2012年11月11日

[HRPニュースファイル453]今こそ「平和」のための「核武装」を論ずべし

[HRPニュースファイル453]今こそ「平和」のための「核武装」を論ずべし

幸福実現党は2012年10月主要政策(マニフェスト)を発表しました。

http://www.hr-party.jp/inauguration/agenda2012.html

その中で新規政策として、中国の核に対抗するための核保有を掲げています。

その理由は、中国による核攻撃の脅威がいよいよ現実のものとなりつつあるからです。

中国は、その軍事費を1989年度から21年連続2桁増という勢いで増加させ、この20年間で実に軍事費を30倍に伸ばしています。

2012年の軍事費は表向き8兆7000億円と発表されていますが、実際にはその2倍から3倍の予算が軍事費に投入されていると言われています。

アメリカの軍事費が年間約40兆円ですから、すでに中国は、世界第2位、そしてアジア第一の「軍事大国」に台頭したことになります。

恐らく長い人類史の中でも、これだけの短期間に、これだけ軍事力を膨張させた国家は存在しないでしょう。

そうした中国の軍事力の中枢に位置付けられるのが「核ミサイル」です。中国は建国依頼、一貫して、核ミサイルの開発に邁進してきました。

現在中国が保有する核弾頭は、少なくとも200〜300発と言われていますが、最近のアメリカのジョージタウン大学の報告書では、実に3000発の核弾頭を保有しているという指摘もあります。

その矛先はインドやロシアを始めとした周辺諸国に向けられていますが、特に「敵国」である日本へは広島型原爆の数十倍の威力の弾頭を複数装着した中距離弾道ミサイルDF-21(東風21、射程1500キロ以上)が、東京や大阪、横浜など全ての主要都市に照準を定めていると言われています。

更に、今年7月には、中国がアメリカの東海岸に届く最新型の長距離弾道ミサイルDF-41(東風41、射程1万5000キロ以上)の発射実験を行なったとされ、それが成功したとしたら、中国はいよいよアメリカの首都ワシントンとニューヨークを、直接狙える核ミサイルを完成させたことになります。(8/23 産経「中国、新型ICBMを試射か 米本土攻撃を想定」)

こうした状況の中で、従来考えられてきたような同盟国であるアメリカの「核の傘」が、今後も働くのかという、重大な疑問が浮上しています。

例えば、尖閣諸島問題などで日中戦争が勃発し、中国が日本にだけでなく、アメリカに対しても核攻撃をすると恫喝し、実際に日本に核ミサイルを発射した場合、アメリカは自国の数千万人の国民の命と引き換えにでも、日本のために報復してくれるのか。

すなわち、中国の核の脅威に対する、アメリカの「核の傘」による抑止力が、これからも働くのか――という、疑問です。

実際、1996年の「台湾海峡危機」(台湾総統選挙で李登輝優勢の観測が流れると、中国軍は選挙への恫喝として軍事演習を強行し、それに対してアメリカが空母二隻を派遣した)では、もし米国が台湾に介入したら、中国は核ミサイルでロサンゼルスを破壊する。

米国は台北よりロサンゼルスを心配した方がよい」と、米国が介入した場合、中国はアメリカ本土に核攻撃する可能性があると表明しました。

さらに、2005年7月には、朱成虎少将が「米国政府が台湾海峡での武力紛争に介入した場合、核攻撃も辞さない」と海外メディアに対して発言しています。

その当時と比べて、膨張する軍事費を背景に、中国軍の軍事力は飛躍的に近代化されており、核ミサイルの性能も確実に高まっています。

今回の尖閣諸島をめぐる日本との紛争や、その後の軋轢の中で、中国が本気で「核の先制使用」で日米を恫喝してくる可能性は、確実に現実味を帯びてきているのです。

ましてや、オバマ大統領が大統領選挙で再選され、国内の財政問題から、米国の軍事費が削減され、世界の警察としての米軍のプレセンスが減退していく流れは、長期的には避けらないでしょう。

「自分の国は自分で守る」――いよいよ日本は、その決断が必要な時が迫っているのです。

その切り札とも言えるものが、「核武装」論であると、私は考えます。

核の脅威には、核による抑止力が最も有効です。特に、中国のような一党独裁国家に対して、それ以外の決定的な抑止力は、現状では存在しません。

「だからと言って、日本がすぐに自前の核を開発し、保有するというのも現実問題として難しい」という意見もあります。

しかし、日本という国家の存続を中国や北朝鮮の核の脅威から守るために、そのための国民的な議論を今始めるべきであり、そのこと自体が、中国に対する抑止力の一つになるのです。

もし現実問題として、自前の核武装が簡単にはすぐに行かないにしても、日米同盟さえ強固であれば、私は、現在日本の国是とされている「非核三原則」(核兵器をもたず、つくらず、もちこませず)を撤廃するだけで、中国や北朝鮮への核抑止力は、飛躍的に高まると考えます。

核兵器を搭載した米軍の空母や潜水艦が、日本の領海内を周遊するだけで、日本の核武装に近い、抑止力が発揮されるからです。

また、すでに北大西洋条約機構(NATO)で実行されている「ニュークリア・シェアリング」(有事の際に、アメリカから核兵器提供を受けて、自国の兵器として使用すること)の日本版も考えられます。

既にベルギーやオランダの他、かつての枢軸国であったドイツ、イタリアもアメリカからニュークリアシェアリングを受けており、アジアの最大の同盟国である日本だけが、それを受けられないという理屈は立ちません。

要は、日本の「核武装」論は、国家を担う政治家の「責任」と「意思」の問題です。

国家として、中国の核ミサイルから本気で国民を守るという責任感と意思があるのか。もしあるのならば、具体的にどうするのか。

これまで通り、他国の意思に自らの意思を委ねたままでいいのか。それが難しいなら、自分の国を自分で守るためにには、何をなさねばならないのか――。

自分の国は、国家を担う政治家には、それを議論する義務があり、またその政治家を選ぶ国民も、そのための議論を促す義務があります。

誰のものでもない、自分自身の、そして子供たちの未来がかかっているのです。

かつてのイギリスの宰相ウィンストン・チャーチルは、核兵器が持つ核攻撃への抑止力を前提に、このように語っています。

「逆説的かもしれませんが、私は核兵器の非人道性が地に平和をもたらすかもしれないと思うのです。」

これから幸福実現党は、国民の生命と安全、そして日本の未来のために、臆することなく、堂々と「核武装」を論じて参ります。(文責・矢内筆勝)
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posted by ガンちゃん at 10:24 | Comment(0) | 幸福実現党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月07日

日本の仏教と他宗教の信者について(自分の体験談より)

日本の仏教と他宗教の信者について(自分の体験談より)

ゲーテは、「本当の宗教はただ二つしかない。そのうちの一つは、われわれの中および、まわりにある聖なるものを、まったく形をはなれて認め、敬う宗教であり、もう一つは、もっとも美しい形において認め、敬う宗教である」と言っています。
聖なるものを、まったく形を離れて認める宗教は、基本的に教義、教えがある宗教で、この教えに則って教学を学び深めていく過程で、自分自身の認識力が高まり、宗教的人格が形成され、その徳の力で周りの人を感化していくような宗教だと思います。
もう一方の、美しい形において認め敬う宗教とは、信仰の対象を通して、霊的につながることを意味していると考えますが、例えば、マリア像やイエス・キリストの像に対してお祈りをしたり、仏像を拝んだりすることで、教学をしっかり学ぶ智を中心とした宗教というよりは、信心を中心とした宗教であると考えます。
日本人の持つ宗教意識あるは宗教観とは、どのようなものなのかを、渡辺昭宏氏の著書を参考にして調べてみました。
お経を毎日読んでいる僧侶が、いったいどの程度、内容を理解しているのでしょうか。一概には言えないと思いますが、日本の仏教教団としては、経典の内容を理解するためのものではなく、儀礼に用いるのが第一義であるようです。

信仰の対象として考えられるさまざまな姿をした仏陀も、『智慧』と『慈悲』とを根本的な特質とするといわれています。すべての生きとし生けるものが救済の対象になります。本来、仏教は解脱の宗教と認識されていますが、救いの宗教でもあるのです。

一般的には、自助努力し智慧を完成し解脱する宗教的方向に向かわずに、救済の宗教に行きやすいようです。救済の方に向かえば、当然、そこには他力信仰がでてくると考えられます。
自己の努力によって自分の理想を追求するというものではなく、人間をこえた存在(仏陀や神、菩薩、天使)の慈悲によって救済されるという思想です。
しかし、インドの文献によると、他力による救済は決して窮極的なものではないとのことです。例えば信仰によって浄土に生まれるとすれば、それで最後の理想に達したということにはなりません。
ところが仏教が中国に来ると、別の来世観がでてきまして、浄土に生まれること自体が窮極的な理想という考えも出てきました。その思想が日本に入ってくると、さらに簡素化されて、生理的な死と、極楽浄土と成仏がいう三つが混同され、しかも僧侶の営む宗教儀礼によってこれが実現されることになりました。死人をホトケといい、読経や念仏をもって菩提をとむらうというような言い方が、何の疑念もなく受け取られるという点まで堕落しました。
人間の理想実現の追求という仏教の根本理念が、死霊の儀礼という行事にすり替えられてしまいました。
一般的に日本人は宗教的体験を内面的実質的に求めようとせずに、形式のうえで把握しようとする傾向があると思えます。仏教の教義や倫理観、生活態度を学ぶより先に、寺院を建て、仏像を作り、儀礼を営むことを覚えました。日本人は外観や形式を覚えることに関しては異常なほどの才能を示しました。外観に見合った内面性や教義、倫理観がともなっていなかったので必然的に形式主義がはびこっていったと考えられます。

仏教の基本教義は、『三法印』といわれています。
第一の法印は、諸行無常です。
すべての存在は、河の流れのように時間の流れの中で変化し続けていき、変化しないもの固定的なものはありません。存在は無自性で滅びを内包しています。

第二の法印は、諸行無我です。
もの自体は、単一で成り立っているものはありません。すべては、他に依存しながら存在しているのであり、自立的なものはありません。すべては無常であり、移り変わり消滅していきます。すべてのものの中に永遠に自己同一性を保ち続ける本質、実体はありません。すべての存在は無我であります。

第三の法印は、涅槃寂静です。
すべての修行者の目標とすべき到着地点は、この涅槃と言われています。解脱が束縛からときはなれた自由の境地であるとするならば、涅槃は平和の境地と教わっています。

仏の三法印で仏教の旗印です。
そして、空の悟りを知っていくためには修行論が展開していきます。仏教の修行とは、「戒・定・慧」の三学です。
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。智慧を得ることでこの世的な束縛、執着を断ち切る力を得る。沈黙の仏陀 参照
正当な仏教であるかどうかの判断は、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印と修行論の戒・定・慧の三学が説かれているかどうかで判断できると思います。

上記の基準から見て他の仏教関係の宗教が正当な仏教かどうかを価値判断できます。
昔はよく創価学会の方から誘いを受けましたが、最近といっても数ヶ月前の話になりますが、冨士大石寺顕正会婦人部?の方から誘いを受けたことがあります。
顕正会の婦人の方は、大抵、旦那様も会員のようです。必ず顕正会の新聞を下さり、小冊子をいただけます。顕正会とは法華経教団のようで、日蓮大聖人が仏という位置付けのようです。
仏陀より、日蓮のほうが立場的に偉いようです。日蓮大聖人に背くと日本が滅びるということを言われていたと思いますが、はたしてそれが仏法でしょうか。
「南無妙法蓮華経」を唱えることが、自分の幸せに結びつくということを言われていたと思います。
法華経については、別の機会に詳しく書いてみたいと思います。

私は、いくつか質問をしてみました。そもそも法華経を読んだことがあるのですか?という質問に対して、読んだことはないと返答されました。顕正会の大部分の方は、法華経自体を読んだことがないのではないかと感じます。(過去3人から誘われたことがありますが、3人とも読んだことがないと言われていました)教学については、曖昧で不十分な理解しかしていないと感じてしまいます。私が、空・無我・四諦八正道・縁起・等の話をし、仏陀の教えは広大無辺であるので、法華経のみが真実の教えというわけではないと説明しても、仏陀より日蓮大聖人のほうが悟っていると思っているので、話しがすれ違ってしまいます。

南無とは、尊いものに帰依するという意味で、妙法とは妙なる教え仏法のことです。蓮華とは、あの汚い泥沼に咲く美しい蓮華、教とは教えという意味で、「あの泥沼にさく美しい蓮華のような尊い仏法に身も心もささげます」というような意味だと思いましたが、何回何百回と南無妙法蓮華経を唱えても、苦しみの原因を取りのぞかない限り、苦しみはなくならないと思うし、その原因を八正道という正しさの基準で照らしながら、誤った思いや行動は反省することが大事です、自分も出来ていませんが、という話をした覚えがありますが、結局、理屈で説明するより、実際に南無妙法蓮華経を唱えて実践することが、幸せにつながるのだから、やってみたらと言われました。
その場は、話しを終わらせてわかれましたが、自分の対機説法能力の無さを実感した出来事であったと思います。



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posted by ガンちゃん at 00:19 | Comment(6) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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