2015年03月15日

信者になる前のキリスト教に対する思い

信者になる前のキリスト教に対する思い


HS会員になる前は、実はキリスト教にひかれていました。
当時は、キリスト教の愛の教えと、仏教の慈悲が似ているな〜、宗教の本質は洋の東西を問わず、他人に対しての、優しい気持ちが大事なのだなーぐらいの感覚でした。
また、正直なところ、キリスト教の教会の美しさや絵画、宗教音楽やステンドクラスなど、キリスト教の教え以外でも、見た目の美しさなど、世界の宗教の中では、一番素晴らしいという気持ちを持っていたと思います。

また、当時の仏教に関しての正直な気持ちは、何でこんな難しい内容の教えで、人が救えるのだろうかという気持ちと、感性的な部分での見た目の美しさや、宗教音楽に関しても、ぜんぜん違うなーと、単純に感じていました。

また、亡くなられた人の服を継ぎ合わせて、柿色に染めて衣服を身につけて修行していたと言う点で、当時の感想としては、いくら何でも、そんな服なんか着て、気になって修行なんかできのるか?など、たわいもない疑問も持っていました。

やはり、教会の静寂した中で、一人美しい女性が、神に対して真剣に祈っている姿は、その姿事態に自分の醜い心に対しての懺悔というか反省の気持ちを起こさせて、自分自身を振り返るきっかけになっていたと思います。

祈り.jpg



現時点での今の自分の認識から見て、聖書の福音書を読み返してみると、また違った視点で感じるものがあります。
当時は、意味がよく理解できなかった内容で以下の話があります。
『もし、誰かが、あなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には上着を与えなさい』と言うイエス様の言葉があります。

今でも理解しているとは言えませんが、どのような意味で理解し実践すべきかわかりません。

もしかしたら、キリスト教的な無我の教えかな…と思えたりします。怒りや欲望に対して、無我の気持ちで接しなさい。という意味かもしれません。憎しみに対して憎しみで返すなという教えだと思いますが。

また、『敵を愛し、迫害するもののために祈れ』と言う教えがありますが、なぜキリスト教国が、他の国に対して、侵略したりできるのか不思議でありました。(今は新約聖書の教えに旧約聖書ユダヤ教の教えが入りこんでいるためだとわかりましたが)

また、『あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになる、あなたの父に祈りなさい』とあります。
これは、いかにも自分は誰よりも信仰心があつく、”主”を信じ、誰よりも悟りが進んで自分の境地は菩薩や如来ですと外にアピールするなということを意味しているかもしれません。

また、『目は体の明かりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいであろう』とあるが、心の清らかさや、精神性の高さや悟りの内容によって、外見に現われると言うことでしょう。
一番、体の中で心の状態が反映されるのが目と言うことでしょうから、ある程度、外見で判断するとしたら目を見るのも一つの方法かもしれません。

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posted by ガンちゃん at 20:18 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月08日

臨死体験から学ぶ愛の大切さ

臨死体験から学ぶ愛の大切さ

クリスマスキャロルという小説があります。
スクルージという意地悪なお爺さんがクリスマスイブに、過去の幽霊、現在の幽霊、未来の幽霊に出会い、過去や未来において自分の行いがどれだけ人々を傷つけていたかを知るに至り、心を入れかえることによって、すべてが輝いて見えるようになったという話であったと記憶しています。
同じ環境であっても心を入れかえることで、すべてが美しくみえてくるという、宗教的体験でもあると思えます。

臨死体験という実際に霊的世界を体験した人たちは、だいたい共通する認識をもちます。
死に対しての不安がなくなり人生を充実して生きるようになります。
また、愛の大切さに気がつく人が多いようです。ほとんど全員が愛は人生で最も大切なものだと言うようになります。幸福と願望達成は愛の証明であり、愛に比べるとすべてのものは色あせて見えてくるという人が大半です。

また、あらゆるものと、つながっているという感覚があるそうです。宇宙にあるすべてのものとつながっているという感じを抱いて戻ってくるそうです。
臨死体験は知識に対しても、それまでになかった敬意を抱くようになります。
光りの存在に、勉強(学び)は死によって中断されることはないと言われた人もいます。
知識はあの世に携えていくことのできるものであり、来世全体が知識を追求するための世界になっているという人もいます。

また、トンネルを抜けると光りの人々に会うという経験談も有ります。物質的な光で構成されているわけではなく、あらゆるものに浸透し、人を愛で満たすような、美しい強い輝きを放っています。体験者は、「光といっても愛といってもいいのです。結局、同じことなのだろうと思います。」と語っています。
きわめて強い光であるにもかかわらず、眼を傷めることはありません。それどころか、暖かで力強く、生気にあふれているようです。

心臓発作の激痛が、死の苦しみから深い喜びにかわったという報告もあるようです。

こうした体験をするとその後の人生も全く違ったものになるようです。人生をこの世限りだとする人生観、唯物論的人生観からでは、人間は不安と苦しみから抜けることはできません。



ギリシャの哲学者、プラトンの著作『国家』最終章には、戦争で最後をとげたエルという人物が10日前後に生き返り、自分がみてきた死後の世界を語りだす「エルの物語」が書かれています。

戦争で最後をとげた多くの屍体が埋葬の為、運ばれてきましたが、エルの屍体だけが腐敗せず残っています。
12日目、まさに火葬されそうとする瞬間にエルはよみがえり、自分がみてきた死後の世界についての話を始めました。

天の穴と地の穴があり、真ん中に裁判官が坐っていて生前の生き方について、正しい行いをした人に関しては、右側の天を通って上に向かう道を教え、不正をおかした人達については、左側の下に向かう道を教えていました。

エルは近づくと、「おまえは死後の世界について、人間たちに教えなければならないから、ここで行われることをすべて残らずよく見聞きするように」と言われました。

内容は、死後の世界は各人が犯した罪の10倍の償いを受けることになります。犯した罪や悪行はその10倍返しで自分に跳ね返ってきます。善行に関しても同じ割合で自分にかえってきます。

霊的体験が自惚れや慢心につながるのではなく、愛の大切さを実感として感じとれるものでありたいと思えます。

本当の霊性とは、深い愛と関係があるような気がします。



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posted by ガンちゃん at 00:58 | Comment(1) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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