悩み事や心配事がありますと、心に隙ができ、一般的に成仏していない霊に憑依され悩みが倍増することがあるようです。
他力によって悪霊を取り除く方法もありますが、本人の心が根本的に執着の塊であれば、悪霊は時期を見計らってまた戻ってくるかもしれません。
仏教の教えである三法印は、地上における怨念が残っていて、人を苦しめている場合、これを離すにはどのようにすればよいかという執着をとる教えでもあります。
諸行無常は、地上にあるすべてのものは、時々刻々と変化しているものです。変化しているものは無常であり無常なものに執着をすることなかれという教えだと思います。
諸法無我は、地上にあるすべての存在は無自性であり、依存関係にあります。すべては他の関係で成立しているものであり、それ自身の性質として存在しているものはありません。ですから地上的なものに執着してはいけませんという教えであると思います。
涅槃寂静は、地上的な悩みや執着を断ち切って、心の平安、心の安らぎを獲得した悟りの境地かもしれません。
人間の本質は魂であり、地上にいつまでも留まり続けるのではなく、霊天上界こそが私達の本来の住みかであり、心だけが持ちかえることのできる本当の自分自身であるということを、知識として知っていることで不浄仏霊の憑依を防ぐことにつながると思えます。
ですから、常に謙虚であることが大切であると思います。これは口先だけでは意味がありませんが、常に自分は、はるかなる道を歩む者としてまだまだ未熟であり、仏や神から見たら、いたらない自分自身というものを自覚することで謙虚になるように思えます。
自分の間違ったプライドも憑依の原因になる可能性があると思えます。
地上的な地位や名誉、学歴、職業、家柄等、地上的価値観が執着となって、自分の過ちを認めたくない場合もあると思えますが、地上的価値が霊的に弱点になる場合もあるような感じを受けるので、地上を去るときには心以外には持ち帰れないという思いを、心のどこかに持っておくべきだと思えます。
悪霊撃退祈願もありますが、基本的で大切なことは日々の精進と努力であると考えます。修行が進んでくると肉体に霊的な現象が現れてくることがあるかもしれません。
霊的現象は大切なことではありますが、のめり込むとどこまでも行ったきりで帰ってこなくなるかもしれませんので、霊現象という遠心力に対して、地上的な能力という求心力の両方を使い分ける能力が大切かと思えます。
フランスのモンテーニュは「人生の価値は時間の長さではなく、その使い方で決まる。長生きしてもむなしい人がいる」と言っています。
人生は有限であるので、与えられた地上における有限の時間の流れの中で、永遠に存在し続ける魂の真実を知ることが一つの悟りの形であると考えます。
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