秘蔵宝鑰とは空海の思想で、秘密曼荼羅十住心論を簡略化した内容になっています。
心の在り方、心境や悟りを段階的にわけて体系化されています。
己の心を修することで段階的に自分の心を昇華していきますが、自力のみではなく、ある段階から大乗、利他に心が向かいます。
まずは、自分自身の肉体に基づく欲望から、精神性に目覚め、仏法の縁によって修行することで、自己確立しながら、途中の段階で利他に向かいます。
心の状態が、霊的世界の次元構造と対応関係になっていると思えます。
空海も霊的能力を持っていました。
しかし、それ以上に教学を深く学んでいたと思われます。
秘蔵宝鑰あるいは、秘密曼荼羅十住心論は霊的世界における心の法則を基礎として体系化された思想になっていると考えられます。
空海に限らず、高級諸霊は、霊的能力があろうとなかろうと、多くの人が学べる体系化された教えを説くことができます。
教学を軽視し、あるいは仏法を間違って理解している高級霊など一人もいないということを知るべきです。
以下に秘蔵宝鑰を簡単にまとめて書きますが、光の天使、あるいは菩薩・如来といわれる方々は、法を体系化して、教えが説ける人達のことを言います。
第一「異生羝羊心・いしょうていようしん」
(本能のままに生きる心)
善悪の区別を知らない凡夫の迷いの心、因果の道理を信じない愚か者の抱く妄執のことです。
彼らには、道徳も宗教もなく、ただ本能のままに毎日を過ごす人達です。
第二「愚童持斎心・ぐどうじさいしん」
(人倫に目覚め、道徳に従って生きる心)
人間としての善心の最初の萌し、凡夫が発心して自己の本源に帰還しようとする心の傾向のはじまりです。他の人に施しをしようとする心が芽生えてきます。
第三「嬰童無畏住心・ようどうむいしん」
(神や天を仰いで生きていく心)
羝羊心という固定化した本性があるわけではないから、善心に転化しうるし、愚童のごとき人々にも外からの縁によって内面的な変化が起こり、苦を厭う心が起こります。
諸宗教を信じる人達が、この世を厭う心であり、凡夫が天上の世界を憧がれ欣ぶ心です。
第四「唯蘊無我心・ゆいうんむがしん」
(小乗仏教・声聞乗の心)
声聞乗のことです。もろもろの外道は我と我所とは有り、と考えます。このような妄執によるが故に、生死・輪廻の世界から出離することができず(かりに禅定を修して)非想非非想処に生まれても、かならずまた下界に堕落します。ゆえに仏は声聞乗を求める人々の為に人空法有の立場をお示しになりました。苦・集・滅・道の四諦の法門をひろく観察します。
第五「抜業因種心・ばっごういんじゅしん」
(小乗仏教・縁覚乗の心)
縁覚、別名独覚乗の人々がそれをめざして修行し、そこに到達して安住するところ(の境界をいうもの)であります。十二因縁という考えを修していけば、業に左右される人生から解放されて、阿羅漢という
第六「他縁大乗心・たえんだいじょうしん」
(これから大乗仏教・法相宗の心)
大乗の菩薩・大士(マカサツ)の法があります。その名を他縁乗といいます。その認識するところは、建立外道や長爪梵志の立場を超えて高く昇り、衆生利益に関しては、声聞・縁覚の立場を超えて広く(一切衆生を涅槃の域へと)運ぶことができます。執着を洗い流し、【慈・悲・喜・捨】の四無量心(布施・愛語・利行・同事)の四摂法によって、他者をたすけ、利行します。識の理論を思惟し、(その立場から思惟を、人間の)心というものが、幻や陽炎のごとき仮象に過ぎず、実体としては存在しない、という一点に集注します。
すべての外界の事象は、自分の心にうつった映像の如きものと受け止め、あらゆるとらわれを除きます。
第七「覚心不生心・かくしんふしょうしん」
(三論宗の心)
一は百千の母であり、空はすなわち仮有の(万象)の根基(もとい)です。仮有は(実)有ではないけれども、現に有り有りとして万象の世界を現成しています。絶対空は虚無としての空ではないけれども、空空として不住であります。
これゆえに、色は即ち是れ空、空は即ち是れ色であります。中道の教義がでてきます。
「不生・不滅」「不常・不断」「不一・不異」「不来・不去」の八種の否定、八不中道を修することによって極端な見方を離れ、仏教本来の中道に立ち、さまざまの誤った見方を断ち切って、ただひたすら空を観じると、心の本源が空寂となります。
第八「如実一道心・にょじついちどうしん」
(天台宗の心)
天台の教えを修業すると、この世のすべての現象は一つにまとめられ、みな本来は清浄であり、外界の事象も、それを観ずる智慧も一つになっていきます。
天台教学においては、存在するものの在り方を示す範疇に十種類あります。これを十如是といいます。
「如是相」・「如是性」・「如是体」・「如是力」・「如是作」・「如是因」・「如是縁」・「如是果」・「如是報」・「如是本末究竟等」
さらに、十界互具説という教えがあり、人間が地上に生まれてくる前にいた霊的世界があります。
「地獄」・「餓鬼」・「畜生」・「阿修羅」・「人間」・「天上」・「声聞」・「縁覚」・「菩薩」・「仏」の十個の世界に分類します。
第九「極無自性心・ごくむじしょうしん」
(華厳宗の心)
もし、ものが縁によって生じたのであれば、それは自性が無いということです。そして自性が無いということなら、それは、本不生であるということです。
本不生なるものは心の実際です。そしてこの心の実際もそれまた不可得(人間的な認識が及ばないもの)です。故に、(心の実際に至った状態を)「極無自性心生ず」というのです。
華厳宗の教理によりますと、水と波は別のものに見えますが、水には自性が無く、風が吹くから波が立つわけで、実は、水と波とは同じものだということがわかります。
第十「秘密荘厳心・ひみつしょうごんしん」
(真言密教の心)
秘密荘厳心というのは、徹底的に自己の心を究めた境地です。
これまでの九種の住心は、次々と進んでいく途中の過程ですから、終着の固有の性質があるわけではなく、無自性です。各々が次の住心の因になっています。
日本が生んだ『空海』は仏教を代表する偉大な如来であります。
私達は如来の教えを学ぶ過程で、謙虚になり努力精進する姿勢を大切にしていかなければなりません。
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