2013年02月15日

自然科学と唯心論

自然科学と唯心論

唯心論と科学に接点はないか考えてみます。
唯心論とは、世界の本質と根源を精神的なもの(霊魂、精神、理性、意志など)にもとめ、したがって物質的なものをその現象または、仮象とみなす学説で、唯物論と対立する関係にあります。

「元来、あらゆる自然科学の目標は、でき得るかぎり、自然がそれ自体で、すなわち、われわれの干渉もなければ、観測もなされなかったとしたとき、あるであろうがままに記述するにあったわけでは、あるけれども、今や、われわれは、まさに、こうした目標こそ達し得られぬものである、ということを認識している。原子物理学においては、いかなる観測でも、それが観測される対象にもたらす変化を度外視することは、断じて不可能なのである。自然のいかなる特徴が決定されるか、また、われわれが観測によって何を消し去るかは、観測のしかたによって、はじめて、きめられるのである。」
自然科学的世界像 ハイゼンベルク みすず書房

上記の意味は、例えば、電子でも光子でもよいのですが、これらの素粒子は粒子としての性質をもちながらも、波動としての性質も有しています。
一つの同じ素粒子がどうして、波動としての性質(干渉、回折等)や粒子としての性質(光電効果)、あるいは、波動として観測されたり、粒子として観測されたりするのでしょうか。
それは観測する側の人間に依存しています。
観測方法をかえることで、粒子として測定されたり、波動として測定されたりします。観測方法のしかたを選択するのは、人間の意識、意志ですので、人間の意識と実在が深く結び付いているのではないかと思います。
古典物理学の基本的考え方は、人間の主観を交えないで、いかに客観的に測定するか、観測するかということであったと思いますが、今や実在は観測者の意識と深い関係がありそうです。

唯心論の考え方として王陽明の考えを、八正道ノートさんからコピペさせていただきました。

『王陽明は、「すべては心のなかにあって、心の表れなのである。だから、谷間に咲くユリの花であっても、そのユリの花が存在するわけではなく、心の状態である『寂』の表れたものが、その谷間のユリの花なのだ」というように、すべてを心に当てはめて考えていきます。これは、神や仏というか、根本の霊的存在から見れば、実は、そのとおりです。心の表れが現象化して現れてきているのです。(『王陽明・自己改革への道』p25)』

唯心論の考え方は、心の状態と現象が結びついています。観測者と観測対象、主体と客体、これらは不可分の関係にあるのみならず、区別さえできそうにありません。

心と実在の関係を考えれば考えるほど、迷路に迷い込んでしまいます。

最後にハイゼンベルクの言葉を引用して終わりにします。
「戦後、日本から理論物理学の領域ですばらしい貢献がなされたことは、東洋の伝統的な哲学思想と量子論の哲学的性格との間に何らかの関連があることを示しているのかもしれません。」



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posted by ガンちゃん at 23:15 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月09日

聖霊を汚す罪 その2

聖霊を汚す罪 その2

幸福の観測所さんと「幸福の科学」観察日記さんから、漢字の誤りと文書の間違えを指摘されましたので、一部修正いたしました。感謝いたします。

誤解がないように自分自身のことを少し書かせていただきますと、私は他宗教を信じている人、アンチさん、その他自分の考えと必ずしも合わない人に対しても、地獄に落ちるとか、悪魔と言ったことは無いと思っています。ブログにおいても過去の記事で、他のブログについて悪魔という言葉を書いてはいないと思います。
自分自身がそれほど、できている人間とは思っていませんし、自分が地獄に落ちる可能性があるので、他の人にそのようなことは言うべきではないと自分では考えています。
どんな人でも、悪魔とか地獄に落ちるとか言われれば、嫌な気分になると思うので、人の傷つくことを言うべきでないと気をつけているとは思っています。
また、信者同士ですとお互いに褒め合うことが多いので、私は一般の人が自分にどのような印象を受けるかを観察しています。
今まで、初対面の人から、ガンちゃんは優しそうとか、目がきれいとか、信用できそうとか何度か言われています。2日前には年下の男性にガンちゃんさんは、いい目をしていると、言われました。(これは自分を褒めているわけではなく、事実です。)
ブログでは相手が見えないので、どのような人かを判断するのは難しいと思いますが、一般の人に、半分はお世辞が混ざっているとしても、いい印象を与えているようなので、人柄はそれほど悪くないのだなと思っています。
「聖霊を汚す罪」はアンチさんに対して、脅しを込めて書いたわけではありません。人を脅してやりこめようとする意図で書く人間ではないということは知っておいてください。

幸福の観測所さんも「幸福の科学」観察日記さんも非常に勉強されている方々ですので、自分の知識が絶対に正しいとは思いませんが、「宗教詐欺・マインドコントロールに荷担する信者の例」について思うことを書いてみます。

聖書や仏典にしても読む人によって、受け止め方や解釈が違うものだと、あらためて考えさせられました。聖書や仏典がイエス様や、仏陀の言葉を現代まで正確に書きあらわしているとは思いませんが、歴史の試練に耐えてきたものは、それなりの光があると考えています。
どの部分の教えが普遍性のある光の言葉であるかを見極めるのは、後世の人達の仕事であると思っています。
『「聖書」や「仏典」を引用し、それと共通点があるからと言って正しいとは限らないことは、統一教会やオウム真理教の例を見れば分かる。寧ろ、そうやって権威に縋って誤魔化すやり方が、カルトの常套手段なのであり、ガンブロ氏もそのカルト的手法をそのまま使ってしまっているのだが、それを自覚できないようである。』
と書かれていますが、統一教会や、オウム教がそうだからと言って、私や、幸福の科学までが権威に縋って誤魔化すとはかぎりません。
確かに初期の頃の組織は、まだ立ちあがったばかりでいろんな問題を含んでいたかもしれません。
職員にしても、乱暴で、言葉づかいの悪い人はいました。
しかし当時、大川総裁先生は、発展が急であれば、愛はそれを上まわらなければいけない。愛なくば発展は死である。と言われていたと思います。
大川総裁先生の教えには、人を傷つけ、堕落させる言葉は一言もありません。

幸福の観測所さんは、以下のように書かれています。
『幸福の科学の霊界観は、形を変えたカースト制に過ぎない。バラモン教による生まれ以ての差別を否定した仏教とは正反対の考えである。仏教は「断見」も否定したが、「常見」も否定した。然るに、幸福の科学では、死後もハッキリとした個性が残るということを言っている。それはつまり、仏教で言うところの「常見」である。仏教的に見ても、間違った霊界観を説いている。』

幸福の科学の霊界における次元構造は、もともとある霊人が、どの次元に住んでいるといった固定的に決定されているわけではありません。カースト制度とは、生まれによって身分がきまっていて、個人の努力ではどうにもならない身分制度をいいます。
しかし、幸福の科学の教えている次元構造は、個人の努力や、社会に対しての影響力、その他、トータルで霊的価値観から判断して、善と判定された場合に、高次元に行くことができる霊界観ですので、これは平等と公平の問題で、努力と結果に対して公平に判断されていると考えられます。

また、『死後にもハッキリとした個性が残ると言っているので、仏教で否定しているところの「常見」であるから、仏教的に見て間違っている』と解釈されていますが、その解釈が間違っているのではないかと思います。

これも平等と公平の問題であると思いますが、個性が地上を去って、霊界においても残るのは仏教でいう「常見」と意味が違います。日本人のほとんどが、死んだら仏になると考えているようですが、地上で好き勝手に生きた人が、死後、素晴らしい世界に行くとは考えられません。

不常・不断の問題で、『常見』を心の問題ととらえずに、今の自分の環境や身分、存在形式が固定した考え方で、死後、霊界においても継続されるとした考えを否定していると考えます。
また、不断においては唯物論的な考え、死ねば何もかもがなくなるとした考えを否定した教えです。
両極端を否定した中道的な観点で、心の傾向や認識力の違いによって霊界の住み分けや存在形式が違ってくるという極めて公平な霊界観であると自分は考えます。変化するが正しい認識であると思います。
縁起の理法通りで、努力に対しての結果の違いです。

まだまだ、いろいろあると思いますが自分の考えを一部、書いてみました。



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posted by ガンちゃん at 14:56 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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