2013年05月21日

【再掲】南京大虐殺はない 日本人は勇気と誇りをとりもどせ

南京大虐殺はない 日本人は勇気と誇りをとりもどせ

東京裁判史観それは、日本だけが悪い国である、日本の歴史は汚辱の歴史であるとするものであります。
東京裁判史観教育がいかに恐ろしいものであるか、確実にその効果がでてきています。
事後法による東京裁判を正当化するために「人道の罪」をつくり、捏造されたのが「南京大虐殺」です。

細川内閣以降、日本政府は中国に何かを言われても反論もできないで頭を下げるだけの腰抜けになっています。
昭和12年、日本軍が南京を占領したときに30万人以上の中国人を大虐殺したといいます。
しかし、今や「南京大虐殺」は東京裁判のために捏造された虚構であることは、いろんな資料によって証明されてきています。
東京裁判とは、戦勝国が敗戦国を裁くという「やってはならないこと」をやったものであり、裁判とは名ばかりの戦勝国たる連合国にとって不利な証拠は一切却下してしまうという、じつにひどい裁判でありました。
南京大虐殺が行われなかった証拠の一つとして、渡部昇一氏が常に引用する証明法を1つ上げておきます。

東京裁判における最重要証人でありますマギー牧師の証言です。
マギー牧師は南京における膨大な殺人、強盗、強姦、暴行、累々たる屍等について見てきた証言をしました。
ブルックス弁護人は、「殺人行為の現行犯をあなた自身はどのくらいご覧になりました」と尋問しました。答えは、一件。その一件ですら歩哨に誰何されて逃げた人であった。
実に30万人という数字の根拠など曖昧であったというしかありません。

日本が南京を占領したとき、30万人の中国人を大虐殺したと、東京裁判が始まった時、米占領軍の意をうけてNHKはじめ日本のマスコミは大宣伝しました。そしてその後、ジャーナリストや学者で南京大虐殺を蒸し返えし、これは本当だと触れまわった輩が続出してしまいました。
その為、いまでも多くの人が南京大虐殺を行われたと思っています。
小室直樹 著者参照

渡部氏曰く、「南京大虐殺」について、「戦争中に敵の将兵をやっつけることは当然ですから、虐殺というからには、あくまでも市民の殺戮が問題になるべきです。そこで伺いますが、あなたはいったい何人の市民が殺されたと認識しているのですか」この質問にきちんと答えることができる人は一人もいないはずです。なぜなら、そのような事実はほとんどないからです。
それでもなお無理矢理に「何十万人だ」というように答える人がいたならば、「それはどのような資料から調べられますか」と問えばよい。おそらく誰も答えならないでしょうということです。

虐殺事実の存在を否定する最も優れた研究の一つに、田中正明氏の著した「南京事件の総括」があります。田中氏は15の論拠を上げていますが、いくつか紹介します。

当時の南京の人口ですが、犠牲者が30〜40万人といわれていますが、当時の南京にはそれほどの人口がいませんでした。安全区を管理していた国際委員会の公文書では人口20万人、米誌ライフには15万人、日本軍の捕虜になった中国軍将校の記録では、「非戦闘員10万人」「南京市民20万人」とあり、南京防衛軍5万人とあわせても、どんなに多く見積もっても25万人しかいませんでした。

また南京安全区国際委員会の公文書から人口問題の個所を抽出しますと、日本軍の南京入場後に人口が増加していることが分かります。東京裁判の記録によれば、南京占領後、虐殺、暴行、略奪などが6週間において行われたとありますが、そんな治安の状況下で人口が増えるわけがありません。

他にもいろんな資料が明らかになっています。
日本及び日本人は劣等感をもつ必要などなく、日本の歴史に誇りと自信を持って生きていくべきです。自虐史観などから全ての国民が脱却して、日本に繁栄と発展をもたらし、救世の法を世界に広めていくことが、地球や宇宙にとっての真実の平和につながっていくのではないかと思えます。



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posted by ガンちゃん at 00:12 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月19日

青春とは心の状態

青春とは心の状態

70年代の青春ドラマのようなタイトルをつけてみました。
人は年齢のわりに外見が若く見える人もいれば、逆に老けて見える人もいます。肉体的な状態だけで心の中身を推測することはできませんが、しかし、ある程度、心で思うこと考えることが一定の割合で肉体にも反映されていることは間違いないと思います。
仏教の教えにも、「色即是空・空即是色」という教えがありますが、「色」とは目に見えるすべてのものは、変転変化し最終的には、地上から消えていく運命にあります。そのような意味で感覚的なものは仮の存在であると言われています。
また、霊的世界こそ実相世界ではありますが、感覚器官で確認できる範囲外なので「空」という言葉で表現されています。
心の中で考えること思うことが、肉体にも影響を与えるということです。

10代〜20代の年齢の人達だけが青春と呼ばれる時代なのか、それとも青春とは必ずしも年齢に関係がないのか考えてみます。
サミュエル・ウルマンという方が次のように語っています。
『青春とは、人生のある期間をいうのではなく心の状態をいうのだ。優れた創造力、たくましい意志、燃える情熱、勇ましく強い心、何事にも挑戦する冒険心、こういう心の状態を青春というのだ。
年を重ねるだけで人は老いない、理想を失うときに初めて老いがくる。
苦しみもがくことや、疑いためらうこと、不安、恐怖、失望といったものが、人を老いさせ、生命の元となる魂をも駄目にしてしまう。
年は70歳であろうと16歳であろうと、その心の中に抱くものはなにか。
驚きへの愛慕心、空にきらめく星座のような、素晴らしい考えや思想を敬う心。
決して物事に屈しない挑戦心、子供のような飽くなき探求心、人生への喜びと興味・・・・

人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる。
人は自身と共に若く、恐怖と共に老いる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。』

このように、希望、自身、信念、勇気、あきらめない心、挑戦、情熱といった心の状態を持ち続けることこそが青春であると思えます。
また、疑惑、恐怖、心配症、失望等が人間の本質であるところの魂を弱らせ、老い朽ちてしまう原因であると思います。
特に失望は、悪魔が一番使い込む道具であると、「悟り極致とは何か・情熱からの出発」に書かれていたと思います。
どのような欲望に強い修行者であっても失望という楔を打ち込まれると、後から絶望、不信感といったマイナスの感情を取り込むことが出来るそうです。

神仏の願われる心の状態を持ち続けることが、自分の心に光を取り入れることになり、その状態こそ青春と言わるものであると思います。


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