2012年10月12日

決定論か確率論か?シュレーデンガーの猫とワープ航行の前提条件

決定論か確率論か?シュレーデンガーの猫とワープ航行の前提条件

因果律について、決定論が正しいのかあるいは、確率論・統計的にしか未来は予測できないのか考えてみます。今までの常識的な考え方では、一定の条件がわかれば未来を予測することができるという考え方です。人間には古典的な因果関係、決定論でないと精密な科学になりえないのだという考え方が、古い時代からあったわけです。
例えば、120qの距離がある目的地まで、時速60qで走り続ければ、

距離(120q)÷速度(60q)=2時間

となります。一定の条件(この場合は距離と速度)がわかると未来が決定論としてわかるわけです。
ところが素粒子論が発展するにつれて、我々が常識として考えていたことが、本当に不変性があるような常識だったのであろうかという疑問がでてきたわけです。
素粒子の世界では、確率解釈・統計的な意味での因果律になってしまい、昔の因果関係が成り立たなくなります。ということは、非決定性になってしまうということです。

非決定論がはっきり現れるのは何かといいますと、放射線・放射能の問題だと思います。
例えば、ラジウムの原子がたくさんありますと、これをすべて同じ状態だと考えます。
ある原子は早く崩壊し、また別の原子は長い間生き残っているわけですが、全体的でみますと統計的には指数的に放射能が減少していきます。これは当然のことですが、原子を一つ一つ見ていきますと、どれが早く、どれが遅く崩壊するかは、まったくわかりません。実際には崩壊する原子の数で表されますからヒストグラム的に減っていきます。これは統計的ですし、非決定的です。
物理講義 湯川秀樹 参照

これを極端にしたのがシュレーデンガーの猫です。どういうものかといいますと、箱の中に猫と実験装置が入っています。
仮に放射性元素が約15分前後で崩壊をおこすとしますと、ガイガーカウンターが検出してリレーを動かし、連動するハンマーによって青酸ガスの瓶が割られて猫が死んでしまうという実験です。

シュレーデンガーの猫.gif

見ること(観測)が物の状態を変えてしまうという量子力学の考え方(不確定性原理)に従うと、猫は15分後に観測窓を開けて中を見るまで、生きている状態と死んでいる状態が半々に入り混じった確率の雲のような状態(重ね合わせ)で存在しており、観測した瞬間に、生きている状態か死んでいる状態どちらかの確率が大きくなっていた猫の状態が、(観測したことによって)決定(波の収縮)されるので、生きているか死んでいるか、どちらかの猫が発見されるということになります。

しかし、観測した時に初めて猫の生死が確定するということは、その情報が感覚器官を通して、人間の意識に到達した段階でしかありえないということになってしまいます。
いままでの常識的?な考え方からすると、人間が観測しようが観測しまいが、猫は生きているか死んでいるかのどちらかです。(生きている状態と死んでいる状態が重なっているわけがありません)
しかし量子力学的な考え方が正しいとすると、人間の意識がからんではじめて、世の中で起きている出来事が決まるという見方になってしまいます。
もしこの考え方が正しいとするならば、自然界の基本法則であるはずの量子力学が、人間の主観の存在を前提とした観念論的な法則であるとみなされてしまいます。

しかし素粒子の世界が、人間の意識に結びついた関係であると考えると、宇宙船のワープ技術と何か関係があるかもしれません。
宇宙船のワープ技術の前提条件として、探索機を送り込み宇宙の座標図を作成する必要があると『神秘の法』完全ガイド2に書かれていましたが、宇宙のどこに何があるかを知らなければワープできないことを意味していますので、宇宙船操縦者の意識とワープ技術が深い関係にあると言えると思います。
そうすると人間の意識が自然界と無関係ではなく、深いつながりがあると言えるのではないかと思います。

人間原理と宇宙論 参照
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/294891454.html

余談ですが、上記で距離と速度がわかれば時間が計算できますが、条件を限定すれば決定論も正しいと思います。しかし、世界はいろんな条件が複雑に絡み合っているので、一概に未来が決定論として測定できるとは限らないと思えます。
上記の例ですと、何もなければ2時間で目的地(未来の確定)につきますが、途中で交通渋滞にまきこまれると、到着時間が2時間30分かかるか3時間かかるか予測がたたなくなります。(非確定)

距離と速度以外の条件(交通渋滞)が加わると、正確な時間がわりだせなくなります。世界はいろんな条件によって成り立っていますので、確定論として未来を予測することは無理ではないかと思います。


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posted by ガンちゃん at 19:14 | Comment(2) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月10日

東京裁判史観からの脱却その2 満州事変は侵略戦争ではない編

東京裁判史観からの脱却その2 満州事変は侵略戦争ではない編

以前、東京裁判が日本人に対して徹底的に罪悪感を植え付けるための、日本人を弱体化させるための意図がみてとれる違法裁判であると書いたことがあります。

東京裁判史観からの脱却 以下参照
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/291405916.html

東京裁判は、満州事変は日本がおこした侵略戦争であるという論法でありますが、本当に満州事変が、侵略戦争であったのでしょうか?
現在の日本人は、満州事変が日本の侵略戦争であるという考え方が主流であるようですが、それは東京裁判の影響が大きいわけです。

日本には不戦条約によって自衛のための戦争であると主張する権利があったはずです。
しかし、裁判は弁護側の主張を無視する形で進められました。
日本で戦後の左翼の歴史家が15年戦争といっているのは、満州事変(1931年)から大東亜戦争終結(1945年)までを一つの戦争とみなす東京裁判の検事側に無批判で同調しているからです。

満州事変が起きた時、当時、国際連盟はイギリスのリットンを団長としたリットン調査団を送り込んでいます。
イギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・イタリアの五カ国から一人ずつになって調査をし、結果をまとめています。
結論は、「これはある国が隣の国を攻め込んだというような簡単な侵略とは言えない」としています。
当時の国際連盟ですら「侵略ではない」と判断しているのに、東京裁判は「侵略である」と結論付けようとしていました。
そして、それを立証するために満州国皇帝溥儀を引っ張り出してきました。
溥儀は、「満州国皇帝にはなりたくなかったが、日本人に否応なしに引っ張り出された」という証言をしています。これは、溥儀の本心ではなく、裁判になる前、ソ連に捕らえられて、反日の虚偽の証言をするように脅迫されていたと考えられます。

偽証してまで満州事変を侵略戦争に仕立てようとしたのは、東京裁判でほとんど裁くべき問題がなくなってしまうからです。

調査団によって「簡単に侵略とは認められない」と結論付けられていたのに、無理矢理、侵略戦争に仕立て上げようとしたところに、東京裁判のインチキ性がみてとれます。

リットン調査団は満州事変が侵略戦争ではないという根拠は、溥儀の家庭教であったイギリス人サー・レジナルト・ジョンストンの著した『紫禁城の黄昏』という本にあります。渡部昇一氏 参照

要約すると満州が混乱状態の中、日本人の後押しを受けて溥儀が戻ってきます。すると、満州族の皇帝が戻ってきたと歓迎されて、溥儀のもとにみんなが集まってきました。満州国が独立したのです。
溥儀は日本に対して感謝をしていたはずです。
リットン調査団の報告にも、日本の軍隊が後押ししなければ満州国は、成立しなかっただろうと述べています。
満州建国は侵略というものではなく、満州国の正当な皇帝が故郷に戻ってきたということです。

満州族の王朝である清朝はシナの土地を長い間支配しますが、1840年のアヘン戦争でイギリスに敗れ、独立は維持できたものの、不平等条約の凍結を強いられ、西欧列強によって植民地化しつつありました。当時、外国人にやりたい放題されて、民衆の不満が爆発、いろんな事件が起きましたが、反乱はすぐに鎮圧されますが、混乱に便乗してロシアの軍隊が満州に侵攻、全域を占領してしまいました。

しかもロシアは更に南下して北朝鮮に進行しようとしていました。
日本にとってロシアが北朝鮮に南進するということは、日本にとって重大な問題で、強大なヤクザが隣に引っ越してきたようなものです。
日本にとって何としても阻止しなければならないということで、日露戦争(1904〜1905年)が勃発しました。
日露戦争で勝利した日本は、1905年に結ばれたポーツマス条約によってロシアを満州の地から追い払い、満州を清国に返還しました。

日本に満州を占領する意図はなく、満州国をつくる手助けをしたにすぎません。満州の地を満州族の皇帝に返したというだけで、とても侵略と呼べるものではありませんでした。

ちなみに『紫禁城の黄昏』は、証拠として採用されませんでした。理由は、裁判官が証拠物件として採用したら反論の余地がなくなるからです。
満州事変の真偽を明らかにする第一級の証拠、『紫禁城の黄昏』は結局、採用されませんでした。

満州事変の背後には、コミンテルンの陰謀が見え隠れしています。
満州事変が侵略であると認定されたのは、溥儀の心変りが大きな理由です。当時の満州皇帝・溥儀の言葉が証明であるというのが、検事側の主張であると思いますが、溥儀の証言は全くのうそであり、背後にコミンテルンの動きがあったことが明らかになってきています。

東京裁判で満州国を日本の侵略にしようとしたことは、ジョンストンとリットン調査団の報告を無視した非常に独断的で一方的なものでありました。侵略と騒いでいるのは、コミンテルンと、コミンテルンの支持を受けていたシナ人達であります。

日本人は東京裁判の嘘を見抜き、日本人としての誇りを取り戻していくべきです。
そうしてこそ、日本人としての自信を持ち、世界に対しても正義を実現する力がでてくると思います。


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posted by ガンちゃん at 21:42 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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