HS会員として、何年、何十年と続けている方は、直接的あるいは間接的に霊的な体験、この世の法則では理解しがたい経験を実体験している人も多いかと思います。
通常は、そのような体験をしても滅多に人に話をしようとはせず、あるいは身近な一部の法友には話すことはあっても、おおやけにはしないで自分の一体験として胸にしまっておく場合もあると思います。
霊的世界は、光りの強さによって次元構造が出来上がっていると教わっています。高次元に行くほど光りの強さが増してくると思いますが、三次元という有限の物質世界においてその霊的な光エネルギーを体感することは可能なのでしょうか。
仮に独り部屋の中で瞑想していたら、電気もつけていないのに目を閉じていると、まぶたの裏が急に明るくなってきたので不思議に思い目を開けてみると、白というかシルバー的な光、しかも野球場でナイターの時につかわれる照明を、じかに見るかのような強力な光りを見たという人もいます。
通常、光は光源から照射されるものですが、光源が無いのに、どこから光りが入ってきただろうか、という感じです。
その他に、霊の声が聞こえたとか、守護霊の声が聞こえたとか、いろんな方々が、体験がされていることと思います。
確かに通常は有り得ないという点で、特殊な体験であり、霊的世界を実体験として確認することができたということは、すばらしい経験であると思います。
しかし、この世的にしっかりとした社会経験や理性的に考えることができない場合、人と違う何か特殊な経験をすると、自分が偉いと思いこんでしまうケースがあるのではないでしょうか。
大事な点は、真理の学びを深めておくということだと考えます。
教学をしっかりとかためておかないと、そのような体験が特殊であるだけに、うぬぼれたり慢心したりする場合がありますので、最初は真理を正確な知識として持っておかないと、その体験自体が天上界からのものなのか地獄界からの惑わしなのか、価値判断ができないからです。
霊的体験はいろんな人がしていますので、それ自体が悟りと直接は関係ないと思われます。
しかし、真理を知識としてだけ学んでいても、やはり頭打ちになるのも事実かなと思われます。
異次元パワーを呼び込む前提条件はやはり信仰心であると思います。
異次元パワーを正しい方向で使うことができるならば、その人の人格も変わるであろうし、周りに対しての影響力も、いい意味で広がっていくという気がします。
その人の目や顔の表情、身体全体から優しいオーラのようなもの、その人から優しい光が雰囲気として発散していなければ、異次元パワーを正しい方向に、ひいているとは言えないと自分は思います。
八正道には、正命や正語がありますが、もし言葉や文書が相手を見下したりしている内容であるならば、その前段階の正思や正見に問題があり、問題があるということは、その霊的なインスピレーションや霊的に聞こえてくる声は、下からのものであるという可能性は極めて大きいのではないかと思います。
HS会員以外で、周りの人達の反応が自分自身にたいしてどうなのかというチェックポイントも大事かなと思います。もちろん周りに迎合しろという意味ではありませんが、少なくとも好かれているのか、嫌われているのかの判断はできると思います。
一度自分が偉いと思うと、その考え方が固定化して、その自分の立場を下げることができないようです。霊の言葉が聞こえて、自分には使命があると言われて慢心し、霊能者からあなたの過去世は偉大な人であると言わたりすると、自分が偉いと思ってしまいます。
自分の過去の実績と黄金の法に書かれている光の天使たちの実績を比較すれば、だいたい自分の位置が確認できて慢心することなどできないと思います。
仏陀がそうであるように、私達信者も神秘的な体験と合理的に物事を判断できる二面性が大事あると思います。方向性が違うので大変ですが、この二律背反する方向を何とか統一する努力が、魂的に一段進化していく道であると思います。
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