2014年05月23日

竜宮界の秘密 美の観点からみた善悪とは

竜宮界の秘密 美の観点からみた善悪とは

豊玉姫様は、なかなかご本心をお証にされない感じをうけますが、竜宮界といわれる霊的世界をどのような視点から考察すれば良いのか、ちょっとつかみどころがないという感じをうけるのですが、真理を美、調和、心の清らかさという観点で地上に広げようとする力が女神のお仕事であると感じられます。
また、女性の美と、美しい海とは、何か関係があるのかもしれません。
ギリシャにあっても海の美しさとヘルメスの愛の教えが融合して、愛の中に美しさと知が内包されていたと教わっています。

余談ですが、私自身も沈みゆく夕陽が海に反射して、オレンジ色に輝いている風景を見るのが好きです。

夕日の中のカップル.jpg

恋人同士が、海に沈んで行く夕陽を眺めながら、語り合う姿は何となく微笑ましい感じがします。

美と心の清らかさと調和が、三位一体となって、女神の世界である美が実現されていくと思えます。
表面だけ美しく見せようとしても、心の中が自我、我欲であったりしては、他の人との調和も実現できませんし、心の清らかさという観点でチェックしても、天上界にある美を表現することはできないのでしょう。

文学にしても、読み終わった後に感動を覚える著作もあれば、ただ人間の欲望を描いたような地獄文学もあります。文学という領域であっても、感動を与える小説は美しいものでしょう。逆に読み終わった後に不快を感じるような文学は、地獄的な要素が含まれていると言えると思います。

昔からギリシャには「悪魔は芸術を解さない」ということわざがあると言います。美という観点から善悪を判断しようとした場合、どのなるのでしょうか。
例えば、絵画などは芸術家の魂の生地が表現されていると思います。
以前テレビで、ムンクの叫びについて、芸術的観点からその素晴らしさを説明していた女性の芸術家がいましたが、私のようなど素人が観ても、心が安らぐというよりは何か首を絞められた息苦しさを感じますが、どうなのでしょうか。
正直、ムンクの叫びの絵画と一緒の部屋には住めないなという感じです。

魂の美しさとは何かという切り口から、真理を探究するのも大切なことであると思えます。



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posted by ガンちゃん at 02:10 | Comment(2) | 総裁先生の本を読んだ感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月19日

瀬戸内寂聴を霊査する 日本仏教の闇

瀬戸内寂聴を霊査する 日本仏教の闇

中途半端に仏教を学ぶことの弊害といいますか、俗にいう生悟りほど怖いものはないという感じでしょうか。

瀬戸内寂聴自身の魂の傾向性、過去世における業など、いろんな条件による本人の問題もあるのでしょうが、日本の仏教界自体にも問題があるということが、再認識された内容であったと思います。
瀬戸内寂聴さんは、仏教でいうところの六大煩悩「貪」「瞋」「癡」「慢」「疑」「悪見」をすべて体現していたかもしれません。
ある意味で、口が達者な方であるようなので、仏教を学んだことがない人が、仏教用語を使いながら話しまくられたら、何だかわからないけど「そうかー」と思ってしまうかもしれません。

瀬戸内寂聴さんの問題もさることながら、日本仏教界における闇も明らかになったと考えられます。
やはり、天台宗の系統である天台本覚思想に問題があります。日本の仏教界における間違った思想が、ここから流れているために、仏教における修行論のところがすべて吹き飛んでしまいました。
「一切衆生悉皆成仏」すべての人は成仏します、仏様になってしまいますという考え方、そのままで悟った存在であるという思想であるならば、自分に都合のいいように解釈のし放題にされてしまうでしょう。現実に仏教は欲望や煩悩など、肉体に基づく欲望を否定し、人間の本質である霊性を磨きだす、修行を完成させる過程で、どれだけ多くの人に法をお伝えするか「上求菩提・下化衆生」が仏教の本道だと思うのですが、そのまますべてが肯定されるならば、仏教でも宗教でもないと言わざるをえません。

トマス・アクィナスは、どの信仰を選ぶかは、理性による判断が大切であるというようなことを言われていたと思います。
もちろん、理性に基づく合理的判断だけでは信仰が成り立ちませんが、信仰する前の段階で、どの宗教がより神の教えを体現しているかを判断するのは、優れた理性によるものであるというようなことを書かれていたと思います。

仏教は基本的には、自分自身の努力による自己確立が大切であるという教えだと思うのですが、なぜか日本に伝わってくる過程で、一切衆生悉皆成仏、そのままで悟った存在であるという教えに変形してしまいました。なぜなのでしょうか?
仏教が伝わってくる以前の日本的な文化の底流にはアニミズム(自然崇拝や精霊崇拝)があるといわれています。この石は霊力が宿っているとか、あるいは自然界にある木を崇拝したりします。また、蛇とか狐などを崇拝する動物信仰のようなものもあります。
日本人には、このアニミズムのように自然のままでありがたい的な、信仰形態が根付いているようです。

しかし高度な宗教、高等宗教には教義、教えがあります。高等宗教には、人間としての生き方はいかにあるべきかを教え、この教えに則って生きれば、天国に帰ることができ、地獄に堕ちて苦しむことはありません。しかし、教えに反した生き方をしたならば、死後、苦しみが待っていますというように、人間としての正しい生き方が説かれています。
宗教とは価値観を提示し、物事の正邪を教えるものであると教わっています。

ところが自然崇拝には、そのような物事の正邪を分かつ価値判断は必要なく、あるがままで素晴らしいという信仰ですから、これが仏教と一体になって、人間はあるがままで素晴らしい、すでに悟った存在なのだという信仰形態、天台本覚思想、だれでもそのままで簡単に仏になれるという一切衆生悉皆成仏になってしまったのかもしれません。

この天台本覚思想を何とかしなければ、第2、第3の瀬戸内寂聴や、間違った仏教学者が現れてしまうと感じます。
やはり仏陀である大川総裁先生の説かれる仏教的世界観に基づいて、日本にある間違った仏教の教えを正していく必要があると思われます。


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posted by ガンちゃん at 01:03 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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