真に優しいとは、どのようなものなのでしょうか。女々しさや表面的に取り繕った優しさではないはずです。
表面的な優しさも否定はしませんが、どちらかと言うと、自分が他者から好かれていたいという気持ちの現れであるような気もします。
もちろん、他者から好かれたいと思う気持ちはすべての人が持っているもので、他者から善く思われたいと思う心がなければ、これはまた、地上が殺伐とした世界になってしまうでしょう。
私の経験上、この人、優しいなと思う人物は、精神的な強さを持ち合わせている人です。
男性の場合、精神的な強さを兼ね備えた人物は優しい雰囲気、オーラを発散している感じがします。
そのような意味で、男性が優しいとは女性化することではなく、全てを自分の責任として受け止めることができる人物であると考えます。
余談ですが、格闘技を経験した人は、礼儀正しいし、面白いし、優しいなと感じます。苦しい練習や相手とのスパーリングあるいは組手を通して、恐怖心と戦っているからでしょう。
苦しみや恐怖心を克服していく過程で、精神的な強さを身につけていくのでしょう。
あるいは、仕事を通して難問題を解決していく中で、責任感を磨きながら精神的な強さや知恵を身につけていくのでしょう。
地上に生まれ変わってくることじたいが、魂の経験値を増やしながら精神性を鍛えていると言えるのではないかと思います。
また、真実優しい人物とは、悲しみを知っている人であると言えると思います。
仏陀再誕には、「真なる優しさは、真なる悲しみにつながってゆく」と書かれています。
悲しい経験をした人は、その悲しい経験を通して相手の気持ちがわかるからでしょう。相手の悲しさや苦しみを理解できる人は、その眼差しおいて優しさがあります。
転生輪廻を繰り返しながら、地上において相手の気持ちを理解するという体験は、素晴らしいことであると思えます。
ちなみに、光の天使であっても、地上に生まれ変わってくる理由は、天上界に永らく住み続けると、人の苦しみや悲しみがわからなくなってくると読んだ記憶があります。
霊天上界は地上におけるような苦しみはなく、自由自在の世界であると教わっています。その霊界における生活があまりにも永いと、地上で苦しんでいる人達の気持ちが理解できなくなるからです。
強さと悲しさを知ることで、人は真実、優しい人間に変わっていくと自分は思います。
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