人間は何のために、霊天上界から生まれ変わってくるのかを考えた時に、努力の大切さがわかるのではないかと思えます。
確かに、地上的には努力もしないで結果だけを求める人もいます。しかし、人間の本質が精神であり、永遠の命を生き続ける存在だと信じることができた時、苦しみや悲しみ、困難の意味がわかってくると考えます。
苦難・困難は、できれば避けて通りたいと思うのは人情であるでしょう。
しかし、霊界に帰り自分の一生をスクリーンで見せられた時に、苦難・困難に立ち向かった自分自身が誇らしくみえるかもしれません。
そして、苦難に耐えた精神力の強さは、来世にも持ち越しが可能であり、今世の努力が今世だけにとどまらずに、肉体の死を超えて来世に持っていけるということは、素晴らしいと思えます。
因果関係、縁起の理法は、地上だけで完結しているわけではなく、来世にもまたがっているということは、仏の創られた世界は、何と公平に出来ているのでしょうか。
そして、次の苦難がおとずれても努力を通して鍛え上げた精神力によって乗り越えていくことが可能でしょう。
トルストイは、「この世においても、また来世においても、幸福は自分以外のところに見だせると思っている人は間違っている。
自分の努力を抜きにして、どこかに救いと幸福を見いだそうとする期待ほど、人間の力を弱めるものはほかにない。」と述べています。
努力すること事態に意志の強さを鍛えている面があると考えられます。
ですから、上記でトルストイが述べているように、自分の努力を抜きにして、幸福を見いだそうとする人、自分で何も考えない人は、自分自身の意志の力や忍耐力を弱めているともいえます。
「努力即幸福」という境地にはなかなか届きませんが、小さい努力の積み重ねが、人間を偉大にし、魂の傾向性を変えていく力になると考えます。
だれの言葉かわすれましたが、「人間の幸福は努力する過程にこそある。努力して得られた結果は、燃えカスの部分あるいは残りカスであって、努力している途中にこそ人間は幸せであるのだ」という意味を述べていたと思いますが、結果を得たということは報いを受けたということであり、それで終わりです。
しかし、結果に関係なく努力している人は、その努力をしているということ事態に、永遠の魂の成長、進歩があり、成長している自分自身の姿が喜びなのだと思えます。
努力するということは、魂の傾向を変化させ、今世の人生のみならず、来世においても有効であると思います。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学