啐啄同時とは「禅」の言葉です。
「そつ」は雛が内側からたまごの殻をつつくこと。
「たく」は親鳥が外側から、殻をつつくことを言います。
ひなは自分のくちばしでたまごの殻をつつき、生まれてきますが、殻をつつくことで、自分の位置関係を親鳥におしえているのでしょう。
少しずつ時間をかけて自分で自分の殻を割っていきます・・・・。
親鳥は子どものペースに合わせて、それを応援する意味で、外から殻をつついてやる。
ひながまだつつこうとしていないのに、
親鳥が先につついて(からを破ってしまっては)ひなは生まれられません。
つまり、親鳥と雛のタイミングが合うと、雛の努力と親鳥の協力が合致した時、雛がスムーズに生まれる(たまごから出てこられる)という意味なのです。
早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ・・・・親子のタイミング、
つまり、子どもが「出よう」としている時を見計らって、
親がサポートする。そのタイミングが大事だということです。
子育てに対しての啐啄同時の意味は、上記のように雛の状況をよく観察し、よいタイミングを見計らって協力する、あくまでも子供の努力を尊重しながらのサポートが大切であると思えます。
宗教的な意味での啐啄同時とはどのようなものなのでしょうか。
いろんな解釈も可能であると思いますが、霊的な覚醒という意味で考えてみますと、まずは修行者としての自助努力、精進の姿勢が大切であるのは言うまでもありません。
縁起の理法を通じて原因結果の法則から自分のあり方や社会の進むべき方向性などを観察し、心の思いをよく統御しながら、相手の状況に合わせた適切な言葉を発し、行動を慎んで生活を正し、宗教的な努力を通じて、念を神や仏に向けていると(八正道)、霊天上界からの直接的、あるいは間接的な指導をうけるようになるのではないかと思います。
天上界からの指導やインスピレーションをうける大前提は、正しい方向における自助努力だと考えます。
あえて正しい方向とつけたのは、自助努力が本人の自惚れや、慢心につながらないためです。
自分自身の謙虚な精進の姿勢「そつ」と霊天上界からの指導や協力「たく」のタイミングが一致した時、修行者の霊的覚醒が可能になると考えます。
これをアニメ『巨人の星』の大リーグボール2号「消える魔球」で例えるとこのような意味になります。
「消える魔球」の原理は、右足で蹴られたマウンドの土が頭上まで跳ね上がり、ボールを離した直後にその土が縫い目に巻き込まれ、球が本塁近くで地面すれすれに下降および上昇して下の土を巻き上げ、同時に縫い目の土が球を包み、マウンドの土と本塁附近の土の保護色で消えるというものです。
ボールが鋭い角度で下降しながら上昇するので、土煙をまき上げ80%ボールを隠す。残りの20%が投球フォームにあり、足を高く蹴り上げることで土煙を高くまきあげ、ボールを投げた瞬間にボールの回転で土がボールの縫い目に吸い込まれる。やがてボールに巻き込まれた土がほぐれてボールの本体を包み込む形になり、やがて左右に土煙が広がり始め円盤状になり、80%の土煙と20%の土煙が協力した形でボールが消えるという原理です。
ボールが完全に消えるためには、ボール自身(巻き込まれた土がほぐれてボールを包み込む)と本塁付近でまき上がった土煙が一致した時、ボールは完全に消えることができるということです。
自助努力は大切であり、人間として地上に生まれ変わってくるということは、それ自体に努力を通して、地上における経験から教訓を学べという意味があると考えられます。
しかし、自助努力だけでも本当の意味における悟りを獲得することができないかもしれません。
霊天上界における協力、インスピレーション、霊的な光エネルギーの供給など異次元世界の協力が自助努力と結び付いた時に、完成された(完璧という意味ではありません)人間になると思えます。
ボール自身の土煙と本塁打付近の土煙の両方が一致した時、初めてボールが完全に消えるように・・・
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