2014年01月26日

運命と無限の可能性について

運命と無限の可能性について

はたして人間の一生に運命というものがあるのでしょうか。私は苦難や人生の諸問題に対しては、基本的に努力で乗り越えていきたいと考えるタイプの人間かなと思いますが、運命があるかないかと問われるなら「ある」と思います。
もちろん決定論としてあるわけでなく、基本的には自助努力と祈りによる他力で運命を切りひらいていきたいと考えていますが、人間には個性があり、魂の傾向性があるという意味で運命があると著書に書かれていたと思います。
人間には転生を通して、魂の傾向性というものを形成していきますので、悟りを開かれている人からみれば、その傾向性に基づいて5年後、10年後の未来がある程度、予想がつくのでしょう。
そのような意味で運命はあると思います。
しかし、私達はその運命を変える方法、あるいはのりこえる方法を教わっています。
法に基づいて自分自身の魂の傾向性を緻密に分析し、長所を伸ばし短所を補っていく、あるいは自分には無かった考え方を学び実践することで運命を変えることは可能であると考えます。
つまり今の自分はまだまだ未熟であり、謙虚な気持ちで常に良い方向に自分自身を変えていこうとする姿勢の中に、自分の運命を変えていける可能性があると思います。
そのためにも自分の過ちを素直の反省し、謙虚な気持ちを持ち続けることが大切であると思いますが、自分自身なかなかできるものではありませんが、常に意識することで少しでも自分を変えていける可能性がのこされているわけです。

総裁先生は「運命を知る」ということは、「天分を知る」ということであるし、「自分の分限を知る」ということでもある、と述べられています。
自分の能力や性格、体力などについて、その限界を知って生きている人を崩すことは、悪魔にとっても、なかなか難しいと述べられています。
自分の限度を知っている人、分限を知っている人を罠に陥れることは非常に難しいといわれています。

しかし、分限を知らない人を罠に陥れるのは逆に言いますと簡単だということです。
前方に穴を掘っておけば良いそうで、悪魔も、努力が要らないし、知力もいりません。真っすぐに進んで行って落ちくれますので、簡単だとのことです。

あまりにも単純に「自分の能力は無限界だ」と思っている人は、そのようになるそうです。
人間は可能性としては無限ですが、魂に傾向性があるために限界ができると警告されています。

また、他人からみた自分の姿を知ることも大切であるといわれています。
レオの記事でも、他の人から見た自分、という客観的な視点も持っていなければ、なかなか自分の真の姿はわからない。という内容が書かれていましたが、無限の可能性と限界についてあてはめて考えてみますと、人々の客観的な評価によって超えられない部分、限界が生じてくるのではないかと思えます。
限界とは、実際には自分が原因を作りだしているのかもしれませんが、その限界を画するものは、実は他の人の客観的な評価であるのです。
例えば、自分には限界などないと考えて、その考え方を元に記事を書いたとします。記事の内容があまりにもデタラメで、信用するに値しないような内容だとします。
初めは面白がって「ポチ」を押してくれるかもしれませんが、人間はある程度、合理的に物事を判断する存在ですので、あまりにも、うそくさい内容の記事が続けば、押してくれなくなり、その記事に対して反論したくなるものです。
記事の内容が自分の人生にとってプラスであるならば、応援したくなりますが、デタラメばかりしか書けないのであれば、やはりいつかは、すたれていくでしょうという意味で、人間には限界があります。

また、自分が客観的に評価されないからと言って、誰にもわからないから不正な行為をする人がいるかもしれません。表向きは自分の正しさをアピールしながら裏では実際に、自分の思うように評価されないために不正なことをしている人がいたら、自分の能力に限界を感じているからかもしれません。

自分が思うように評価されない、自分がまわりから疎んじられていると感じたら、第三者の目でもって自分を見つめるという行為が大切なのかもしれません。



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posted by ガンちゃん at 01:43 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月25日

本人にとって厳しいことを言うのが守護・指導霊です

本人にとって厳しいことを言うのが守護・指導霊です

守護霊とは、各人に一名ついており、本体一・分身五の魂の兄弟のうち、原則として次に地上に出るものが担当することになっていると教わっています。守護霊とは潜在意識に存在する自分自身でもあるわけです。
指導霊とは、地上に出ている者の使命が大きく、その実現が期待されている場合に、その人の人生の最大の関心ごとを専門に指導する霊のことだと教わっています。

基本的に守護・指導霊といわれる存在は、本人にとって厳しいことを言います。なぜかと考えてみますと、本来は偉大な魂存在であっても地上に生まれることで、盲目となるからです。地上においては肉体という限定された機能に依存したとらえ方をしますが、それは霊天上界の価値秩序からみれば、必ずしも正しい見方になりません。
ですから本人が間違った方向にそれていかないように、本人にとって耳が痛いことを言います。
それは本人を正しい方向に導きたいという愛の想いから発生しています。

守護・指導霊とは逆の存在からのインスピレーションあるいは霊言という形で、本人に降りてくることがあります。
守護・指導霊は上記に書きましたように、本人を正しい方向に導くために、愛の思いを根拠に厳しく指導しようとします。その逆の存在ということなので、守護・指導霊ではない地獄からの霊指導とはどのような内容かと言いますと、本人が言ってほしいこと、あるいは本人を増長させ慢心させるような、非常に耳ざわりのよい言葉を述べてくるのではないかと思います。

例えば、自分が進歩した宇宙人だと信じていたとします。霊言ができるという人から、「あなたの過去世は非常に進化した高度な文明を有する星から、地球を進化させるために地球にきました。」と言われたらどうでしょうか。本人が言ってほしいことをずばりと言ってきますので、言われた本人が相当、自分自身に厳しい姿勢や態度を持っていなければ簡単に騙されてしまします。
また、自分は光の天使だと思っている人も、やはり騙されてしまう場合があるのではないかと思います。
本当に天使かもしれませんが、光の天使であればそう簡単に慢心しないと思うので、簡単にその言葉をうのみにして信じてしまうということは、天使ではないのでしょう。
それは天使と言われれば誰でもうれしいですから、自分に甘い人は簡単に騙されるのでしょう。

どの本か忘れましたが、これから先も宇宙人リーディングをできる人はあまり出てこないであろうということを総裁先生が述べられていたと記憶しています。
それほど過去、何億年も前の意識を現代に引いてくることは難しいのです。というより普通はそのようなことは絶対にできません。
エドガー・ケイシー如来の方であっても一万年以上前まで遡ることは難しいといわれていたと思います。

それほどまでに、高級霊からの霊言や、リーディングは難しいのです。
それを安易にできると考えるのは間違えです。これは批判の為の批判ではなく、もし、その霊言が本物ではなく、その言葉を聴いて相手を有頂天にさせてしまったら、その罪はどこにあるのでしょうか。

霊と聞くと簡単に信じてしまう人がいるかもしれませんが、そのような人の言動や波動を感じてみてください。常に上から目線で語りかけていませんか。
それは、相手の為に厳しい言葉を投げかけるという愛に基づいたものではなく、自分が他の人より偉いと思っているからではないのでしょうか。

教学を軽視し、教条主義と相手の意見を聴こうとしない人を観てください。そのような人が平気で誰でもイエス様の声を聴くことができるというのです。

最初に書きましたように、真実の守護・指導は本人のために、あえて耳が痛いようなことを言ってくると思います。またブログ村の中において順位が一位になったからと言って、高級霊が良く頑張ったと褒めるでしょうか。

本人にとって、厳しい言葉を投げかけてくるか、甘い言葉を投げかけてくるのか、その辺を判断基準として、善悪を判断してみるのもいいかもしれません。



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posted by ガンちゃん at 00:01 | Comment(1) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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