2015年12月30日

芸術鑑賞 美しさにふれる大切さ

芸術鑑賞 美しさにふれる大切さ

先日、クラシックバレエを鑑賞してきました。
日常の煩わしさを忘れて、観ていましたが、その場の霊的磁場ともいうべきものを感じ取ることができます。
圧倒的に女性が多いのですが、小さいお子様もいて、和やかな雰囲気で楽しめました。

その帰り道、知り合いのワインバーによって、忘年会をしてきました。
忘年会といっても、お客様をまじえてワインの味を楽しむ会のような感じです。

各人が一本注文して、それぞれ注文したワインを少量ずつ回し飲みして味わうという感じでしょうか。
知り合いのオーナーは南フランスのワインを中心に仕入れているようですが、私自身ワインといっても、安いワインぐらいしか飲みませんので、集まったお客様たちよりは味についてわかる訳もなく、語れるわけでもありません。

初めに1本、数万円のワインを味わいました。
味わった瞬間、これはうまいと思いました。
普段飲むといっても安いものばかりでしたから、ワインとはこんなにうまいのかと思うほど、おいしかったです。

その店のオーナーがワインについて説明してくれました。何年もので、おいしいワインの特徴は飲んだとき、スーと飲みやすいとか言われていたと思いますが、とにかく、すべてのワインがおいしかったです。

その帰り道で考えていたのですが、やはり人は、美しいものにふれることで感性を鍛えることも大切であるし、高級なワインを味わうことで、安いワインとの違いを実感として知ることができるという経験も大事だなと考えていました。

美しものに多く触れることで、美しもの(外見だけではなく、内面も含む)を感じ取る感性が鍛えられ、汚いものをはじくようになります。
そして、美は鑑賞するだけでなく、美を自分自身の中に取り入れようとすることが大切であると思えます。

また、高級なものを味わうことで、ワインにしてもなんにしても奥の深さを知ることができると思います。

余談ですが、帰り道トイレによったのですが、間違えて女子トイレに入ってしまいました。
最初は気が付かず、周囲の様子がおかしいなと思っているうちに、女性の方が入ってきてしまい、私の目が点になりましたが、その女性はにこやかに微笑んで、男性は隣ですと手で方向を指し示してくれました。
私は恐縮して隣のトイレに行きました。
その女性が優しい方で助かりました。
そして、美には優しさを内包していなくてはならないと感じました。



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2015年12月29日

精神分析からみる自分は神だと信じる心理

精神分析からみる自分は神だと信じる心理

どうして自分を神だと思えるのか、自分には理解ができず、考えてもわからないので心理学の方でヒントがないか探してみたら、もしかしたらと思える内容がありました。

ある例を参考に考えてみます。
誰かが、マグダラのマリアの生まれ変わりでありたがっているとします。
そうしますと、自称マグダラのマリアは24名も現れたそうです。

誰かが聖書のマグダラのマリアの物語を読んだとして、とても、好きになったとします。
自分がマグダラのマリアでありたいという欲望が、潜在意識の中で生き続けていきます。
この人は普通の生活を続けている分には、ただ単にマグダラのマリアが好きだというところで止まっています。

自分がマグダラのマリアでありたいと思う切なる願いは、潜在意識では生き続けますが、本人の表面意識には顕在化してきませんので、普通に生活を送ることが可能であります。

ところが何らかのオカルト的な実技なり、中途半端な霊的世界の知識を学び応用した結果、無意識の領域に触れ、その内部に入れるようになったとします。

無意識の領域で生き続けていた、マグダラのマリアでありたいと思う欲望が外部の事実として、本人の前に現実として出現し、ヴィジョンとして現れてきます。
自分が、マグダラのマリアであるというヴィジョンです。

しっかりと真理を学び、良質で正確な注意深い修行をしていれば、こんなことは起こりません。
正しい修行をしていれば、自己を見失うことはないのです。

自己確立がしっかりとできていないのに、何か霊的な現象が起きますと、そうしたヴィジョンが客観的事象として現れてきます。

当の本人はそれを見て、自分がマグダラのマリアをめぐる出来事を回想しているのだと思い、本物だと信じてしまいます。
そのようなことは実際に起こりうるそうです。

マグダラのマリアを神に置き換えて考えてみます。

自分は神のようになりたいという欲望が深層心理あるいは、潜在意識のなかに蒔かれた種だとします。
霊的秘儀に参入する前は、神になりたいと思う欲望は、潜在意識の中で納まったままで、表面意識には出てきません。ですから、日常的に普通の生活を送ることが可能であります。

ところが、誤って理解した真理知識、地上的問題で心が揺れない不動心、純粋な信仰心などが確立する前に、霊的現象が本人に起きてしまった場合、空想あるいは妄想と現実が二重写しになってしまいます。

幸福の科学的な説明でするならば、邪悪な霊あるいは動物霊の惑わしをうけ、見抜くことができなくなります。
第三者が見れば、この人は真理を間違って理解している、この人は自分で神を自称しているが、とんでもない勘違いだとわかるのですが、当の本人は客観的に見た自分の姿がまったくわかりません。

信者の9割以上がおかしいと感じているのに、本人はまったく自分の姿に気づかず、誰もいない舞台で一人気持ちよく踊っているピエロになっています。
つまり神になった気持ちで上から目線で説教しているのですが、まともに聞いている人は誰もいません。

哀れといえば哀れですが、注意しても注意した人を、自分を批判しているおかしな人ぐらいに思っているのでどうにもなりません。



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