2014年04月17日

コメントに対しての返答その2 開祖と後世の弟子

コメントに対しての返答その2 開祖と後世の弟子

キリスト教は未来に残すべきではない宗教ということで、長々とコメントを下さった方がいらっしゃいましたが、それに対して私なりの主観的な意見を述べてみます。

長すぎて意味がよくつかめなかったのですが、だいたい以下の内容でしょうか。
「キリスト教の神は裁きの神である。歴史を振り返ってみて政治とキリスト教が一体となって侵略行為が行われてきた。」
だいたい以上の理由でキリスト教は未来に残してはいけない宗教という結論を出されたのでしょうか。

私の反論ですが、聖書には旧約聖書と新約聖書がありますが、裁きの神は旧約聖書に登場する神で、旧約はユダヤ教であり、民族宗教です。
新約聖書の福音書こそがイエス様の教えであり、イエス様を霊天上界から指導されていた神は、愛の神であった。その証拠は、イエス様の教えは愛の教えであるからです。
福音書のどこを読んでも、イエス様が裁いている様子は伺えません。

『汝の敵を愛し、迫害するものの為に祈れ。〜天の父は、悪い者の上にも、良い者の上にも太陽を昇らせ、正しい者にも、正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。』と述べられています。
この言葉には、すべての人間は神や仏の慈悲の光をうけとることができるという点で平等に愛されていると考えることができます。

しかし反面ではこのような言葉も残されています。

『狭き門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者は多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。』

すべての人は神仏から平等に愛されていますが、自分の人生をどのように生きてきたのかによって天国の門を通ることができるかどうか公平に判定されるのでしょう。
命とは、人間の本質である霊性、魂のことであり、人間の本質を見出す人は現代も、2000年前も少ないのでしょう。
滅びに至る門は大きく、そこから入って行く者は多いとは、人間は肉体がすべてという唯物論的な考えで肉体に基づく欲望のままに生きている人は、滅びの門の前に立っているということかなと思います。
感覚器官では確認できませんので、信じるかどうかの判断は、最終的には自分自身によりますが、真理を深く探求するほど、人間機械論的な考えは間違えであると確信できるのではないでしょうか。

上記の理由により、キリスト教の神は裁きの神ではなく、愛の神であり、時代が下って、領土拡大と布教が一体化した侵略的行為はイエス様の本意ではなかったということです。


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posted by ガンちゃん at 22:24 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

レプタリアンの生態を考察する

レプタリアンの生態を考察する

動物のサイズ・大きさが違うと、運動能力や寿命、あるいは、時間の流れる速さも違ってくるようです。
ところが一生の間に打つ心臓の総数や体重あたりの総エネルギー使用量は、サイズに関係なく同じであるそうです。ゾウの時間ネズミの時間 本川達雄著 参照
寿命を心臓の鼓動時間によって割ってみると、哺乳類ではどの動物も一生の間に心臓は20億回、打つという計算になるそうです。
また、寿命を呼吸する時間で割れば、一生の間に約5億回でこれも哺乳類であれば、身体のサイズによらず、ほぼ同じ値になるようです。

生物の時間とは、円環的時間のようです。心臓の鼓動間隔は繰り返しの時間感覚です。息を吸ったりはいたりするのも繰り返し行われます。血液の循環時間など繰り返しの単位時間であります。
生物は、この繰り返しの時間速度が体重によって変わってきます。
体重が増えるほど時間がかかるということですが、これは経験則でもうなずけます。
繰り返しということは、一回転・一往復ということですから、周期と考えることができます。
一回転して元に戻ってくる時間が長いほどサイズが大きく、サイズが小さいものほど一回転にようする時間が短いということでしょう。
時間は大きさによって違うのに、ネズミもゾウも一生の間に、うつ心臓の鼓動回数は同じということはどういうことなのでしょうか。
これは生物に与えられたエネルギー量は同じであるが、動物の大きさによって単位時間に使用するエネルギー量が違うのではないかと推測できます。
サイズの小さい生物は単位時間に大量のエネルギーを消費するので運動速度が速く時間の経過も速いが、サイズの大きい生物は単位時間に消費するエネルギー量が少ないので運動速度が遅く時間の経過もゆるやかと考えることができると思います。
ですから、小さい動物ほど寿命が短く、大きい動物ほど寿命が長いのかもしれません。
物理的時間と生物の時間は違ったとらえ方をしなければいないと考えられます。

上記の内容を参考にして、宇宙爬虫類レプタリアンについて考えてみます。
レプタリアンの特徴は競争を通しての進化と、その無限に近い食欲ではないかと考えられます。
レプタリアンは弱肉強食の世界の中で常に戦い続けているので、消費するエネルギーは単位時間あたり通常の生物より多いと考えられます。
サイズが大きい、体重が重ければ周期が長くなるので運動量は少なく、時間の流れも遅いと考えられますが、レプタリアンの場合は、サイズが大きいわりには、運動速度も速く、時の流れも速いように感じられます。人間を含め生物の身体の構造は複雑に出来ていますので、動けば動くほどエントロピーの法則に従って崩壊する方向に向かうはずですが、実際に身体が崩壊しない理由は、外部からエネルギーを補給しているからではないかと考えられます。
外部からのエネルギー源が何かといえば、食糧ということになると思います。
身体が大きければ運動速度が遅く、エネルギーの消費量も少ないから時間の流れも遅いはずですが、レプタリアンの場合は逆なので、他からエネルギーを補給しなければ、身体を維持できないのでしょう。
それが通常の生物より食料を大量に確保しなければならない理由ではないかと考えられます。




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posted by ガンちゃん at 00:43 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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