本田圭祐の守護霊インタビューを読んでいたら、極真空手が思い浮かんできました。
極真空手の創始者は大山倍達という方で、テレビアニメの空手バカ一代の主人公であった人だと思います。以前、大山倍達氏が書かれた著書を何冊か読んだことがあったのですが、本田圭祐守護霊が話された内容と似ている部分があったので、ふと思い出しました。
本田守護霊は、奇跡に味をしめたら、プロとして駄目になると言われていました。また一瞬の判断、時間にして0.1秒の差が勝敗をわける、しかしその0.1秒を速めるためには、どのくらいの練習をしなければいけないかといいますと千時間じゃとても足りないと言われていたと思います。
大山倍達氏も勝敗は、0.1秒のスピードの差で、瞬時に相手の間合いを見切り正確に技を決めることができれば勝負に勝つことができるが、そのコンマ何秒の壁を破るのが非常に難しく、人の何十倍も練習する必要がある、という内容を述べられていたと思います。
常人からみれば、あらゆる分野の格闘家と対決し負け知らずで、人間と戦うことを乗り越えて牛と戦い、手刀でビール瓶をわり、更に、石を手刀でわり、十円玉を指で曲げ、という信じられない神業を繰り広げてきました。
普通は石を割ろうなどという発想すらわかないと思いますが、限りなく強さを求めていたのでしょう。
しかし、本田圭祐氏が心理学や宗教を学んでいたように、今、思いかえしてみると大山倍達氏の著書にも仏教的な内容が書かれていたように思います。
強さだけではなく、人間としての正しい生き方も勉強されていたのでしょう。
極真とは、真を極めると書きますので人間として、武道家としての道を極めようとされていたのだと思います。
大山倍達の名言です。適当に抜粋しましたので、宗教を学ぶうえでも何かの参考になるかもしれません。
頭は低く目は高く 口慎んで 心広く 孝を原点とし 他を益する。
金を失うことは小さい事である。信用を失うことは大きい事である。勇気を失うことは自分を失う事である。
実践なければ証明されない。証明なければ信用されない。信用なければ尊敬されない。
継続は力なり
権力にこびることなく 暴力に屈することなく 常に弱者の味方である。
正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり。
受けた恩は忘れるな。受けた恨みは忘れてしまえ。
道端で靴を踏んだ 肩が触れたら 君たちが頭を下げればいいよ。頭を下げてケンカを売ってくる人はいないよ。もしケンカを売ってきたらのばしてしまえ。何のために空手をやっているんだ。
人間にとって最も怖いのは、飢えと孤独だ。
何のために強くなるか?それは自分に打ち勝つためであり、義を通すためであり、人を導くためである。
もし大山倍達の霊言がでるようなことがあれば、世界中に広がる極真空手の門下生や格闘技ファンは、非常に関心をもって読まれるのではないかと思います。

最後に極真空手全日本空手道選手権大会の一試合をアップします。
このような世界もあるのかということで、世界観が広がれば幸いです。


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