悪霊といわれる存在の惑わしをうけない、正しい霊能者の条件について考えてみます。
基本的な生活態度として、自分自身の意思の力で欲望を統御し、ストイックな面がなければ、本物でないと言われています。そのようなストイック的な面が防波堤となって間違った霊存在の侵入を防ぐことになっていると思えます。
仏教の修業は、「戒」「定」「慧」と言われています。戒律を守り、禅定を通して智慧を得ることができるといわれていますが、最初の戒律を守る強い意志、常に自分自身を節制しストイックな生き方をすること自体に、悪霊の惑わしを防ぐ防波堤としての効果が、戒律にはあるのかなと思います。
また、霊現象をおこす主体となるべき霊能者は、しっかりと教学を学び理解しておく必要があります。
かなりの教養や知識を身につけておかなければならないといわれています。
理由は、かつて宗教を学んで地獄に落ちたような坊さんは、宗教的な専門用語を使って惑わしてきますので、そのような言葉に騙されない為にも、しっかりと知識を身につけ、日々研鑽する必要があるわけです。
一般的に霊現象をおこしやすい人は、感性的な人が多いといわれています。確かに知に傾き過ぎると、感性的な部分が鈍ってきて霊的な感覚が鈍るかもしれませんが、あえて自分の一番大切なものを護るという意味で仕方ない面があると思います。
しかし問題なのは、増上慢の傾向が強い方、自分は偉いのだと思う傾向、とにもかくにも相手を見下す傾向のある方は、いくら知識を勉強しても、最終的には魔界のものの霊指導を見破ることができません。
自惚れていて慢心していては、絶対に魔界の者の惑わしだと気がつかないのです。
また、霊能者自身の問題として、その人がこの世的に非常にコンプレックスを持っている場合、要注意であると教わっています。
もちろんコンプレックス自体が悪いというわけではありません。宗教家になるためには、いろいろな困難や挫折を経験する必要があり、その苦労のはてに神仏の道を求めて修行するということは、過去の歴史においてもよくある話ですし、自分の苦しみや悲しみを通して相手の気持ちが自分のこととしてわかるからです。
しかし、その部分が十分に昇華されていなくて、自分自身のコンプレックスや劣等感の、補償作用、埋め合わせとして、そのような霊能力を誇示し、使いたいという方向に行きますと、そこに魔界の者が入ってきます。そして、それを押さえる手段はないといわれています。
相手を見下すような発言や、自分は他の人より立場が上なのだという思いあがりがあると、惑わしをうけても見抜けないといわれていますので、注意が必要だと思います。
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