「アンチも信者も等しく感動するもの」を読みました。
あなたが嫌っている大川総裁先生は、人間には仏性、神性を宿していると教えています。信者でも他宗教でも、すべての人が美しいも美しく感じ、感動するものをみれば涙を流します。
このような事実をみても、人間の本質は肉体にあるのではなく、肉体に宿っている魂、あるいは目に見ることのできない霊的な存在こそ真実の自分であると思えます。
霊的世界についての話は、自分自身が追体験できませんので、確認しようがありませんが、幸福の科学以外でも、過去の歴史の中で霊的な話、天国・地獄についての書かれた本はいくらでもあります。
プラトンやソクラテスの著書を読むと、そのような話はいたるところに書かれています。近年では記事にも書きましたが、スウェーデンボルグやルドルフ・シュタイナーなど霊的世界や人間の本質について書かれています。
それを書いた人達は、この世的にも優れた人達です。地上的にも優れた人達が、霊的な世界観や人間の本質について書かれている内容は、本質的なところで幸福の科学の教えと共通していると自分では理解しています。
UMAさんが一番に問題点として指摘しているところは、総裁先生イコール神としている点でしょうか?私はそのように理解しましたが、神という言葉に違和感を覚えるようでしたら、認識力に置き換えてもいいと思います。
私が残念に思うのは、UMAさんがいろんな信者さんのブログを批評されているその時間とエネルギーを、もっと自分自身にむけられた方が、よいのではないかと思えます。
真の意味でもっと自分自身を大事にされてはいかがでしょうか。
もし私が、UMAさんに対して、仮に信者になることをすすめたとしても、おそらく現時点では信者にもどろうとは思わないでしょう。
それと同じで、UMAさんがいろんなブログに幸福の科学や総裁先生の批判を書かれても、その批判に対して、納得する信者はいません。それは、立場を変えて考えてみればわかると思います。
アンチの人は「悪魔」と思われていると書かれていたと思いましたが、アンチでない私ですら、信者さんから「悪魔」呼ばわりされているのです。呼ばれた側はあまりいい気分はしません。
しかし、いまUMAさんがしている行為は、善悪の価値判断からみても悪であると思います。
信者であろうと一般の方であろうと自由があります。選択の自由、あるいは信仰の自由が与えられています。その自由の範囲で個人が何を信じ、どのような行動をするかは、各個人の問題なので行き過ぎた批判は間違いであると思います。
ですから、他の信者さんに対して、批判されるのはもうやめて、上記で書きましたが、自分自身にとって真実価値あることに、時間とエネルギーを使われた方がよいと思います。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学