2013年08月16日

【本格】慈悲とは 幸福の科学の愛の教えこそ宇宙の真理

【本格】慈悲とは 幸福の科学の愛の教えこそ宇宙の真理

『本日の格言 慈悲とは』は、以下の内容です。
「慈悲とは、実は、「世界観の転換」なのです。「この世に生きている、人も、動物も、植物も、宇宙の人たちも、あるいは、地球も、太陽も、月も、ほかの星も、すべてのものが、自分という生命を躍動させるために創られている。そういう、ありがたい世界として、すべてが創られている」という世界観なのです。」

今日は、たまたま愛について考えていましたので、『慈悲とは』について考えていた内容とからめて考察したいと思います。
宇宙を支配している法則、宇宙を貫く力、それを私達は愛とよんでいるかもしれません。
宇宙人リーディングによって、宇宙人のさまざまな価値観を私達は学びました。
レプタリアン系宇宙人は、力こそ正義であり、愛や慈悲は弱さに見えるようなので、それを知ったときショックを受けました。
愛は、地球だけに完結した教えであり、宇宙を貫く普遍的な教えではないのかと一瞬、考えてしまいましたが、やはり愛あるいは愛の大河、慈悲こそが宇宙の存在をあらしめている力であると確信します。

例えば日の光が三次元的な立方体に照射されると、二次元的平面(影)ができます。高次元の光りが四次元という存在形式を通過すると、三次元的存在が現出するのでしょう。

日が雲にかくれたら光は射してきませんから、影は発生しません。
もし、高次元に存在する神や仏という存在が、はるか彼方から流れてくる愛の大河、あらいは光の供給を上の次元で止めてしまったらどうなるのでしょうか。
日が射さなければ影という存在ができないように、我々が生存している三次元的物質世界など跡形もなく消えてしまうでしょう。

これは上記に書かれている、人や宇宙人、動植物や天体などは偶然にできたものではなく、創られた存在、創られた世界観であると言っていることと同じ意味であると自分は思っています。
仮に、どのような悪魔的な存在がいたとしても、それはやはり存在が許されている以上は、生かされている創られた存在であり、神仏の考える方向と逆方向に行くのであれば、消されても文句は言えないと言うことになってしまいます。
地獄の住人達は地上に住む人間の悪想念を吸い取って、存在していると言われていますが、突き詰めて考えますと、やはり高次元の光に行き着きます。

それはレプタリアンであっても同じで、力がすべてであると考えていても、その存在を支えている力があるということです。

宇宙を支配している根源的なる力が愛であるからこそ、その愛が私達の前に、多様な現れ方をしてくるのでしょう。
ですから優しさも愛であり、厳しさも愛、他の人のためにという思いはすべて愛であり、宇宙の光とつながっていることだと思います。
しかし、三次元においては、思いだけでは具現化しませんので、智慧を介在しなければいけないのでしょう。
智とは愛をより高度なものにするためのものであり、方向を間違ったときの軌道修正が反省であり、その先にあるのが神仏の念にかなった発展・繁栄があるのでしょう。



ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 22:10 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月12日

天上界にある美しさを感じとる

天上界にある美しさを感じとる

プラトンは次のような美しい神話を語っていたようです。
「人間の魂は、かつて天空をかけめぐり、真理そのものを見ていました。ところがある時、足を踏みはずして地上に落ち、人間の肉体に埋まってしまいました。ですからこの世で美しいものを見ると、かつて見た美そのものを思い出して、胸の内に熱いものがこみあげてきて、懐かしいそのもののほうへ行こうとするのです。」哲学の歩き方 竹内 均 参照

天空とは、かつて私達が住んでいたことのある、霊天上界のことであり、真理とは「イデア」のことだと思います。地上に生まれ変わって魂が肉体に宿っても、人間の魂は天国にいた時に体験した美しいものすべてを、魂が覚えていて、地上にある美しいものを見た時に、魂の郷愁として美しいと感じとることができるということを、上記の神話は語っていると思います。
ですから、地上にあっても、美しいものを美しいと感じとることができるということは、天国にいた時の記憶を思い出しているという点で霊的なことではないかと思います。

プラトン的に解釈するならば、本当の美しさやすべての善きものは、天上界にあり、この地上はその天上界の光の一部を表現している世界、あるいはイデアの模像(影)でしかありません。
その不完全な世界において、天国にある美しさを表現しようとするのが芸術であり、具体的には音楽であったり、絵画であったり、彫刻、クラシックバレエ、その他であると思うのです。

ですから音楽にしても絵画にしても、心が天国の方向に向いていなければ、本当に美しい音楽や芸術を表現することはできないのかもしれません。

また、ピタゴラスも天上界や人間の魂についての考えを持っていました。
ピタゴラスといえば、「宇宙の秩序と調和は、数学の原理に基づいている」というような考えを持った方であったと思います。
また、音楽の中にも数学的な理論と調和を見出し、ピタゴラス音階という音楽理論や十弦琴や七弦琴をつくったような方です。

魂についてピタゴラスは、「人間の魂は肉体にはいるまでは、神々の近くで暮らしているのですが、人が生まれるとその肉体に閉じ込められてしまいます。魂にとって肉体は牢獄のようなものです。しかし、人が死ぬと魂は肉体からはなれて、ふたたび神々のもとへ帰ってきます。
そして、次の新しい肉体にはいるまでそこにいて、前の肉体にいたときの犯した罪を清めるのです」
哲学の歩き方 参照

ピタゴラスは、美しい天上の世界を知っていたのでしょう。音楽に関しても才能があったようです。

数学や哲学のような理論的思考の持ち主であろうと、音楽や芸術のようにインスピレーション的な感性の持ち主であろうと、根本的に心の方向性が天国に向いていなければ、すべてが美しさという価値基準から外れてしまうのではないかと思います。

心が美しいからこそ、周りの世界を美しくみることができるのでしょう。



ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 00:51 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。