2013年02月26日

感覚器官の限界 没落の法則と因果律

感覚器官の限界 没落の法則と因果律

前記事でプラトンの話をしましたので、別の切り口で霊的世界と感覚器官の関係についての考察と、没落の法則といわれるものが、本当に普遍性があるものなのか考えてみます。

物質世界、あるいは感覚的世界というのは、人間をとりまくものの一部分であるに過ぎません。人間の全体的環境にうちで、この部分だけが独立しているように見えるのは、この物質世界だけは感覚によって知覚されるのに、同様にこの環境を構成している、霊的部分のほうは知覚せられずに残されているからに他なりません。
水面に浮かぶ氷塊が周囲の水と同じ素材でできておりながら、特定の性質によって水から独立しているように、感覚的事物もその周囲の霊界と同じ素材からできておりながら、ただ感覚的に知覚される特定の性質によってこれらから、独立しているだけであると考えます。

人智学のシュタイナーは、比喩的にこのように説明されています。
「感覚的事物とは濃縮された魂的、霊的存在なのであって、この濃縮の結果、感覚がそれを知覚することができるようになったのです。事実、氷が水の一存在形式に過ぎないように、感覚的事物は魂的、霊的構成体の一存在形式に過ぎません。このことを理解したのなら、水が氷に転化するように、霊界が感覚世界に転化する可能性をも受け容れることができるであろう。」
感覚的事物は霊界から生じたものであり、霊的本性の別形式に過ぎません。

ドイツ観念論哲学のカントは、「純粋理性批判」で次のように述べていたと自分は理解しています。
カントは、感性による直観によって対象を観察し、人間精神に宿る概念によって対象を認識することができる。カントの概念は対象を認識するための枠組み、あるいは思考するための規定であり、まず経験がなければ概念で対象を認識することができません。
まず、経験によって感覚器官から与えられた情報をもとに、人間悟性(幸福の科学でいう悟りという意味の悟性とは違います)によって、対象を整理、事実判断がなされ、理性によって価値判断がなされます。また、カントのいう概念によって認識できるものとは、現象として現れた部分のみ、感覚器官により経験が確認できる範囲のものに限定されています。つまり物の本質ではなく、あくまでも五感を通して確認できる本質の一部、現象部分のみである。と『純粋理性批判』では、いわれていたと思います。


しかし、シュタイナーは、「自分の知覚できるものだけが、現実に存在すると言うことは決してできない。
知覚感覚が欠けているために、知覚できずにいる、多くのものが現実に存在するからである。」と述べています。つまり、感覚器官の機能の問題で感覚器官の性質、機能に依存した対象以外に通常は認識できないということであると考えます。



没落の法則と因果律について考えてみます。検索して調べてみましたが、当会に関係した人達を列挙して、どれだけ不幸になっていったかをまとめてありました。
しかし、私にはそこに因果関係は成立していないと考えます。法則というのであれば、そこには普遍妥当性がなければなりません。普遍妥当性とは「宇宙、世界の全体に関していえること。真理を認識した場合、われわれがそれを考えても考えなくても真理だという確信を伴うが、このようにいつどこででも承認されるべきものだ」と言われています。
空間的、時間的に変わらないということであると定義します。
もし、没落の法則に普遍妥当性があるのであれば、当会に関係する世界中のすべての人が没落していなければなりませんが、決してそのようなことはありません。

もし没落の法則を主張するのであれば、列挙した人達が当会との関係において、どのような原因や条件によってそのようになったのか、理論的説明がなされるべきであると考えます。



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posted by ガンちゃん at 22:25 | Comment(2) | 哲学的認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月24日

「ORの悟りはプラトンより劣る」を読んで

「ORの悟りはプラトンより劣る」を読んで

プラトンの洞窟の比喩を読んでいただきありがとうございます。
太陽のメッセージ(木曜セミナー)の話を知っておられるとは、初期の頃から会員として活動されていたのですね。90年91年と大変な時期を経験されてきたのでしょうから、いろいろな葛藤があったのでしょう。ただ、記事の内容は太陽のメッセージを読んで書いたわけではありません。
すでにその本は、持っていません。
信者とアンチという関係ですが、決してこれから述べることを批判として受け止めないでください。
プラトンの洞窟の比喩を通して、現代的に語るとするならば、以下のようにまとめることができるということですね。

・人間の肉体は理念の投影に過ぎない
・宇宙はホログラム構造になっている
・3次元世界の存在は、3次元だけでは完結していない
・我々は3次元の映画のスクリーンの中の住人である

私も基本的には3次元空間は、3次元だけで完結しない。
人間の肉体は理念の投影に過ぎないという考えに賛成です。私は、霊的世界と3次元世界の関係をエネルギーという観点で証明できないかを考え続けていました。
それを証明するために過去、いくつかの記事を書いています。
以下参照してください。

存在と振動数 E=mc2とプランク定数
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/299378382.html

原子構造と宇宙の階層性
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/298163273.html

次元とブラックホールと霊界通信機
http://swedenborg-platon.seesaa.net/category/10398121-4.html

原子構造と未知のエネルギーついて
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/293101139.html

相対性理論・時間が遅れ〜
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/288087679.html

その他、カテゴリ(物理・化学・宇宙論)を参照されたし。

ただ、本末天道さんは記事の中で、「私はある実体験から宇宙はホログラム構造になっているということを確信しています」と書かれていましたので、そのような神秘体験をし、経験に裏打ちされた確信があるのでしょうから、私なんかの理解より深いものがあると思います。
宇宙のホログラム構造についても勉強をしてみたいと思います。

プラトンは洞窟の話以外でも、同書の国家に書かれている「エルの物語」等、まさに神秘性と合理性の両面を兼ね備えた、偉大な哲学者であると思います。

しかし、総裁先生がはたして本当に洞窟の比喩の意味を知らなかったのでしょうか。
本末天道さんは、
「ただ単にORが「洞窟の比喩」が何を意味するか知らなかっただけなのです」
と太陽のメッセージの本から結論付けているようですが(それ以外にも理由があるかもしれませんが)、幸福の科学のすべての書籍や、今は無いかもしれませんが「観自在力」やその講義テープ、それ以外の御法話から、知らなかったということは決してないと思っています。

話は変わりますが、これは書くべきかどうか迷いましたが、あなたが20数年間の信者生活とお別れした理由ですが、以下のように書かれていました。

「かって私は中学以来の友人に伝道しました
後に彼は大病を患い、その後遺症で鬱になり、あげくに若くして亡くなりました
そのときはわかりませんでしたが、これがネットで噂されている「没落の法則」ではなかったのかと最近思い至りました
私が伝道さえしなければ、よかれと思ってしたことが、取り返しのつかない過ちを犯してしまった」

友人を亡くすことは、大変つらく、苦しいことであると思います。取り返しのつかない過ちを犯してしまったと書かれているので、ご本人にも心の傷として深く残っているのでしょう。
しかし、本当に原因が、伝道した結果なのでしょうか。もし、伝道したことが原因であるならば、すすめられた友人より先に、すすめた本末天道さんが不幸にならなければおかしいはずです。
時系列的に考えても、その時点で、友人より幸福の科学と深く関係があったのは本末天道さんなのですから。
しかし、この件に関しては私が深くかかわることではないので、ここまでにします。



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posted by ガンちゃん at 22:27 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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