我々の周りにある植物や鉱物は科学的には、分子、原子でできている物質であると認識されていますが、実は一段深いところから観察するとすべては、霊的なものの表現、霊的エネルギーが顕在化した状態であると思えます。物質の背後には霊的エネルギーが存在します。
人間は肉体がすべての存在ではありません。手で触れ、目で見ることができる肉体は人間の本質からしたら、ほんの一部でしかありません。肉体の内に宿っている超感覚的なものこそが、高度な現実性を有しているといえます。人間は死ぬと肉体が諸行無常の法則で崩壊に向かいますが、地上に生きている間は、霊的存在(魂)は肉体の崩壊と戦い続けています。
自分の体験から考察しますと、霊的な方向に自分が変化すると、食べ物も変わってくることを感じます。青年時代はやはり肉食が中心だったと思いますが、年を重ねていくと不思議と肉よりも魚類や菜食に変化してきたなと感じます。人間は普遍的な方向に関心を持ち、努力を続けると菜食の方向に行くそうです。根拠はありませんがいろんな本を読んでいるとそのように感じます。共感や反感を持ち、感覚的な情熱を持つ人間がいるのは肉食が原因であるとのことです。シュタイナー 参照
ただ、霊的な感覚が出てき始まると危険な面があることも注意が必要です。霊的な感覚が磨かれてくると、霊的な音が聞こえる、あるいは声が聞こえてき始めるという現象が起きてくると思いますが、心の修行がしっかりできていない状態で、そのような声に耳を傾け始めると危険であると考えます。人に対して声をかけてくる霊は高級霊よりは低級霊といわれる存在の方が、圧倒的に多いと知るべきで自分に対して非常に厳しくみつめる態度が大事であると思います。
一般的にも言われていますが、食べすぎは体によくないです。これは自分の経験からしても、食べすぎない方が新陳代謝にいいような感じがします。食べる量が少ない方が毒にならないので、よく栄養が摂れるということがしばしばあるようです。
アルコールに関しては、第一に人間の思慮分別、人間の心のいとなみに関係してくるそうです。これも飲みすぎた場合であって、自分としては適度なアルコールは飲みたいなと思います。中道をこえて飲みすぎると、女性の場合は、人間の中にある地上的なものが崩壊に向かい、男性の場合は、周囲にあり人間の内にある動的、空気的なものが崩壊に向かうそうです。つまり、自分自身の内的なものが破滅に向かい周囲に対しても崩壊する方向に向かうということだと思いますが、お酒に関しても中道が大事であるということだと思います。
ただ、これは唯物論的に考えて物質が精神を規定しているということではありません。そもそも思考をしない人が野菜ばかり食べても、本質的なところはあまり変われないと思います。もし物質だけが活動するならば、牛肉や豚肉を食べたならば、人間も牛や豚の性質を受け取り、豚や牛に近づいて行くはずです。
一般的に精神生活をし始めると、肉食ではなくなってくるそうで、肉食を禁止するというよりは、健全に進化した本能が肉食を寄せつけなくなるということのようです。(肉食を否定しているわけではありません)
コーヒーに関しては、論理的な首尾一貫性を物質的に要求するようで、コーヒーを飲むことによって、事実に即した首尾一貫性を引き出すとのことです。
自分の経験からしても、難しい本を読んだり、考え事をしたりするときは、結構コーヒーを飲みながらの場合が多いと感じています。
コーヒーを飲むことで精神集中がしやすくなるのかと、自分的には思いますが、個人差があると思うので一概には言えないと思いますが。
逆に紅茶は、精神を集中する方向とは反対に、精神を解放させる働きがあるような気がします。
紅茶を飲みながらご婦人がお話をしている姿をよく見かけますが、ご婦人がコーヒーを飲みながら、リラックスして会話をしている姿は、あまり見かけたという記憶はありません。
これはあくまでも趣味の範囲なので、すべての人に当てはまるわけではありません。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学