2012年11月14日

十二支縁起と転生輪廻

十二支縁起と転生輪廻

宗教が道徳や哲学と根本的に違うのは、宗教はこの地上での生き方を、来世との関係のおいて教えているところです。
お釈迦さまが菩提樹下で悟った「因縁の理法」は惑・業・苦といわれています。
惑とは、心の三毒といわれる「貪・瞋・癡」です。
貪りの心、瞋の心、愚かな心で、仏法真理を知らない無明からくる迷いの人生です。
迷いの人生を生きることで苦しみを作り、それが業としてあるいは、魂の傾向性として輪廻の主体となる意識に刻印されます。その結果、苦しみという報いが身に及んできます。

この惑・業・苦をさらに分析的に十二にわけた因縁の説明が、十二支縁起になります。

十二支縁起とは、
「無明」・「行」・「識」・「名色」・「六処」・「触」・「受」・「愛」・「取」・「有」・「生」・「老死」からなります。最初の無明と行が過去世に対応しています。

「無明」とは明かりがない状態です。智慧の明かりがないという意味で、心の三毒「貪・瞋・癡」中心の迷った思い、考えです。貪りの心、瞋の心、愚かな心です。その思いにもとづく行い「行」があります。無明からくる行いによって、業が形成されます。過去世の無明からくる行いから、生まれ変わりの主体、輪廻の主体になる一定の意識が形成されます。その業が魂の傾向性として刻印されますと、来世生まれ変わる時の魂の主体となる「識」ができます。
この生まれ変わりの「識」が、身体の中に宿ってくることを「名色」と言います。『名』と『色』は精神と肉体あるいは、心と体を意味しているようです。
しかし実際は、「名色」の段階では、まだ意識は霊界で対機中です。一方おなかの中では、動物の子供のようなものが出来上がりつつあります。
精神と肉体という意味の「名色」は不適切であって、本当の意味では、肉体が明確化してくるという「名色」といった意味合いの言葉のほうが正しいのです。魂が宿っていないので心と体という意味の名色という言葉は正しくありません。悟りの挑戦(上)参照
それから、「六処」という「眼・耳・鼻・舌・身・意」という感覚器官が明確になってきます。感覚器官が発達してくると、その器官に対応する感触「触」を感じとります。
感触がわかるようになると、感じとる能力、感受性がでてきます。感じとったものに関して、自分の感想、考えを持てるようになる精神作用の一つです。
感受性がでてきますと、自分の好き嫌いが明確になり、欲望がでてきます。これが「愛」で、キリスト教的な博愛や、与える愛という意味ではなく、パーリ語で「タンハー」渇愛という意味です。欲望がおさまらない状態です。
つぎに「取」がきます。自分の欲望の対象を手に入れたい衝動がおきてきて、本格的な執着がでてきます。このような執着の心が何年も継続していくと「有」の状態になります。
今回の人生で身に付けた、魂の傾向性です。
そしてまた来世、生まれ変わりの「生」があり「老死」となります。

転生輪廻の思想を、分析的あるいは哲学的に解説したものは、仏教以外にないのではないでしょうか。
今回、主が御降臨されているので、十二支縁起の第一原因である無明を、修正するまたとないチャンスです。最初は真理を知識的に学びながら、実践を通して愛を深めていければと自分は思います。

人間の本質は、霊的な思考するエネルギーであり、何度も地上に生まれ変わって、いろんな経験を積みながら神仏の方向に成長していく存在です。

転生輪廻や因果応報を信じることで、人生観が全く違ってくると思います。唯物的世界観を人生の根底に持っている方は、この人生を有限として見ているのでしょうから、生きている間に好きなことをしなければ損だという考え方になってしまうでしょう。努力しても死んだら終りだと思えば、それは無駄な努力と考えるのも仕方がないかもしれません。

しかし、転生輪廻(生まれ変わり)を信じ、因果応報を信じる人達は、人生に無駄なものは無いという考え方ができるので、魂にとって本当に実りのある人生を生きていくことができると思います。



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posted by ガンちゃん at 15:44 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月11日

ガンちゃん;現実的救済力と仏法の力

現実的救済力と仏法の力

私は、仏法の力を信じています。
理論だけの仏法で、実際に悩み苦しんでいる人を救済する力がなければ、意味がないことになってしまいます。
現実に、経済的な困窮があり、母子家庭で苦しんでいる方、病気など不自由な生活を余儀なくされた方、いろんな方がいます。
私自身も在家信者である以上、世間的に同じような悩みや苦しみを抱えて生きています。
経済的に困窮していると、心の平静が大切ですと言われても、現実に心の中は不安であると思うし、家庭調和が大事であるといわれても、夫婦喧嘩が絶えないのではないでしょうか。
また、病気や、けがをすれば歩くことすら困難になったり、寝たきりになったりと、たちまち日常生活にも支障が出てきます。
仏教が教えるように、人生は四苦八苦であり、悩み苦しみをすべて拭い去ることはできません。

あまり表に恥をさらしたくありませんが、私自身も経済的に裕福ではありません。
そのことで、妻と口論になることがありますが、私は苦しまぎれに「観念論哲学のカント・へーゲルでさえ、お金のことで困っていた。ましてや私が経済的になかなか発展しないのはあたりまえではないか」というような返答をしましたら妻は、「あんたは、そんな立派な哲学者か?」と軽く一蹴されました。

このように、個人や家庭、職場等ですべて人は、苦しみを抱えています。

しかし信じてほしいことがあります。

それは私たちが苦しみ悩み、悲しんでいる時に、眼に見えない世界において、私たちの苦しみや悲しみを、同じように心配しながら見守っている存在がいるということを思い出してほしいのです。
眼に見ることも聞くことも触れることもできない世界で、常に私たちを見守り続けている存在がいるということを信じるだけで、勇気がわいてきます。
また、逆境に立たされている時こそ、仏のそば近きにいると思えるのです。

自分の経験上、環境や他人の責任にしても絶対に現在の現状を打開することはできません。
今の状況を自己責任として受け止めて、そこからどのように逆転するかを考えることだと思います。
仏教的な縁起の理法に基づいて、現時点で未来に対して、種まきをしていくことだと思えます。
「なにもしなければ、何も変わらない」神秘の法・映画でいわれていましたが、現実に行動を起こすことが大切だと思います。

仕事においても、経験的に不足している部分に対しては、資格など取りながら穴埋めしていく、あるいは、私生活を正し(正命)、食事に関して注意することで、ある程度は病気を防ぐことができます。
まずは、自分ができることをする。一歩前進することが大切であると思います。
最後に本日の格言を掲載します。

【本格】努力を継続していけば 2012.11.11
努力を継続していけば、ある時点で、化学変化でも起きたように変わるときが訪れるのです。

『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』 第2部より

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posted by ガンちゃん at 10:27 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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