な思想であると考えます。


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posted by ガンちゃん at 00:17 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

アインシュタインの式を検討

アインシュタインの式を検討

有名なアインシュタインのエネルギー式に、どのような意味があるのか考察します。

エネルギーと質量.jpg

エネルギーは、質量に光速の二乗をかけたものであるといわれています。
式の検討をします。

上記の式を変形しますと、

エネルギー関係式.bmp

になると思います
エネルギーを光速の二乗で割ると質量になります。

次にボーアの振動数条件式より
@
振動数条件1.bmp

En1は、電子のK殻の電子エネルギー、En2は、電子のL殻の電子エネルギーです。
En1とEn2の差額のエネルギーをプランク定数で割ると振動数がでます。

また波数V ̅は、(1pあたりの波の数)Cは光速、νは周波数
A
振動数条件式4.bmp
Aの式を@の式に代入して

振動数条件式3.bmp
この式の答えは波数です。
エネルギー値であるEnをCh(光速×プランク定数)で割っています。
答えは波数であると考えられます。

アインシュタインの計算式は、エネルギーを光速の二乗で割ると、質量が出ました。
ボーアの式は、差額のエネルギーをプランク定数×光速で割ることで、波数が出ました。

質量と波数(波動)では、物自体が違うように感じます。
しかし、見方を変えて、質量や波動は本質的なものの現れ方の違いという考え方も可能かと思います。

先ほどの波数とは、1pあたりのという、条件付きの波動でした。
そうしますと、質量とは、一定の長さ(距離)をもつ波動ではないかと考えます。

質量が波動であり、一定の振動数によってその存在が決定しているという根拠は、素粒子の質量にあります。

素粒子の質量の単位は、eX(エレクトロンボルト)です。
1個の電子が真空中で電位差1ボルトの2点間を運動するときに得る運動エネルギーです。
1Vは1eXですから、使用目的によってeXの単位をVとして(単位を揃えて)使用することが可能です。
プランク定数は1Hz(1振動・1回転)の電圧値でありますから、素粒子の質量であるeXをVと見立てて、数値を1回転あたりの電圧値で割れば、素粒子の周波数が出ます。

質量は素粒子からできていますので、物質とは波動的性質を有していたということになります。

結論
私たちが存在する三次元物質世界とは、四次元以降に存在する霊的エネルギーが一定の振動によって、映し出された幻の世界であるかもしれません。
仏教的には、空の世界についての説明に近いと思われます。







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posted by ガンちゃん at 17:43 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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