タイトルとは逆説ですが、仏は広大無辺であり、我々が仏を認識することはできません。肉体の目を通して、3次元という不完全な世界において、仏法を理解し、神の教えを知るということは大変なことであると同時に、人間の転生輪廻の仮定で魂を進化する最大のチャンスでもあるはずです。
これほどの仏法真理が説かれているこの時代に、自分の培ってきた常識という物差しで仏を判断し、疑いの心が起きてしまうのも人間としての弱さかもしれません。
総裁先生が救世運動を更に強力に推し進めていくためにも、総裁先生を補佐する女性の力が必要であると自分は思います。
肉体の目でみれば、自分より何歳も年下の女性と再婚すれば、あまりいい考え方はしないでしょう。
しかし、総裁先生は仏法真理の力で、世界の宗教や思想をまとめあげ、霊的世界を証明するために身体をはってがんばっておられます。
それは、我々からはわからない孤独との戦いがあると思います。それを少しでも助けるためにも、今回の再婚は必然であったと自分は考えます。
救世主や如来の方々を陰で支える女性の力は、男性の偉大な仕事と比べても、ひけをとりません。
キリスト教父アウグスティヌスは、キリスト教を学ぶ前は、中東のマニ教やゾロアスター教を学んでいました。
そんなアウグスティヌスをキリスト教に導いたのは、母親でした。母親の名前をモニカと言います。
知の原理を学ぶ 参照
アウグスティヌスの著書は日本においても、多数出版されていますが、アウグスティヌスの母親の名前を知る人は、あまりいないでしょう。
しかし、名前を知られることがなくとも、アウグスティヌスがキリストの教父として偉大な仕事をなしとげ、後世のカトリック教会やキリストを信じるすべての人々に向かうべき方向性を与えた、その偉大な業績には母親の力がありました。
総裁先生が強力に救世運動を推進するためには、陰で支えてくださる女性の存在が必要であると思えるし、それこそが男性ではできない、女性ならではのすばらしい役割であると思います。
宗教改革の一人にマルティン・ルターという人がいます。
教会の権威に屈することなく、神の前での万人の平等を説き、聖書の原点主義を説かれた方であると思います。
ルターは、我々キリスト教者は、教会の権威によって神とつながっているわけではない。各人の心が信仰を通して、神とつながっている。そしてキリスト教者の学ぶべき原点は聖書にあり、宗教の本来の使命とは、各人の心を正していくことだ、と言われていました。
信仰とは自分が調子のよい時だけ信じればよいというものではないと思います。自分も不動の信仰心があるとは思っていませんが、総裁先生が初期のころお話しされた御法話で、このような内容の話をされていたことが脳裏をはなれません。
「これからは、この人がと思う人が信仰を捨てるでしょう。信仰とは戦って初めて得られるものです。戦いを通して得られるのが信仰なのです。平和のときにのみある信仰は本物ではありません。」
この戦いとは、真理の流布を妨害するものに対しての戦いもあると思いますが、自分自身の弱さや疑の心に対する戦いも含まれていると思います。
地上を去るその時まで、信仰を貫きたいと思います。
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