2013年08月24日

アミ小さな宇宙人 宇宙の基本法は愛 愛の神エル・カンターレ

アミ小さな宇宙人 宇宙の基本法は愛 愛の神エル・カンターレ


「アミ 小さな宇宙人」「もどってきたアミ」「アミ3度めの約束」
上記の本を読んだ方も多いかと思いますが、現時点で「アミ3度めの約束」を読んでいますが、この小説は、宇宙人アミを通して真実の愛とは何かという解答が随所に書かれています。
部分的ではありますが、一部抜粋します。

「物質的なものばかりに重きをおいて、愛を基調にしていない。なんであろうと、愛にもとづいていないものは、幸せをつくりだせない」

「ほんとうの愛とは、肉体ではなく、魂にかかわることがらなんだ。〜ほんとうの愛っていうのは、魂と魂のあいだに生まれるものなのだ。つまりその人が放射するエネルギーを愛するってことなんだよ。だって、そのエネルギーがその人のことをいちばんよく教えてくれる、内的なものなんだからね。だから、この段階の感情には、もう距離も時間も存在しない。」

「愛は、宇宙でもっとも高いエネルギーだからね」

「なにかに、あるいはだれかに依存しすぎるってことは、それがたとえ双子の魂でも、お母さんでも子供でも、おばあさんでも、ネコでも、好きな虫でもなんでもよくないことだよ。だって、それは人々を奴隷化して、魂の自由をうばってしまうことになるからね。でも、魂の自由なしには、ほんとうの幸せなんてありえないからね・・・もし、しあわせになるのがほかのひとしだいだとしたら、・・・」
ガンちゃんのコメント
上記は、例えば国に頼り過ぎて(依存しすぎて)、自助努力を放棄するようになると、人間として堕落していくことになり、努力して富を築いても嫉妬されてひきずりおろされ、貧しさの平等になってしまうと思う。

「愛は科学的データをはるかにうわまわるものだし、愛こそが銀河系を動かしているんだから」

「進化とは、愛に近づくこと!」

「ひとの中にはすべてがあるんだよ、ビンカ、すべてがね!、愛の神から、いま見たような“悪魔”まで住みついている。でも、それは一人ひとりの問題であって、自分の水準に合わせて、自分の中にあるおそろしいものなり、美しいものなりを、自分の人生で表現していくんだよ」

「ヤツは暗闇の中から、きみたちの世界をあやつっているんだよ。ヤツはまず、人々の中のいちばん暗いところからむしばんでいくんだ。とくに、権力をもつひとたちはねらわれやすい。そうとわからないうちに、ヤツにコントロールされてしまっているんだ」

「幸福は、愛から生まれる。愛は世界の光だよ。・・・光にあたると死んでしまう病原菌がいるだろう。それとおなじで、ヤツも暗闇の中でしか生きられないんだよ、わかる?・・・
エネルギーのことを言っているんだよ、ベドゥリート。人が幸せになるときには高いエネルギーを発する。反対に幸せでないときにはエネルギーや振動が低いんだよ。暗闇にいる人たちは高い振動にたえられない。吸血鬼が太陽の光にたえられないのとおなじようにね。暴君は世界中が高いエネルギーに満たされることはどうしても許せないんだよ。だって、自分が死んでしまうからね。わかった?」

内容的には素晴らしい言葉が随所にちりばめられていると思います。

また、生物はすべて愛の神の創造物であり、みな同じ起源をもつという内容も書かれていたと思います。
宇宙には、確かに闇の部分もあるかもしれませんが、それをはるかに上回る愛の力が、宇宙に働きかけていると思います。

そして現代は、愛の神が肉体を持って、私達が理解できる形で法が説かれている人類史上、かつてなかった時代でもあります。
更に、過去の歴史の中で人類の遺産としての教えを残して下さった、イエス様や孔子、その他の光の天使、菩薩達が現代に霊言という形で復活し、霊としての自分の考えを説かれています。

これが、本物がどうか信じることができない人達にとっては、一つの賭けであると思いますが、私は、その教えの内容を学ぶたびに、真実であると同時に地球の歴史上、かつてなかったような大事件であると考えています。そして地球におきた救世の法は地球にとどまらず、宇宙の調和にも影響すると考えています。

「アミ 小さな宇宙人」全3巻は、素晴らしい本であると思います。まだ読まれていない方はおすすめです。

余談ですが、私は著者のエンリケ・バリオス氏はこの小説に書かれている内容を実際に体験したのではないかと空想しています。
小説という形で発表することで、おかしい人物という評価や怪しげな人だと思われずに、訴えることができるからです。
これは自分の体験談風に発表しようとすると精神科のお世話になってしまう可能性もあるからです。


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posted by ガンちゃん at 22:38 | Comment(10) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月22日

【再掲】観念論哲学による認識論と思考

観念論哲学による認識論と思考


人間の感覚器官がいかに不確かなものなのかというところから、考えを出発しなければなりません。
眼の感覚器官に関しては、一定の周波数によって、波長の長い方から、赤〜紫までの色が光のスペクトルとして知覚されます。しかし、スペクトルの光線領域は赤や紫を超えて拡がっているのに、一定以上あるいは、以下ですと眼は光のスペクトルとして知覚できません。
しかしその化学作用は認めることはできます。
例えば紫外線は、色として知覚できないと思いますが、振動数が高い紫外線はエネルギーも高いので、あまり紫外線にあたっていることをお勧めできません
これに類似した諸現象の考察によって、次のような観点に行きつくと思います。

人間の知覚世界の範囲は、人間の感覚能力の範囲内に限定されています。人間がこれまでの感覚以上の感覚を持ったならば、あるいは、そもそも人間に別種の感覚器官が与えられているとするならば、世界はまったく別の姿をとって現れてくると思います。
シュタイナー自由の哲学 参照
人間が観察できる範囲は、人間の身体組織に属する感覚器官に働きかけるものに限られます。しかし身体組織の制約を受けた知覚内容が、現実に対する何らかの基準になると考えるのは正しくありません。
なぜなら、新しい感覚器官を獲得するたびに、現実についての新しい姿が現れてきてしまうからです。

シュタイナーは、どんな種類の感覚を持ちえたとしても、知覚内容を思考しつつ概念と結びつけることをしなければ、人間は現実を手に入れることができませんと述べています。

大切なのは、どの知覚内容もそこに潜んでいる現実の一部だけしか与えてくれません。
この点を、しっかり認識しておきませんと、物がすべてという唯物論者になる可能性が高いと考えます。

「動物にも備わっている魂を、精神に作り変えるのは思考の働きである。」とヘーゲルは述べられていたと思いますが、思考の働き、思考内容こそが神や仏が持つ性質と同質のものであり、思考内容を高度なものにしていくことが、人間が神に近づいていくための修行なのではないかと思います。

我々の前に事物が謎めいて現れてきますが、それは事物そのものの成立過程に立ち会っていないからでありますが、思考を通して初めてその成立過程を考察することが出来るようになるとシュタイナーは言われていたと思います。
成立過程は知覚することができなくても、論理的思考を通し考察することで、因果関係を見抜くことができるのではないかと思います。

シュタイナー認識の出発点は思考であり、理念や概念からではありません。理念や概念は思考を前提として初めて獲得できるものです。ヘーゲルは概念から出発していますが、この点がシュタイナーとの違いであると思われます。これに関しては、別途考えてみたいと思います。

我々はまず、観察を通して知覚内容を得ることができます。しかしその知覚内容は、無秩序でバラバラな混沌の状態にあります。そのバラバラで無秩序な知覚内容を統一的にまとめ上げるのが思考であると考えます。
知覚内容は思考を通して概念と結ばれます。概念から照らされる光によって初めて知覚内容に意味付けがされるのであろうと思います。

しかし観察による知覚内容が増えるに従って、初めにあった知覚内容と、矛盾対立が生じてきます。知覚内容の範囲が広がるにつれて、これまで信じていた世界像を訂正しなければいけなくなります。新たな知覚内容に対して、今までの概念では意味付けができなくなり、自分の内に対立が生じます。
この対立、矛盾を克服していくことによって新たな概念が形成されていくことになると思います。
対立矛盾を止揚統一していく思考過程こそ魂の進化なのではないかと思います。


このように弁証法的な過程を通ってより高度な概念が形成されていくのではないかと思います。知覚内容は概念によって助けられ、概念は知覚内容によって高度化していくのであると考えます。

また、感覚器官は不完全な為、総体の中の一面、断面しか確認できなせん。感覚器官でとらえる現象は、変転変化するために、限られた時間内でこれが真実だと認識してしまうのは過ちのもとであると思います。
例えば、種から芽が出てやがて花が咲きますが、種だけを見てこれが花の本質だと認識したとしたら大変な間違いだと思います。一定の時間の枠内で、その対象の姿が真実をうつしていると見誤ってはならないのではないかと思います。いずれにしても知覚内容は思考を通して概念と結びつけることなしに、本当の意味で現実を認識することはできないと思われます。花の概念を認識するには、まず花の知覚内容を持たなければなりません。
その後に概念の総体の中から特定の概念を取り出してきて、知覚内容に意味付けを与えていくことになると思います。

人間の思考について深く考えることで、唯物論といった幼稚な考え方に惑わされることは無くなるのではないかと思います。


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posted by ガンちゃん at 19:47 | Comment(0) | 哲学的認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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