2014年02月20日

正しい霊能者の条件とは

正しい霊能者の条件とは

悪霊といわれる存在の惑わしをうけない、正しい霊能者の条件について考えてみます。
基本的な生活態度として、自分自身の意思の力で欲望を統御し、ストイックな面がなければ、本物でないと言われています。そのようなストイック的な面が防波堤となって間違った霊存在の侵入を防ぐことになっていると思えます。
仏教の修業は、「戒」「定」「慧」と言われています。戒律を守り、禅定を通して智慧を得ることができるといわれていますが、最初の戒律を守る強い意志、常に自分自身を節制しストイックな生き方をすること自体に、悪霊の惑わしを防ぐ防波堤としての効果が、戒律にはあるのかなと思います。

また、霊現象をおこす主体となるべき霊能者は、しっかりと教学を学び理解しておく必要があります。
かなりの教養や知識を身につけておかなければならないといわれています。
理由は、かつて宗教を学んで地獄に落ちたような坊さんは、宗教的な専門用語を使って惑わしてきますので、そのような言葉に騙されない為にも、しっかりと知識を身につけ、日々研鑽する必要があるわけです。
一般的に霊現象をおこしやすい人は、感性的な人が多いといわれています。確かに知に傾き過ぎると、感性的な部分が鈍ってきて霊的な感覚が鈍るかもしれませんが、あえて自分の一番大切なものを護るという意味で仕方ない面があると思います。
しかし問題なのは、増上慢の傾向が強い方、自分は偉いのだと思う傾向、とにもかくにも相手を見下す傾向のある方は、いくら知識を勉強しても、最終的には魔界のものの霊指導を見破ることができません。
自惚れていて慢心していては、絶対に魔界の者の惑わしだと気がつかないのです。

また、霊能者自身の問題として、その人がこの世的に非常にコンプレックスを持っている場合、要注意であると教わっています。
もちろんコンプレックス自体が悪いというわけではありません。宗教家になるためには、いろいろな困難や挫折を経験する必要があり、その苦労のはてに神仏の道を求めて修行するということは、過去の歴史においてもよくある話ですし、自分の苦しみや悲しみを通して相手の気持ちが自分のこととしてわかるからです。
しかし、その部分が十分に昇華されていなくて、自分自身のコンプレックスや劣等感の、補償作用、埋め合わせとして、そのような霊能力を誇示し、使いたいという方向に行きますと、そこに魔界の者が入ってきます。そして、それを押さえる手段はないといわれています。

相手を見下すような発言や、自分は他の人より立場が上なのだという思いあがりがあると、惑わしをうけても見抜けないといわれていますので、注意が必要だと思います。



ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 01:26 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月15日

慈悲の力と時間について

慈悲の力と時間について

「慈悲は、あなたを、この世の敵、地球上の敵から護ります。
さらには、宇宙の敵からも護ります。
悪霊、悪魔、そして他惑星から来た邪悪なる宇宙人からも護るのです。
慈悲のみが、彼らを撃退できるのです。
彼らは、慈悲の心に打ち勝つことはできません。
慈悲とは、この地球の力なのです。」救世の法

慈悲とは、それほどの力があるということです。宗教的な普遍的愛、ヘルメスやイエス・キリスト的な愛の思想と仏教的な悟り、あるいは高度な哲学的な悟りが融合すると、それが慈悲の心となって結実するのでしょう。
私のブログの副タイトルに「時間は慈悲である」と書かれていますが、これは適当に付けたわけではなく、自分なりに考えて付けたわけです。
自分なりの考えですからこの考えが必ずしも正しいとは言えませんが、三次元的に時間と表現している言葉は、宗教的あるいは、仏の立場でいえば慈悲とよばれているものに対応しているのではないかと考えています。

ニュートンはあらゆる観測者にとって一様に流れる時間(絶対時間)を仮定して、力学の体系を作り上げました。また、時間は一方向にしか流れないことは、エントロピーの増大の法則と結びつけて説明する場合もあります。さらに相対性理論によりますと相対運動する座標系の時間は進み方が遅くなり(速度が光速に近づくほど時間の進み方が遅そくなる)、また、強い重力場でも、時間の進み方が遅そくなる(一般相対性理論)と説明されていたと思います。
キリスト教父アウグスティヌスは、過去、現在、未来を意識と結び付けて過去は記憶であり、現在は直観であり、未来とは期待であると述べられていたと思います。過去、現在、未来とは心の中に存在し、心以外にそれを認めないのである。といわれていましたが、心とは人間の本質であり霊界と深い関係にあります。霊界といわれる4次元以降の世界は、過去・現在・未来が同一空間を共有していると教わっていますが、4次元以降の法則を心と結びつけて説明されていると自分は理解しています。
カントは時間と空間を、他の条件や経験、考え方などに左右されることがないという意味で、純粋直観とよんでいたと思います。人間の直感は、必然的に時間・空間の中で働かざるを得ません。それゆえに時間と空間は人間にとって根本的な直観の形式である。といった説明であると自分は理解しています。

科学者や哲学者、思想家達が時間について説明されていますが、慈悲との関係はどうなのかと考えてみますと、慈悲はすべての存在をあらしめている力であると自分は考えています。存在は仏の念によって創られたといわれていますが、その存在をあらしめる念がなくなると、すべての存在は消滅するということでしょう。
「時こそ霊的なできごとを現す、またそれを可能とするエネルギーの一形態である」と述べている人もいます。
私達は現象の変化を通して時間の経過を知ることができます。現象が変化するということは、そこにエネルギーの作用がなければなりません。エネルギーが作用したということは、その分だけエネルギーが使われたということであり、消費したということになります。時間とは自然界におけるエネルギーの消費につながっています。
時は現象の変化であり、現象はエネルギーの消費を意味するものであるならば、自然界の現象の変化が激しいければエネルギーの消費も大きく、時の進み方も速いはずです。時の経過が速いということは短い時間に大量のエネルギーを消費したということにつながると思います。
例えばバケツに10リットルの水(エネルギー)が入っていると考えます。1秒間に全部流せば、10リットル分のエネルギーが発生(現象の変化が激しい)し、時間は1秒間です。しかし、1秒間に1リットルずつ流せば、1秒間に1リットル分のエネルギーが発生(現象の変化がゆるやか)し、時間は10秒間に伸びます。
この場合のエネルギーとは、高次元から流れているエネルギーをさしています。9次元→8次元→7次元→6次元というかたちで高次元から下次元に向かって流れている愛の大河であります。
もし、仏が高次元から流れるエネルギーの供給を断ち切ったらどうなるか。おそらく時間が止まり、存在は消えてなくなるでしょう。
ですから、私達が存在している事実こそ、仏の慈悲が働いている証拠であります。ですから時間と慈悲は同じものであり、みる視点によって呼び方が違うだけであると自分は理解しています。

ですから上記で引用しましたように、悪霊、悪魔、邪悪な宇宙人ですら、その存在が許されているということじたい、仏の掌の中にあると言えると思います。
そして、私達の心の中にある他の人にやさしくしたいという気持ちは、この存在をあらしめている仏の慈悲の現れであると自分は考えています。



ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 16:47 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。