31年目の日蓮の霊言の感想という形になるかなと思います。
振り返ってみると、幸福の科学の発展ぶりは尋常ではないと思えます。
当初は、入会するにあって書籍を10冊以上読みこんで、感想文を書いたうえで合否の連絡が来るという流れであったと思います。
やはり、当時はまだ幸福の科学という団体がよくわからないということで正直不安になりました。脱退も自由と書かれていたので、やばそうならすぐやめようと浅はかな考えで入会した記憶があります。
なぜ、入会にふみきったかと言いますと、そこにちょっとした霊的な体験があったことは事実です。
あまり自分のことを書くのはよろしくないと思いますが、ある書籍に真理にふれることで『涙が出て、胸が震えて・・・』という内容が書かれていた箇所がありまして、その文章を読んだ瞬間に、本当に胸が振動するのでビックリしたわけです。
感動して胸が震えるというのはわかりますが、自分自身の胸が物理的振動?する体験を、自分自身が客観的に見ているというような経験をして、入会しないといけないかなと思ったわけです。
1週間後ぐらいで合格通知が届きましたが、それほど使命感に裏付けられた自覚は無かったと思います。
学習期間が3年前後あったのでしょうか、90年代後半から大伝道期がはじまったと思います。
91年の最初の東京ドームでは、エルカンターレ宣言があったと思いますが、その時の総裁先生の眼は、いつもと違う霊的な眼であったのが印象的に覚えています。
「その時、天上界はからになる」とかいうキャッチフレーズがありましたが、とにかく迫力ある講演会でした。
その後9月くらいでしょうか、講談社フライデー事件がおきました。その時、初めて知ったことですが、マスコミは売り上げのためなら捏造しても平気な人種なのだと知りました。
それから講談社と幸福の科学の戦いがしばらく続いたのを覚えていますし、支部でも朝から晩まで大変だったと思います。
原点回帰には、やはり悪魔の攻撃があり重要な立場の人はよくねらわれていたようで○○局長に入ったとか書かれていました。
たしかに支部では人事異動がよくありましたので、特定の人が狙い撃ちにならないように組織が流動的でした。
それからエルカンターレ聖夜祭などいろいろありました。
阪神大震災の時は、婦人部がお金を集めてくれて、このお金でボランティアに行ってきなさいという感じで行ってきました。
とにかく水がでないので、水洗トイレが使えず、余震もあり、道路はグニャグニャのところもあり、古い建物がこわれ、窓ガラスが全部われていたというような状況でした。
布団などの物資がいろんなところから送られてきて、その整理をしていた記憶があります。
また、1999年が近づくにつれて、会員の使命感が強まる一方で、逆に裁きの念もあったのかなと思えます。
今はほとんどなくなったのではないかと思いますが、当初は、ブロック長や地区長など、なにか役職がつくと自分が偉くなったような誤解をして、会社と勘違いしているような人もいました。
幸福の科学の歴史のなかでの一つの教訓としては、役割上の違いによって指導的立場に立つ人もいるとは思いますが、修行者としてはすべて平等であると思います。
現時点で○○長という肩書があったとしても、それによって他の信者さんより偉くなったということではなく、主からみた修行者としては平等である、と自分は考えます。
すべては書けませんが、折に触れて現在に必要な過去の教訓があれば記事にしていきたいと考えています。
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