法に対する理解が人によってこれほど違ってくるのかと、少し驚いていると同時に、歴史の流れのなかで法が曲がっていく理由も、現在のなかにその萌芽があるのでしょうか。
確かに7次元の光の天使が地上に降りて修行する過程で、その使命実現のために8次元の大天使が指導するということは、学んだ記憶があります。
同時に、高級霊が私達の考えに合わせることはありません、私達(地上に降りた魂)が高級霊の悟りについていかなくてはならないのですと、読んだ記憶があるのですが、どの本に書いてあったかわかりません。
霊的修行とは厳しいものです。なかなか目に見える形で進歩した自分を認識できないし、釈迦の本心に書かれているように、7次元や8次元に上がっていくには、何十転生の間、不退転の気持ちで努力し続ける必要があります。
目立った成果が現れずに、数年、数十年コツコツ努力できる人は、それだけで私は偉人であると思います。
人それぞれ他人からはわからない心の苦しみや葛藤や悲しみを持っているものです。それを乗り越えながら努力精進を続けること事態、精神的あるいは霊的に進歩していると思います。
人智学のルドルフ・シュタイナーは霊的体験の注意点としていろいろと説明していますが、その一部について要約すると以下のような内容を述べています。
「汝の霊的体験については沈黙することを学べ・・・私達の思考力は物質的感覚的世界のなかで、いとなまれてきた日常の生活から獲得してきたものです。
今、私達が獲得しようとする霊的体験は、この世を超越したものです。ですから体験する新しい高さを、古い地上的尺度で測ろうとしてはいけません。
内的経験の観察を十分に積んだ後でのみ、それについて語り、周囲の人達にもその語る言葉で呼びかけることができます。」
つまり霊的現象が現実のものとして自分に降りてきても、その霊現象がよくわからない曖昧な状態で、周囲の人に語ってはいけないということです。
その霊現象に対して曖昧なところがないように十分に観察し考察する必要があります。その霊的なものが私達より上からくる場合もありますが、私達より低いところからくる場合もあるからです。
私の考えでは、高級霊が荒い波動で構成されている物質世界に来ることは非常に困難なことであり、人類のユートピアに貢献する使命のある人にはインスピレーションなりをおろしてくると考えますが、霊的現象がおきている本人に目的や使命の自覚がない状態で、上記で書きましたように認識における曖昧さがある状態で、多数の霊存在が降りてくるようなら、検証してみる必要があると考えます。
なぜなら、地上世界はもはや天上界より地獄界の方に波長が通じやすい状態であるからです。
あるいは、地上世界と地獄界が並行する状態で重なりあって相互に影響を与えあっているからです。
自分自身がいまだよくわからない状態で霊的現象を信じきるのは危険であると判断します。
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