2013年10月22日

食べ物と霊的作用の関係について

食べ物と霊的作用の関係について

我々の周りにある植物や鉱物は科学的には、分子、原子でできている物質であると認識されていますが、実は一段深いところから観察するとすべては、霊的なものの表現、霊的エネルギーが顕在化した状態であると思えます。物質の背後には霊的エネルギーが存在します。

人間は肉体がすべての存在ではありません。手で触れ、目で見ることができる肉体は人間の本質からしたら、ほんの一部でしかありません。肉体の内に宿っている超感覚的なものこそが、高度な現実性を有しているといえます。人間は死ぬと肉体が諸行無常の法則で崩壊に向かいますが、地上に生きている間は、霊的存在(魂)は肉体の崩壊と戦い続けています。

自分の体験から考察しますと、霊的な方向に自分が変化すると、食べ物も変わってくることを感じます。青年時代はやはり肉食が中心だったと思いますが、年を重ねていくと不思議と肉よりも魚類や菜食に変化してきたなと感じます。人間は普遍的な方向に関心を持ち、努力を続けると菜食の方向に行くそうです。根拠はありませんがいろんな本を読んでいるとそのように感じます。共感や反感を持ち、感覚的な情熱を持つ人間がいるのは肉食が原因であるとのことです。シュタイナー 参照
ただ、霊的な感覚が出てき始まると危険な面があることも注意が必要です。霊的な感覚が磨かれてくると、霊的な音が聞こえる、あるいは声が聞こえてき始めるという現象が起きてくると思いますが、心の修行がしっかりできていない状態で、そのような声に耳を傾け始めると危険であると考えます。人に対して声をかけてくる霊は高級霊よりは低級霊といわれる存在の方が、圧倒的に多いと知るべきで自分に対して非常に厳しくみつめる態度が大事であると思います。

一般的にも言われていますが、食べすぎは体によくないです。これは自分の経験からしても、食べすぎない方が新陳代謝にいいような感じがします。食べる量が少ない方が毒にならないので、よく栄養が摂れるということがしばしばあるようです。

アルコールに関しては、第一に人間の思慮分別、人間の心のいとなみに関係してくるそうです。これも飲みすぎた場合であって、自分としては適度なアルコールは飲みたいなと思います。中道をこえて飲みすぎると、女性の場合は、人間の中にある地上的なものが崩壊に向かい、男性の場合は、周囲にあり人間の内にある動的、空気的なものが崩壊に向かうそうです。つまり、自分自身の内的なものが破滅に向かい周囲に対しても崩壊する方向に向かうということだと思いますが、お酒に関しても中道が大事であるということだと思います。

ただ、これは唯物論的に考えて物質が精神を規定しているということではありません。そもそも思考をしない人が野菜ばかり食べても、本質的なところはあまり変われないと思います。もし物質だけが活動するならば、牛肉や豚肉を食べたならば、人間も牛や豚の性質を受け取り、豚や牛に近づいて行くはずです。

一般的に精神生活をし始めると、肉食ではなくなってくるそうで、肉食を禁止するというよりは、健全に進化した本能が肉食を寄せつけなくなるということのようです。(肉食を否定しているわけではありません)

コーヒーに関しては、論理的な首尾一貫性を物質的に要求するようで、コーヒーを飲むことによって、事実に即した首尾一貫性を引き出すとのことです。
自分の経験からしても、難しい本を読んだり、考え事をしたりするときは、結構コーヒーを飲みながらの場合が多いと感じています。
コーヒーを飲むことで精神集中がしやすくなるのかと、自分的には思いますが、個人差があると思うので一概には言えないと思いますが。
逆に紅茶は、精神を集中する方向とは反対に、精神を解放させる働きがあるような気がします。
紅茶を飲みながらご婦人がお話をしている姿をよく見かけますが、ご婦人がコーヒーを飲みながら、リラックスして会話をしている姿は、あまり見かけたという記憶はありません。

これはあくまでも趣味の範囲なので、すべての人に当てはまるわけではありません。

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2013年10月20日

中村元氏、渡辺照宏氏 霊言開示 主に感謝

中村元氏、渡辺照宏氏 霊言開示 主に感謝

私自身仏教を学ぶ上で、中村元氏と渡辺照宏氏の著作には大変お世話になっていますので、今回の霊言でどのような結果が待ち受けているのか、大変関心がありますが、私の立場からでは何とも言えません。
正直なところ、もし、幸福の科学に入信していなければ、おそらく仏教を学ぶことは無かったであろうと推察しています。悟りの挑戦が当初、月刊誌に掲載されていた時、こんなに難しい教えではちょっとついていけないなという感じを受けていましたが、太陽の法、黄金の法、悟りの挑戦、沈黙の仏陀、仏陀の証明、大悟の法を読み進めていくうちに、理解したとは言えないまでも、仏教の教えの輪郭というか、全体像がうっすらとわかりかけてきたように感じました。

レオのほうが先に記事をアップしたので、重なる部分がパクリのように思われると困りますが(笑)、仏教の基本的教えは三法印といわれています
「諸行無常」
すべては移ろいゆくものであり変転変化していくものであります。すべての現象は川の流れのように過ぎ去っていくものなので執着してはいけません、という教えです。
「諸法無我」
この世の存在は無我であります。すべては自らなる性質のものはありません。すべては他に依存しながら存在し、それ自体で恒常なるもの固定的な存在はありません。すべては原因や条件に依存していますので定義できるような本質をもつ存在はありません。
ですから、諸法無我も執着してはいけないという教えではないかと思います。
「涅槃寂静」
涅槃寂静とは、すべての仏教徒が、憧れ探し求めている境地で、修行者の修行の目的がこの涅槃の境地に至ることであると言われています。

また、仏教の修行論とは三学(戒・定・慧)と言われています。
戒律を守りながら生活を正し、禅定を通して、最終的には智慧をえるというプロセスが仏教的修業論であると言われています。

また仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」自分自身は常に向上心をもち悟りを求めながら、多くの人達をその悟りの力で救っていこうという姿勢、内から外へという流れが仏教的修業スタイルであるといわれています。

ですから、仏陀在世中には、修行を通して悟りを求める姿勢と、多くの人達をも救っていこうとする大乗的な視点、両方が備わっていたということだと思います。

上記の観点から、正しい仏教的教えかどうか、修業かどうかを判断していたのは、渡辺照宏氏ではなかったかなと思います。
ただ、中村元氏、渡辺照宏氏、両氏から多くの学習をすることができたので、どちらが正しくてどちらが間違いであると、言える立場ではありません。

ただ、法華経関連の宗教が日本人に人気があるので、私も法華経の翻訳本を読んだことがありますが、正直な自分の感想は、これは仏陀の教えではないし後世、法華経信者が勝手に自己都合のいいように書きくわえているなという感想を持ったことを覚えています。中村元氏は法華経に関しては寛容な立場であったと思いますが、渡辺照宏氏は法華経を切り捨てていたという印象を覚えています。



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posted by ガンちゃん at 00:49 | Comment(0) | HS/霊言・リーディング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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