人間には、理性や知性、悟性、感性などが備わっています。
その中で、霊的なものを感じ取りやすい部分は、感性であると思われます。
しかし、宗教的で高度なインスピレーションを受け止めるためには、感性だけではない、悟性も必要になってきます。
そして、霊的なものをより高次なものにするためには、知性や理性が必要であると思えます。
宗教においては、最初に信仰心の大切さが説かれます。
正しい見解がなければ、感覚器官から入ってくる情報を正しく処理できないからです。
正しい宗教に帰依し、正しい教学を学んでこそ、世の中の出来事を正しく判断することができるようになります。
もし、正しい宗教的見識を持たなければ、自分にとって都合が良いのか悪いのかといった、自己中心的な見方以外にできなくなります。
また、自分自身の喜怒哀楽、感情のまま本能のままに生きてしまうでしょう。
ですから、宗教的高度なインスピレーションを受け止めるには、正しい宗教に帰依して信仰心を確立していく過程で、基礎固めとしての教学をしっかりと学ばなければなりません。
私事で恐縮ですが、自分の関心領域については、真理の書籍と照らし合わせながら、あるいは、書籍をヒントにして、自分なりに深く思考します。
するとある時に、ハッと答えが降りてくる場合があります。
正しいか、正しくないか検証のしようがありませんが、とにかく答えが与えられたという感覚は自分自身の中にはあります。
過去世で学んだ影響などがあるかもしれませんが、今回の人生は今回の人生で努力しなければ、インスピレーションは、降りてこないでしょう。
また、自分自身で努力しなければ、たとえ答えが偶然に与えられたとしても、あまりうれしくはありません。
霊的な指導者は、直接的な霊的指導や間接的インスピレーションなりを受けられていると考えられます。
ただし、自分で霊的指導を受けていると錯覚している人や、そのような願望がある方の勘違いもありうるので、その霊的影響を判別する高度な認識力が必要になってきます。
私たちが存在している感覚的現実世界に対して健全な感覚(感性)を持っているだけでは学者になれないように、高次の視覚があるというだけでは、霊界の指導者にはなれないでしょう。
私たちの生存している物質世界と、霊的世界は同一の根本的存在の二つの側面にすぎません。
ですから、低次の世界において無学である人は、高次元の事柄においても無学であるといえるのではないかと思えます。
いずれにしても日々の努力、精進の姿勢が大切であると思えます。
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