ネタニヤフ氏守護霊に関しては、物事を二元的にとらえ、正義か悪かという善悪の価値判断を明確にし、悪と判断した場合、相手を徹底的に粉砕するとういう印象を最初に受けました。
日本独自の善も悪もない、あるいは善悪の価値判断がつけられずに優柔不断な立場ではなく、善悪に関しては、神の名のもとに白黒をはっきりつける。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教徒と民族によって神がちがうが、更に上位には至高神『エローヒム』が存在し、宗教としてちがう現れ方をしていますが、その源流は同じであると自分は理解しています。イスラエル首相の立場からは、確かに簡単に受け入れることができる真実ではないかもしれません。
もし、ユダヤ教とイスラエル教の神が同じ神であるならば、お互いに愛しあえるはずであるが実際には戦ってばかりいる。したがって現実をみるならば、ユダヤ教の神とイスラエルの神は別であると理性的に二分法で認識している印象を受けます。イスラエルが正義であるならば、対立関係にあるイランは悪であり、悪魔であるという理論構造になっているようですが、まったく悪に対して妥協しないで、徹底的に相手を粉砕するまで終わらない、そんな感じを強く受けます。
幸福実現党党首は、いろんな民族や宗教の神が存在し、企業間競争と同じように切磋琢磨している。そしてその上には究極の神がいるということを言われていました。
するとイスラエル首相は、神は競争をしない。神と悪魔だけが競争するのだ。そして我々は神に属するからイランは、悪魔に属することになると、単純に割り切った考え方をしています。
確かに神の価値基準には、善と悪の価値判断が明確にわかれており、その価値基準から善をとり悪は捨てていく中に個人としても、国としても発展していく道があるとは思います。
また、そこに住む民族の気質に合わせて宗教が説かれ、それが宗教としての多様性、あるいは違いとして現れてきたと思いすが、違いだけに目を向けずに共通する点や、不変性の部分を見抜いていかなければならないと思います。
一番かけている教えは、愛と慈悲と転生輪廻の部分であろうと思われます。多様な価値観、宗教的な教えの違いは有りますが、自分が属している宗教の教えの部分にない教義であっても、その価値を認めるところに愛の教えがあると考えます。
相手を理解したということは、相手を愛したということなので、正義という観点とは別に、愛や慈悲という観点からも他の国の宗教をみていく必要があると考えます。
あと仏教的な慈悲の考え方、転生輪廻の思想を知ることで、地上に生まれてきた意味が全く違ってきます。自分も真理の教えの中で、人間の転生輪廻を100%信じた時ほど喜びに満ちたことはなかったと記憶しています。
物事を善と悪というように二分して、悪に対しては粉砕するという考え方を超えて、転生輪廻に基づく愛と慈悲によって和解できないかと考えてしまします。
現在は、イラン人でも過去はイスラエル人であったかもしれないことを認識できれば、国や宗教の教えの違いによって単純に相手を悪と決め付けるのではなく、そこに相手に対しての愛の気持ちが芽生えるのではないかと思います。
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