2014年07月27日

宗教的戒律の隙を狙う悪魔的自由

宗教的戒律の隙を狙う悪魔的自由

仏教やキリスト教、イスラム教といった世界3大宗教やその他、民族宗教もふくめて宗教には戒律がともないます。
なぜ宗教に戒律が必要なのか、その根本的な意味と必要性を考えてみます。
仮に戒律がなかったらどのような事態になるかを逆に考えてみますと、自分自身を律する意志の強さや、精神が肉体の欲望(動物的属性)に負けないだけの精神力があれば、戒律によって行動を規制する必要が無いかもしれません。
しかし、宗教自体が広がるほど、いろんな考えを持った人達が集まってくるので、一定の方向性を提示する必要があると思います。
ネット社会であっても、社会人として、あるいは常識ある人間として人を誹謗中傷し、嘘を広めて人を貶めようとする行為は法律で規制していなくとも、するべきではありません。
戒律は人間が宗教的修行をしていくうえで、道を踏み外さないための防波堤になっていると考えられます。精神を向上させようとする修行僧が、毎日、お酒を飲み、好き勝手な生き方をして精神を向上させることはできないでしょう。
精神修行を完成させるために、戒律を通して日常生活や行動を規制し、意志の力を強めていくとも考えられます。

現代まで伝わっている宗教の戒律の一つにモーゼの十戒があります。
モーゼの十戒は以下の通りです。
一、汝、吾の外何者も神とすべからず。
二、汝、何の偶像も刻むべからず。
三、汝、吾が名をみだりに口に唱うべからず。
四、汝、安息日を覚えて、聖くすべし。
五、汝、父母を敬え。
六、汝、殺すなかれ。
七、汝、姦淫するなかれ。
八、汝、盗むなかれ。
九、汝、隣人につき偽証するなかれ。
十、汝、隣人の家を貪ることなかれ。

仏教では五戒は以下の通りです。
1、汝、殺すなかれ(不殺生)
2、汝、盗むなかれ(不偸盗)
3、汝、姦淫するなかれ(不邪淫)
4、汝、嘘をつくなかれ(不妄語)
5、汝、酒を飲むなかれ(不飲酒)

このように戒律で自分の行動を規制することは、ある意味で自由を阻害しているのではないかと考える人がでてくるかもしれません。
しかしこれは戒律のための戒律でなく、精神性向上のため、あるいは神仏からみた心の自由を得るためのものであると自分は考えます。

ヘーゲルは、自由について以下のように述べています。
「自由とは、精神のありかたの核心をいうことばである。個人の精神についていえば、個人が自立して自由にふるまいつつ、他人とゆたかな交流をもつこと、集団の精神についていえば、集団が個人の自由を保障しつつ、集団としての活力と統一性を保持すること、それが精神の自由である。
が、精神は、そもそもはじめから完全に自由を手にしているわけではない。自由になる可能性はあるが、この可能性が現実のものとなるには時間が、時間の集積としての歴史が、必要である。歴史の進行のなかで精神の本質がしだいに、あきらかになってくる。歴史とは自由の実現の過程だ、といわれるゆえだ。」

その自由を自分に引き寄せて都合の良い解釈をしていくのが悪魔です。あるいは戒律による欲望の統御を自由の疎外と感じさせ、他人を害する自分勝手な考え方及び行動を自由と称するのが悪魔です。

仏教の汝、殺すなかれ(不殺生)とモーゼの十戒の汝、殺すなかれ、は共通した教えであり、そこには普遍性があると思います。
しかし、この教えが100%正しい教えであり、どのような状況でも守るべき教えであるのでしょうか。
確かに、個人としては人を殺すことはゆるされるべきことではありません。魂修行をしている人間の命を個人の感情や都合によって奪うという行為は、仏法真理からみても罪であることは間違いありません。
個人としては正しい教えであっても、これが国レベルの問題に発展した時に、個人として正しい行為は国レベルでは悪になることもあると自分は思います。

隣国が日本を支配しようと意図して軍事力を強化しているのに、日本は戦争しません、憲法9条を守りますと言っている左翼系のとんでも絶対平和主義者がいたとします。
戦わないで属国になり奴隷のようなあつかいをされることが、正義なのでしょうか。
やはりそこに正義はあるといえないと自分は考えます。相手国が軍事力をもって攻めてくるならば、こちらも軍事力をもって戦うべきです。何もしなければ、その国すべての国民が地獄を見ることになってしまいます。

ここも悪魔が攻め込んでくる人間の弱い部分かと思えます。左よりの平和主義者は、何もしないことが平和の維持につながると思い違いをしていると思えますが、戦うべき時に戦わなければ、国民はより不幸のどん底に突き落とされることになるでしょう。

戒律も個人と全体では、解釈を加えなければいけないと思うし、時代性やその時の状況によっても例外はあるという視点は必要であると考えます。

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2014年07月25日

超常現象は否定しきれない「幻解!超常ファイル」は本当か

超常現象は否定しきれない「幻解!超常ファイル」は本当か

科学で証明できない、客観的に証明できないという理由で、第三者が確認できないことを否定してしまうことが近代的な認識のあり方だと考えられています。
霊界、幽霊、UFO、宇宙人等は、現代科学を超えた先にあることですから現在にある物差しで測ろうとしても測りきれるものではありません。
それを無理矢理こじつけて説明しようとすると、脳が幻覚を見た、あるいはフォールス・メモリー(実際に体験していないことを記憶に置き換えてしまう)でアブダクションされた人達の記憶違いにしてしまいます。
例えばUFOが撮影されたり、写真にとられたりして公表されていますが、適当な理由付けをされてインチキというあつかいに、もっていかれます。

江戸時代末期に茨城県の海岸に、円盤状の舟が漂着した話があります。

「享和三年(1803)、常陸の国、原舎浜というところに「うつろ舟」が漂着した。
その中には美しい女がひとり乗っており、異国の言葉を話し、舟には見たことのない文字が書かれていた。
舟には水や食料らしきものがあり、女は手に何か箱のようなものを持っていたが、決してそれを離そうとしなかった。
人々は漂着したその女を気の毒に思いながらも、へたに関わってお上に知れては大変と、大事になることを恐れて女を助けず、再び舟に戻して沖に返してしまった。」

うつろ舟 奇談.jpg

私自身は、この絵を見てもUFO以外に見えませんが、江戸時代に円盤など知る人がいたとも思えませんので、上記の絵は、全く根拠のないでたらめだとも思えません。
当時の人が見たままを書いたのでしょう。

また、ネッシーを調査するにあって、結論は見まちがいによる認識の誤りという方向にもっていきます。
流木の見まちがいだ、ネス湖のなかで、波に逆らって物体が進むようにみえる現象(精振現象)がおきて、それが恐竜に見えたのだなど、わかったつもりで否定しているのでしょうけど、流木と恐竜を見間違うわけ無いでしょう普通は。
いいかげんにしなさいと言いたい気持ちですが、初めに無いという結論ありきなので何をしても無駄という感じをうけます。

超常現象をすべて脳の作用にすりかえる人は、説得不可能ではないかという感じをうけます。
このような人はおそらく、死んでからも心臓が動いて意識だけはあるので、自分が死んだ自覚が持てずに自縛霊になって地上をうろうろしているタイプの人間なのかなと思います。

霊界とは摩訶不思議な世界ではなく(不思議なのはすべて脳の作用と考えて納得している自称偉い人)しっかりとした秩序に基づいて階層的に構築されている理論整然とした世界です。

「パイドン」プラトン著のなかでソクラテスは、哲学者の仕事とは、すなわち、魂の肉体からの解放にほかならないと述べています。
太陽の法には霊界における階層性と秩序、各次元における条件などが明確に述べられています。

現代の自称知識人たちは、魂といっても見たことないから信じられない。心の大切さを説いても心とは学術用語ではないといってすべてを脳の作用にし、感覚器官で確認できないものは客観的でないので否定します。
このような人たちは言葉を選ばないといけませんが、退化霊なのかもしれません。
学問と称して神仏を否定し、霊界や人間の魂を否定し、確認できるもの以外は分からないというのであれば原始人とあまり変わりがないように感じられます。

すぐれた科学者はすべて神を信じています。神が存在するに違いないという前提で理論を構築しています。ギリシャ時代の哲学者は神の存在をほとんどの人が信じていました。
近現代に近づくほど神や魂の認識が曖昧になり否定する方向に流れています。
現代の人達は、2500年前の人達にくらべて進化しているのでしょうか。技術的なものや科学的な分野など進歩していますが、精神性に関してあるいは信仰心についての大切さとう点に関しては昔の人達の方が良く知っていたと思います。


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