2013年10月30日

どうして肉体は五感なのか・・・?

どうして肉体は五感なのか・・・?

思考実験です。
例えば、五感をこえた感覚器官が人間の肉体に備わっていたら、どのような人生観、世界観になるのでしょうか。もし、第六の感覚器官が人間に備わっていて、その感覚器官を通して、3次元空間あるいは、4次元時空を超えた5次元なり6次元なりをつかみ取ることができれば、何千年前からいる唯物論的な哲学者、唯物論的な科学者はいなかったかもしれません。

五感までの器官では、物質的な存在しか確認することができません。必然的に経験できる範囲も限定され、方向性を間違えると、唯物論的な人間になり自分を超えた尊い存在に対して目を向けることがなくなり、自分が一番賢いと錯覚していきます。

感覚器官の機能に依存した、条件付きの範囲以外は、まったく目隠しをされた状態になるので、感覚器官が、真理を測る絶対的な物差しだと思うと、人間は自惚れます。

しかし・・・・

では、どうして仏は肉体的感覚器官を、五感までしか与えてくれなかったのでしょうか。

ヨハネの福音書には、有名なトマスの話が出ています。
イエス様の復活に関して、イエス様がトマスに対して「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じないものにならないで、信じる者になりなさい。」
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は、さいわいである。」と述べられています。

つまり、見ることや聞くことによって対象を確認したことを、一般的には信じるとはいいません。それは知ることができたということであり、信じるとはいえません。
信じるとは、信仰心とは、目に見えない尊い存在が私達を見守っているということを受け入れることであると思えます。

「見ないで信じる者は、さいわいである」
この言葉に、なぜ人間の肉体が五感までしか与えられていないのか、その理由、ヒントがあると思います。

人間は、生まれてくる前は天上界において、本当の意味において自由自在の存在で、自分の認識に応じた次元において生活しています。
霊的な存在であれば、神や仏を信じることは容易であり、それほど難しいことではないと思います。

人間は永遠の転生輪廻する存在であり、修行という観点から人間を考えてみると、天上界で自由自在で生活した自分という存在が、地上に生まれ変わって目隠しをされた状態で、いったいどこまで神や仏を信じることができるのか。悟りの障害ばかり多い地上においてどれだけ、真実の世界観を獲得できるかが試されていると教わっていると思います。
イエス様が見ないで信じた者はさいわいであるとは、そのような意味も含まれていると思います。

また、霊的世界は善悪の価値観が明確にわかれているので、目隠しされた状態で、霊的世界における善をおこなうことは、魂修行の観点から10倍の成果があると言われています。


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2013年10月28日

スウェーデンボルグとヘレンケラー

スウェーデンボルグとヘレンケラー

ヘレンケラーの著作は、昔から何冊かは読んでいました。しかし、ヘレンケラーに直接的な霊的体験があったことまでは知りませんでした。ヘレンケラーの著作を読んでも、愛や霊について書かれていた本は何冊かあると思いますが、自分自身の体験談として、霊的体験をしたことに関して書かれた著作は、自分の知る範囲でないからです。
ヘレンケラーは12歳の時、霊的体験をします。魂が肉体から抜け出す幽体離脱を体験します。魂は空間的・時間的な制約を受けずにアテネへと飛翔したようです。
しかし、このような霊的な体験をする以前にヘレンケラーは、霊的な探究と読書を通して、創造主や聖書について自分が納得するまで知ろうとする努力を積み重ねています。

この霊的体験を通して、肉体に宿る霊的存在、魂こそが本当の自分であり、その霊的真実を伝えたい気持ちがあったのではないかと自分は思います。
「文字が私の魂の体となる」というような言葉を残しているようです。

また、ヘレンはスウェーデンボルグを深く敬愛していたことも知っています。彼女自身の霊的覚醒と深く結び付いていたのだと思います。

私自身も幸福の科学との出会い以前から、スウェーデンボルグの著作を読んだことはありました。
スウェーデンボルグがどんな人物だったのか、他の思想家の意見を抜粋してみます。
エマーソンは、「月光から不老薬を精製しようとする夢想家というふうに同時代の眼には映ったこの人物が、当時の世界にあって誰よりも真実の生を生きたことは疑う余地もない。巨大な魂をもった人物だった。その時代の人にはとても理解できないほどかけ離れており、彼を認めるには長い焦点距離が必要だった。」

スコットランド人のトマス・カーライルは「偉大な人物。議論の余地がない教養人。強靭で数学的知性をもち、すこぶる敬虔で、天使のような資質の持ち主であった。・・・彼の著作には、他のだれの著作より、多くの真実が表明されている。」

エルバート・ハバードはスウェーデンボルグとシェイクスピアの比較においてこのように述べています。「どちらも神話的巨人であった。・・・歴史が始まって以来、彼ほど広範な物質科学の知識を詰めこんだ人は他になく、その知識のすべてを背負い込んで、こんなに果敢に雲の彼方へ旅立った人もいない。一般的にいって、天の高みまで翔け昇って、あの世の消息を良く知った人というのは、えてして物質科学のことなどほとんど知らないものだ。その時代、スウェーデンボルグほど優秀な科学者はいなかったし、天界の王国をかくも詳細に描写した者は後にも先にも彼一人である。」

詩人のエリザベス・バレッド・ブラウニングは「私の心にとって、来世を照らしてくれた唯一の光はスウェーデンボルグの哲学の中にあります。それは理解しきれなかった多くの説明をしてくれます」

多くの方がスウェーデンボルグを支持してくれていますが、ヘレンもまたスウェーデンボルグを深く敬愛していました。

私自身も、幸福の科学以外で尊敬する人物、あるいは、見習いたい偉人としての生き方は、スウェーデンボルグです。

そして天界での生活とは、すべての物質的な制約から自由になった状態であると考えるのが一番よいであろうとスウェーデンボルグは簡潔に述べられています。

つまり霊界とは、すべての魂が一つの壮大な『役立ち』のシステムの中で相互に関係しながら、結び会わされています。それぞれの個人の魂は、互いに依存しながら自分なりの仕方でより完全な成長を遂げ、ますます増大していく幸福感に対応して、より多くの責任感を持つようになります。とヘレンは言います。

天界では、個人の魂は自分に合った方向で進歩、成長していく中で喜びを満喫していきます。一方で、すべての魂は依存関係でなりたっていますので、個人の成長がその霊界全体の発展にもつながっていると思えます。個人の私的幸福が全体の公的幸福につながるのが天界の幸福論でもあり、幸福の科学の幸福論でもあります。

また、この地上もやはり同じ、『役立ち』の法則に支配されているのがわかるでしょう。私たちの身体の各部分は、その他の部分に役立つために存在しています。ということを科学は教えていますが、神は似たような目的を自然の中にも吹き込んでいますと、ヘレンは言います。

個人は自分の霊的な成長のために、地上での魂経験を積んでいきますが、その過程で自分の成長が他の人の役に立てるような生き方が、霊的世界の価値基準に照らしても正しい生き方であると思えます。




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posted by ガンちゃん at 22:11 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする