三法印と自己確立とヘラクレイトスの思想との関係
仏教的世界観を整理・認識して、修行を通してしっかりと自己確立をし、地上に混乱がおきても動じないで、その都度、正しい判断と行動ができるような宗教者を目指すのが信者の進むべき方向であると思えます。
諸行無常
過去の偉人達が言われてきたように、この地上は常に変転変化しながら流れる川のように、次の瞬間すでに同じ状態を維持し続けることはできず、移り変わっています。常に移り変わりながら縁起の理法によって、すべてが成り立っています。人は変化しないもの固定的で形を変えないものの中に安心感や安定感を求めますが、変化こそ真理であり、この地上は変化を前提に条件づけられて存在しているのではないかと思います。
時間の流れの中で変化するからこそ、存在が成り立っていると考えています。
変化すればこそ未来を変える縁起の理法や原因結果の法則が成り立つのであり、どのような種を蒔き、育てるかで(条件)個人としての未来や社会、国や世界も変わっていくという考えです。
諸法無我
空の説明と関係してくると思いますが、すべては原因や条件に依存しているので実体がある存在は地上的には、ないと考えます。また、単一で成り立っているものは存在せず、自性なるものもありません。自らなる性質のものはなく、すべては肉体に基づく感覚器官とその対象との関係で成り立っており、感覚器官の性質、機能や働きの違いで同じ対象を観察しても、違った受け止め方、考え方になってくるでしょう。
この地上は仮の存在で、霊的世界こそ実在の世界であり、地上に対する執着をなくすための教えが仏教的な教えの中心的な考え方であると思います。
三法印とヘラクレイトスの思想の共通項
諸行無常とは「この世に存在するすべてのものは、流動していくものであり、変転していくもの、変化していくものこそが本質である」というとらえ方です。
無常とは、冷たいとか悲しいという意味ではなく、「常ならず」という意味で、恒常的なもの固定的なものは存在しないということだと考えます。この流動的な立場だからこそ、縁起の理法が成り立つのでしょう。
原因や条件によって人生や世界は変化していくという考えです。
諸法無我は、この物質世界は仮の存在であり、すべては夢幻の世界であるとする考え方で、この地上は実体的なものは存在しなという「空」の思想につながる考えです。
すべての存在は恒常的なものでなく、その存在自体に滅びの性質が内在されています。
滅びはその存在自体にすでに備わっているものであり、滅びていくものと、新しく生まれてくるものは一体であり循環しているものであると考えています。
すべてのものは滅びていく存在であると同時に、新しく生まれ変わってくる存在でもあるので、自性なるもの、自らなる性質はないという結論になります。
ここでヘラクレイトスの思想と比較してみたいのですが、ヘラクレイトスの思想は断片的で現在あまり残っていないようですが、わかる範囲で仏教の思想と比較していきたいと思います。
ヘラクレイトス 前535頃〜475頃 ギリシャの哲学者
「なにものも有ることなく常に成るのみ、万物は流転する、万物は流れて止まらず」哲学小事典より
「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説きました。
プラトンはヘラクレイトスの複雑な思想のなかから、その核心をなすものとして「万物流転」を取り上げました。
プラトンによれば、ヘラクレイトスは、この世界に存在するすべてのものは、一瞬たりとも静止していることはなく、絶えず生成と消滅を繰り返していると主張した。「諸君は同じ河に2度足を踏み入れることはできない。なぜなら新しい河水が、絶え間なく諸君に押し寄せてくるからだ。」こうヘラクレイトスはいって、この世界に恒常的なものは何もないと主張しています。
プラトンはヘラクレイトスのこの思想を、自分の思想の中に巧妙にとりこんだと言われています。
つまり、感覚し得る世界には永遠なるものは何も存在しないということの証拠として万物流転の思想を利用しながら、他方では感覚を超えた知性的な存在としてのイデアを主張したのであります。
たとえば火についても、それはアリストテレスが要約したような、静的な原理には留まらない。火は始原的な要素であり、万物がそこから生じた元のものではありますが、それ自身が不変の実体といったものではなく、絶えず燃えながら変化しているものであります。「火は空気の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」といった具合に、すべてが相互回帰的に循環しながら、流動している。そこには、戦いのイメージがあります。「戦いがすべてのものに共通して見られ、正義であることをわれわれは知らねばならぬ。」
この戦いのイメージは、戦いを通じての統一のイメージとも結びついています。
「対立物の統一」の思想であります。
戦いにおいて対立物は調和であるところの一つの運動を生み出すべく結合する。「万物から一が生じ、一から万物が生ずる」という言葉は、この絶え間なき運動の過程を象徴したものであると言われています。ヘラクレイトスにとって世界とは、もろもろのものがせめぎあいつつ、その動的なプロセスのなかから調和したものや一なるものが生成されると考えていたのかもしれません。
統合する対立物というヘラクレイトスのこの思想は、やがてヘーゲルによって血肉化され、弁証法的な思考へと発展していくことになります。
仏教やギリシャ哲学、あるいはヘーゲルの観念論哲学は共通する部分が非常に多いです。存在の本質は変化であるという点で、感覚的なものを実体(本質的)として観察していません。
涅槃寂静に関しては、自分の領域を超えていますが、諸行無常と諸法無我の関係で考察すると、この物質世界の中で人間の本質は魂、あるいは霊的な存在であり、常に霊的な視点から自分自身の考え方や行動を観察し人生の誤りを軌道修正する。いづれにしてもそのような境地に到達するのは後、百万回ぐらい転生しないと無理ではないかいと思うので涅槃寂静に関しては以上です。
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