四苦の苦しみとして老・病・死があります。
一般的な人間の考え方だと思うのですが、自分が年老いた姿というのは、なかなか想像できません。
若さのおごりという言葉もありますが、現在,自分のおかれている状況から数年、数十年後の自分の姿を考えることは難しいことだと思います。
また、健康な人が病気に関して心配することもあまりないことだと思います。しかし、一度でも大きな病気や事故にあうと、その後の人生で健康に注意しながら生きていくことが可能になります。
病気などで痛い目に遭うと食べ物に注意をしたり、一定の時間を利用して運動したりすることで、健康を確保しようとするでしょう。
しかし、死に関しては一度失敗した経験を教訓として、その後の人生にいかすということができません。死んだらすべてが無になって、苦しいと感じる自分の意識が消えると考えている人にとっては、死についての考えを先送りにしたいと思うかもしれませんし、そもそも考えもしないかもしれません。
宗教を含め、歴史のなかで死後の世界、霊的世界について書かれている本は、古今東西どこにでもありますが、現代では客観的に証明されることのない昔話であって軽んじて考えています。
しかし、死はどのような人にも必ず訪れます。霊界には大きく分けて天国と地獄があります。
霊的世界を信じない人は、地獄霊や悪魔からみれば操りやすい人間にみえるでしょう。
波長同通の法則により、地獄霊等に憑依されると、主体的に自分の意思に基づいて考え行動しているつもりが、実は、操り人形にされていたということもあります。
このような霊にあやつられたまま、死をむかえたらその霊と同じ霊界に、引きずり込まれるといわれています。
死んでからでは手遅れということです。なぜかといえば死んだ時点で結論が出ているからです。死んでから考えてもどうにもなりません。
試験当日に勉強しようとしても、もはや手遅れということになります。
正しい宗教や真実の哲学は、死の先にある世界を見据えて、今の実人生をどのような思いにおいて生きていくことが正しいのかを教えてくれます。
死んだら終りと考えて唯物論的な人生観で一生を終えるのか、霊界世界を受け入れて霊的価値観に基づいて実人生をいきていくのか、どちらを選ぶかによって結果が極端に違ってくるでしょう。
最終的には、肉体という目隠しをされた状態で、霊界という実在世界を信じることができるかどうか、この一点にかかっています。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学