東洋の空海と西洋のユングの神秘体験を通して、共通するところに普遍性があるのではないかという気がするので考察してみます。
空海は宗教家で、ユングは心理学者ですが、霊的な体験には共通するところがあると思います。
空海は、禅定中に宇宙即我的な神秘体験をしています。黄金の法参照
空海自身の霊体が巨大化して、宇宙大になった自分が見た空と海のイメージをもとに「空海」と名のるようになったと書かれています。それ以降、霊視能力や霊聴能力がついたと言われていますが、空海が残された著作を読むと確かに、霊的な体験に裏付けされた内容になっていると思います。
ちなみに空海の著作を読んで、空海を唯物論者と理解している宗教学者(名前は忘れましたが)がいたと思いますが、どのような読み方をすれば唯物論的解釈になるのか不思議です。
空海の著作には、「秘密曼陀羅十住心論」「秘蔵宝鑰」「般若心経秘鍵」など数多くありますが、自分がそれを読んで理解しているとは言えませんが、少なくとも霊的な個所を、強引に唯物論的な解釈をする学者に対しては、現代的な価値観に迎合して教えを正しく理解していないと自分には思えます。仏典の翻訳に関しても意図的に霊的な部分は、はずして翻訳している方もいるようです。
霊的な体験に普遍性があり、教義として確立してくると宗教ができると以前読んだ記憶がありますが、空海自身は霊的体質であるにもかかわらず、知性的であり、理性的であると思います。
霊的であると当時に、理性的、合理的であるのが、仏教であると考えます。
空海は、自らの主張を「密教」といい、その他の教えを「顕教」とよんで分けていたようですが、密教が一番すぐれた教えであると考えていたと思いますが、世の中に種々の教えがあるのは、大日如来が人間の志向や好みに応じて各人が最もふさわしいものを選べるようにしている、と受けとるのであると書かれているので、寛容さも教えの中に含まれていると思えます。
ユングは人間の意識に「個人的無意識」があり、さらに深いところには「集合的無意識」があると説いています。自分なりの解釈をしますと、個人的無意識には、個人で体験した出来事等が、自分自身の行動に知らないうちに影響を及ぼします。深い集合的無意識とは、宗教的には霊的な世界であると考えます。また個人の深い意識としは、魂の傾向性ではないかと解釈します。人類に共有されている霊的な普遍的法則(原因結果の法則・縁起の理法)があり、個人や集団に影響を及ぼしているといいます。ユングはそれを「元型」と呼んでいるようです。
ユングも空海と同様に、宇宙即我的幽体離脱を体験しているので、霊的世界に関しては知っていたはずです。心理学という学問領域では、宗教的に霊界や天使、悪魔の存在などストレートに書くことができなかったかもしれません。
人間は一度出来上がってしまった、魂の傾向性に基づいて考え行動してしまいます。個人的無意識と集合的無意識は相互に影響を与えあう関係であると思います。表面意識で学んだ正しい知識を元に繰り返し考え行動することで、潜在意識、魂の傾向性を変えていくことが可能であると思います。
ユングは、フロイトの「夢の解釈」を読んでいますが、神経症の心理学に由来する抑圧の機制という考えを夢に応用したてんに、共感したようです。
しかし、抑圧に関してはフロイトの考えに不満を覚えます。フロイトは抑圧の原因を性的外傷と考えていました。ユングは社会適応上の問題、悲惨な境遇による生活上の苦しみ、面子等の問題が前景に立ち、性欲の問題が二次的な役割を演じているような多数の事例を、フロイトに示しましたが、彼は、性欲以外の要因が原因となりうることを認めようとはしなかったようです。
ユングは、「無意識的な存在が本当のもので、われわれの意識の世界は一種の幻想であり、夢の中では夢が現実であるように、特殊な目的に従って作りあげられた、見せかけの現実なのではないかと示唆している」と書いていますが、仏教的な考え、あるいは観念論哲学に通じるものがあると思います。
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