2014年06月28日

民主主義の理想 複数の価値を認める

民主主義の理想 複数の価値を認める

民主主義には二つの流れがあると思います。一つは「結果平等」に流れるスタイルで、国民一人一人が享受できる結果を平等にしたいという考え方です。
もう一つは結果平等ではなく、「機会やチャンスの平等」を重要視する考え方です。
結果平等に強く引かれていきますと共産主義なります。共産主義とは共同で財産を持つという考えですから、生産手段を国家が管理するという考えでしょう。
工場や新聞社、放送局などすべてが国の管理下に置かれることを意味しています。
もう一点をあげるとするならば私有財産の否定ということになります。財産は平等でみんなのものであり個人としては財産を持ってはいけないというものです。

19世紀頃に始まった産業革命よって、世界中に貧民層が生まれてしまいます。それによって、資本主義が進めば進むほど貧富の格差が広がってしまうと思われてしまいました。
そのような時代の流れの中で、私有財産は悪という社会主義思想が正しいと思われてしまいます。

1917年にロシア革命によって世界に初めて社会主義経済、私有財産や相続権を否定する国が誕生したのです。
ロシア革命では、ロマノフ王朝の皇帝一家は一人残らず殺されてしまいます。皇帝の馬まで殺されたというのですから社会主義は恐ろしい思想であると思います。20世紀の文明にあって、国の皇帝が皆殺しにされるということはかつてなかったことです。

一方、機会やチャンスの平等につながる民主主義とは自由主義であります。自由主義とは生まれついての身分や財産、親の職業などに関係なく、すべての人に選択の自由が存在する社会です。
自由主義とは多様なる価値観を求める考え方であり、複数制の中から生じてくると言われています。

古代にギリシャ哲学者たちは民主主義をどのように考えていたかといいますと、民主主義は貧乏人には有利に働いて、お金持ちに対しては、厳しい制度であると考えていたようです。
寡頭制というものがありますが、これは少数支配でお金持ちに対しては有利に働く制度です。

アリストテレスは、少数支配が徳を中心とする制度になると貴族制になると考えていたようです。

しかし、この民主主義にも最大に弱点があると思います。それは、成功した人、お金持ちの人達に対しての嫉妬心や猜疑心に基づく政治になっていくことです。
成功者に対して嫉妬心を抱くシステムになっていきますと、働かなくても適当な理由で国からお金が支給され、まじめに働けば損をし、働かなければ得をするという方向に向かってしまいます。
民主主義が堕落した形、衆愚制になります。

民主義の優れている点、機会やチャンスの平等を保障することで貧乏な家庭からであろうが、大金持ちの家庭であろうが、自助努力によって道を切り開いていく可能性があり、それによって成功すれば社会的にも尊敬される立場に上がっていけるチャンスがあるわけです。

機会やチャンスによって繁栄を享受できることが民主主義の長所とするならば、その反面としての弱点はどこにあるのでしょうか。
それは「理性に基づいた支配」よりも「感情による支配」があるということです。特に日本人は感情に支配されやすいと言いますか空気によって状況を判断しやすいのではないかという感じをうけます。
民主主義は多数決の原理によって成り立っていますから、政治などは感情によって動きやすいという危険性があります。
その為に少数派の良く勉強をしている理性的な人の意見に対して、まったく耳を傾けようとしないで、感情的に物事を判断しようとする大多数によって政治の方向性が決まってしまいます。

そのように民主主義の弱点を克服していくには、どうしていくべきか。
考えることができる人が、自由の主体であるべきだと「政治哲学の原点」で述べられています。

人間にはいろんなタイプの人がいますので、すべてを一元的な管理下に置こうという考え、全体主義的な考えには無理があります。

多様な価値観や考え方、複数制を認めたうえで、議論をしながら最大多数の幸福を実現する方向性を選択することが、個人及び国家にとって幸福な世界ではないかと考えます。

民主主義が繁栄するための条件は、個人が「考える人、考えることができる人」が前提であり、更に神仏の心を知っていること、あるいは、真理を学ぼうとうする姿勢が大切であると思います。

神仏の光を体現している真実の宗教と政治が融合した時に、国は繁栄し国民は最大の幸福を享受できると考えます。


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posted by ガンちゃん at 17:08 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

イザヤ書の第一イザヤの預言

イザヤ書の第一イザヤの預言

旧約聖書の前半に登場するイザヤについて、二つの重要な預言と思われる箇所について考えてみます。
イザヤなる存在は旧約聖書に登場する預言者のなかでも重要な位置付けのようです。
第六章には、ある日、イザヤは玉座に座る主を見ます。その玉座の周りにはセラピム(セラフィム)達がいたと書かれています。
おのおの六つの翼をもっていた。その二つ翼をもって顔を覆い、二つの翼で足を覆い、二つをもって飛びかけり・・・・ということで天使を見るという神秘体験を通して、預言者としての召命をうけることになります。
また、第七章ではイエス・キリスト生誕の預言と思われる箇所があります。
「主はみずから一つのしるしをあなたがたに与える。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と蜂蜜とを食べる。」と書かれていますが、一般的にイエスが生誕される預言と言われています。


また十四章にはルシ○○が天上界から落とされた描写だと思われる箇所があります。
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から堕ちてしまった。
もろもろの国を倒したもの者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
あなたはさきに心のうちに言った。
『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
しかしあなたは陰府(よみ)に落とされ、穴の奥底に入れられる。」
また、
「やがて来るその日、その強く大きく鋭い剣を以て、太い蛇レビヤタン、くねる蛇レビヤタンを追い詰め、海の竜を殺す」。
よくサタ○のことを聖書では竜と表現していると自分は理解しています。
レビヤタン・・レビヤタン・・レプタリアンやはり旧約の預言者もルシ○○の正体が実は爬虫類型の宇宙人といいますか、霊的存在形式がレプタリアンであることを描写したのでしょうか。

ヨハネの黙示録にもサタンが天使との戦いで地に落とされた描写が書かれています。
「さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たヘビは、地に投げ落とされ、その使たちも、もろもろに投げ落とされた。」と書かれています。

黙示録のヨハネは天上界にあるアカシックレコードを読んだと言われていますので、一億数千年前に起きた大事件をみてきたのでしょう。

イザヤと言っても何人かイザヤという名前の存在がいますので、上記で取り上げたイザヤは第一イザヤということになります。

旧約聖書と新約聖書は同じ神ではないことは福音書の教えの内容から推測しても明らかです。
旧約は戦いの神あるいは、裁きの神です。裁きの神・ヤハウェ以外にも、エローヒムの神の名も出てきますので、ユダヤの民族神から愛の神による世界宗教に移行しようとする計画があったのでしょうか。

ユダヤの民族神は戦いの神であると思われるので、新約の福音書における愛の教えと同時に旧約聖書をセットで読むことで、歴史の流れの中で戦争がおきたのでしょう。

第一イザヤの預言の中で重要な点は、救世主誕生の予言と、元大天使であった存在が神に嫉妬して自分が神になりかわろうとした結果、地獄に落ちてしまった。

自分はこの二つの預言は重要であると考えています。

愛の教えこそ民族の枠におさまらない世界宗教としての普遍的な教えであると思います。愛の教えは地球的あるいは宇宙を支配している法則であるので、愛の教えが広がることで民族の違いによる宗教同士の争いがなくなり、地球として一つにまとまっていくのではないかと考えられます。



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posted by ガンちゃん at 02:07 | Comment(3) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする