2013年05月31日

【再掲】仏教的認識論・十八界の思想と無常観

仏教的認識論・十八界の思想と無常観

人間が地上で肉体に宿って生活するとき、その生活の出発点は肉体の感覚器官から発生します。
第一に眼です。眼から入ってくる情報は対象を認識するにあたって、かなりの割合を占めると思います。しかし、眼から入ってくるその情報が正確なものかどうか定かではありません。対象を認識するにあたって、眼の機能に依存した見方になると考えられます。同じ対象を観察したとしても見え方はそれぞれ違った見方をしていると思います。その結果、やはり知覚内容が人それぞれ違うのではないかと思います。仮に視覚的に同じような見え方をしたとしても視覚による知覚内容が違うということは同じものを見ているとは言えないと考えます。

次に、耳です。人間の耳はある一定の周波数の幅を、音として確認することができますが、人間が聞き取ることができない周波数の音を聞いている動物もいると思います。音もやはり耳の機能に依存した一定の範囲内でしか聞き取ることができません。

次に鼻ですが、これも同じ人間であっても男性と女性では臭いの感じ方が違うようです。ある種の臭いに対して男性は何も感じることがない場合もありますが、女性には我慢できないということがありますので、鼻に関しても臭いに対する感じ方はいろいろです。

次に舌です。これも舌そのものの機能は人によって、そんなに変わらないと思いますが、辛い食べ物が好きな方もいれば、甘いものが好きな人、嫌いな人、人それぞれです。甘さだけをとっても甘すぎると感じる人がいる一方で、そうでもないと感じる人がいますので、舌の感じ方、感覚も人それぞれです。

次に身です。神経を通して皮膚はいろいろな感覚を持っています。これも皮膚の感覚機能自体は人間であればそれほど大差はないと思いますが、暑がりの人、寒がりの人、肌が敏感な人とそうでない人がいるのでもわかるように、皮膚の感覚も個人によって受け止め方が違うと思います。

最後に意です。この意に関しては宗教の中で語られているような奥深いものでなく、五感から集められた情報を判断している頭脳に当たる働きと考えていいと思います。
以上が「眼・耳・鼻・舌・身・意」に関しての説明です。
六つの感覚器官を六根と言います。

次に六境(六つの対象)とは、先ほどの感覚器官に対応するもの、その感覚の対象となるものです。
眼に対応するものは「色」です。眼を通して色彩などを感じ取ります。
次に「声」です。音や音楽を聞くことで、それに対して快・不快を感じることがあります。
「香」は香りを感じ取ります。
つぎに「味」です。舌で感じとるものは味わいです。
身体で感じとるものは「触」です。いろんな感触を感じ取ります。
次に「意」です。意の部分でと感じるものは、法です。法は、概念や観念といった抽象的な言葉で語られるものです。

このように「眼・耳・鼻・舌・身・意」という感覚器官の対象を「色・声・香・味・触・法」と言います。これを認識の対象領域という意味で六境という。

また、六識(六つの認識)とは、肉体に基づく感覚器官とその対象の間の関係をどのように認識するかということです。
「眼識」は対象を眼で確認して、それが何であるかを判断します。
「耳識」は耳に入ってくる音や音楽を聞きながら、クラシック音楽は素晴らしくて好きだなと感じる、あるいは雑音がうるさいとか感じとります。
これ以外に「鼻識」「舌識」「身識」また心のほうで「意識」が出てきます。

「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つの感覚器官(六根)が「色・声・香・味・触・法」という六つの対象(六境)を感じ取り「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」という六つの認識(六識)を生じます。
この18個をあわせて十八界と言います。
感覚器官とその対象の間での関係をどう判断するかという認識が生じます。人間の認識といっても突き詰めて考えると十八界によって世界認識をしていると仏教では教えています。


仏教的世界観には無常観があります。
無常とは、諸現象がつねに変化してやまないこと、生滅を繰り返すことです。時間的持続性がないこと<刹那滅>。を言います。
このようにつねに、変転変化しながら生滅を繰り返す存在に、永遠不滅の本体、固定的実体(我・アートマン)はありません。無我(アナートマン)といわなければなりません。
ここでいう無我とは、自分がという自我の思いを否定する教えという意味ではなく、変化しない持続的、固定的、自からなる性質を有するものは無いという意味の無我です。

ただ、縁によって現象するのみです。あるいは相関的・相対的存在にすぎません。
かくて無常・無我<諸行・諸法>とは縁によって生起したものです。大乗仏典 中村元著 参照

肉体に基づく感覚器官の性質・機能に依存した自己認識、世界認識は真実の世界観を教えてくれません。感覚的なものは無常であって、滅びを内包していますので、それに執着をすると苦しみの原因になると仏教は教えています。



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posted by ガンちゃん at 21:37 | Comment(1) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月30日

【再掲】超光速粒子タキオン

超光速粒子タキオン

従来の理論では、タキオン(光速を超えた粒子)が考えられませんでした。その最も大きな理由は、粒子の質量を速度Dであらわす式にあるのではないでしょうか。

アインシュタイン 質量 タキオン.jpg

m0:静止しているときの物体の質量
m:動いているときの物体の質量
v:物体の速度
c:光の速度
ブルーバックス:タイムマシンの話し・超光速粒子タキオン 参照

止まっている時の質量がm0なら、速度vで走る時、質量は式でみるようにmにかわります。速度vが光速cに近づくほど分母のルートの中は小さくなります。したがってmが大きくなり、v→cでm(質量)が無限大になってしまいます。無限大の質量は考えられませんから、いかなる粒子も光速を超えることができないと考えられています。
速度がv=cで分母が0になってしまいます。分母がゼロだと具合が悪ので、分子の方もゼロにして、つまりm0=0光子の静止質量はゼロであるといっています。0/0という式を使わざるをえなかったようです。この数式では、物体は速度が光速に近づくほど重くなっていきます。

タキオンの速度vが光速cを超えてしまうと、平方根の中が虚数になってしまいます。

粒子を三種類に分類すると以下のようになります。

第T種 m0^2>0 mはプラス実数(遅速粒子・通常粒子)
第U種 m0^2=0 mはゼロ(光速粒子)
第V種 m0^2<0 mは虚数(i)(超光速粒子)

第T種粒子は、エネルギーが与えられると速く走るようになりますが、決して速度が光速にたっしたり、これを超えることがない粒子。その固有質量は測定可能な実数の粒子。電子・陽子・原子核等

第U種粒子は、生まれた時から死ぬときまで光速で走り続ける粒子。どのようなエネルギー状態でも、またどのような運動状態にある観測者からみても速度は常に光速で一定。光子・ニュートリノ等
第V種粒子は、生まれながらにして、光速を超えた速度で走り続け、けっして第T種や第U種の粒子になることはありません。

タキオン粒子は、光速について決して到達し得ない無限エネルギーの壁になっています。つまり、タキオンを光速にするためには、無限にエネルギーを供給しなければなりません。

通常の第T種粒子は、エネルギーを加えるほど、どんどん加速していきますが、タキオン粒子はエネルギーを加えるほど遅くなり最低速度が光速ということになるのかと思います。

これは、霊子(タキオン粒子)にエネルギーが帯電すると、光子として三次元物質世界に観測される形で存在することになるということで、霊子と光子は表裏一体であるということではないかと思います。

また、タキオンが自分もつエネルギーを失いゼロ・エネルギー状態になるとその速度は無限大になります。速度が無限大ということは移動するのに時間がかからないということですので、瞬時に宇宙の端から端までいくことができることを意味しています。

ただ、注意点として式がこのようになっているから、事実もこの通りになっていなければならないと考えると、これは本末転倒です。科学における数式は事実をうまく説明する手段として、人間が設定したものに過ぎません。あくまでも真実の答えは自然の現象のなかにあると思います。

光速と光速にけっして到達できることのない粒子で規定されている三次元物質世界は、閉ざされた世界・箱庭の世界、宇宙かもしれません。

光速を超えた速度が実験的に確かめられています。
以下過去記事参照

http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/277666497.html?1344847932

http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/277668624.html?1344845882

光速や光速以下の速度で限定された物質世界に対して、光速を超えた世界から三次元をみると、現在のみならず、未来や過去も見えるのでしょう。

以前にも書きましたが、いくら素晴らしい理論であっても、その出発点、前提が間違ったものであるならば結論も間違ったものになるはずです。
今後、超高速度(光速をこえた速度)や霊界(4次元以降)があるという前提で理論を組み立てないと、現在以上の発展は難しいのかもしれません。

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posted by ガンちゃん at 09:23 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする