物質と霊的存在は、存在形式が違うように表面的には見えますが、お互い相互作用する関係にあります。
心(霊的存在)で思うことは、顔の表情として表現されます。この場合、心は霊的な存在であり、表情として現れた顔は物質的な存在であるといえます。両者は存在形式としては違う性質を持ちますが、物質と霊は関係し、相互に影響を与えていると考えることができます。
ところが、心で感じることや考えることが顔の表情として表れなければ、相手が心で思っていること、感じていることを推測できません。
霊、あるいは魂は人間という形に表されないかぎり観察することができません。
地中の種子も地上の樹木とならないかぎり見ることができません。
宇宙人の表現形式としての肉体も、その外見から心の傾向性を観察することがある程度、可能かもしれません。美と調和を愛する宇宙人は、地球人の美的感覚からみて、美しい肉体的表現形態をとっていると思いますが、戦闘性が強く、どちらが強いかを競う宇宙人は、肉体も戦闘的な表現形式になっていると思われます。
霊と物質あるいは肉体は、コインの表裏の関係にあり、相互に影響を及ぼしています。肉体的には目や顔の表情に、心で思うこと感じたこと、思考内容が反映されていると思えます。
イエス様も目は心の明かりであると言われていたと思います。
総裁先生は、憑依についての定義を以下のように述べられています。
「霊界のある存在が、ある人に、コンスタントに(ときには一時期のみのこともあるが)憑いて、影響を及ぼしているような状態」と説明されています。
また、スウェデンボルグは「霊が人間に与える影響のなかで、人々に一番わかりにくく、もっとも影響として大きいのは、彼ら(霊)が人間の考えに影響を与え、その考えを支配するという現象である。これは、もっとも重要な問題である。だが、これがもっとも気づかれにくい」と述べています。
自分が主体的に考えて、その考えに基づいて判断し行動していたつもりが、実はその思いや考えが、自分でない他の霊的な存在の考え、そのものであったということが憑依現象であるということです。
霊の考えが私達の思考に侵入し、決定的な影響を与えるということは大変な驚きであると同時に、憑依についての原理とは何かを考えざるをえません。
憑依されるには、それなりの原因があり、自分自身の心の傾向性にあった霊を引き寄せると言われています。波長同通の法則として定義されています。
霊界では、同一空間で同一時刻に同時存在することができるといわれています。また、霊存在どうしがお互いに意識が違ったところに向いていたら、お互いに気がつかないまま、すれ違ったりします、と教わっています。
私は、霊界は支配している法則とは、波動の法則ではないかと推察しています。
波動の一つの特徴として、振動数あるいは波長が同じ時、波動は幾つあっても一つの波動を形成します。霊的存在は波動としての性質を有しており、心の周波数が一致することで、複数の霊存在が一つになることが可能になるのではないかと推察します。
また、意識が離れている時は、回折(波が障害物の後方に回り込む現象)するのではないかと思います。
自分自身の心の針が高級霊と共振する周波数を発信することができれば、それがインスピレーションという形で降りてくることがあるのでしょうが、なかなかそのような思いを一定期間、持続して出し続けることは至難の業であることは間違いありませんので、真理の鏡に自分の姿を映すことで、極端に自分の感情がぶれないように、常に謙虚に精進し心を整えることで、少なくとも悪い方からの憑依の影響は減らすことができると思います。
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