自分の悩みが他人にはわからないのと同じように、自分もまた、他の人の苦しみや悲しみを相手の外見から判断するのは難しいものです。
しかし、他の人の苦しみや悲しみを理解できる人、理解しようとする人は、おそらく自分自身が過去の人生で苦しみや悲しみに耐えてきた人であると自分は考えます。
苦しみの原因は個人によっていろいろあると思いますが、一般的にあてはまるであろう原因は、未来に対しての心配事と、過去の失敗に対しての心の傷ではないかと思います。
私も過去の仕事上の失敗や人間関係をいつまでも悩んでいるタイプの人間で、過ぎたことをくよくよと現在起きた事件のごとく悩んでいました。
ただ過去は変えることはできませんので、自分に間違いがあったならば、もう素直になって反省する以外にありません。
未来に対しては自分の努力の範囲で変えていける可能性があります。
さわやかに朗らかに生きていくにはどうすれば良いのか、自分もまだ人様に言える程、さわやかに朗らかに生きているかどうか疑問ですが、そのように生きようと決意し努力していることは間違いがないので、話す資格はあるのではないかと思います。
朗(ほが)らかに生きるためには、「朗らかに生きよう」と努力すること、決意することから出発していけばよいと思います。と教わっています。
しかし、さわやかに朗らかに生きようと思って生きられるなら、それほど苦労がないわけで、内気な自分にはとても無理ではないかと考えてしまうものです。
ここで潜在意識について考えてみます。人間は10〜20パーセントは表面意識で物事を判断していますが、更に深いところに潜在意識といわれる無意識の領域があるといわれています。
この潜在意識という畑にどのような種を蒔くかによって人生が大きく変わるのではないかと思います。
ジェームズ・アレンは、「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」といわれています。どのような意味が含まれているのでしょうか。
人間は思うこと、正確に言えば思い続けること、持続する思いは潜在意識という領域に種を蒔いて育てていることと同じであると言えるのではないかと思います。
その蒔いた種が幸福の種なら、幸福な未来が時間の経過と共に形作られると考えられます。
しかし、蒔いた種が毒麦の種であったらどのようになるのでしょうか。自分の身体に悪い食べ物を食べれば日々、身体が弱っていくのと同じように、心で思う持続イメージが自分や他人を苦しめる内容であるならば、明るい未来を開くことはできないでしょうし、さわやかに朗らかに生きていきたいと思う自分自身が目指すべき方向とは逆に進んでいることになります。
潜在意識は、相手に対して思ったことであろうと、自分自身に対して思ったことであろうと、思っていることそれ自体を実現してしまう力があります。
相手に対して悪しき思いを描いたということは、潜在意識にとっては相手や自分に関係がなく、その悪しき思いを実現しようと働きだすので、思いに対する結果が自分に跳ね返ってきて、報いをうけることになります。
仏教的には、因・縁・果・報と言われていますが、蒔いた種は自分が刈りとる仕組みが宇宙の法則として有ると考えられます。
人を呪えば、それは自分を呪っているのと同じであると言えます。
逆に、相手に対して優しい気持ちになることができた、自分自身を努力して変えようとした、そのような思いも、継続的に努力して思うことができるようになれば、相手に対して優しく思うことができるその思いは潜在意識に蒔かれて、環境や自分自身の性格も変わっていくのでしょう。
思いは自然のままの状態にしておくと、どうしても他人を悪く見たり、嫉妬したり、環境の責任にしたくなります。それは自分でも経験することなので、なかなか天使のような心の状態で生きていくことは難しいのはよくわかっているつもりです。
しかし、相手に優しくしよう、弱い自分を克服しようと努力するなかに、やがて、さわやかに朗らかに生きている自分が見つかるような気がします。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学