サンガーについて考えてみます。
会社は、利益を目的として給料を従業員に支払うことにより、上司と部下の関係が成り立っていると思います。簡単に要約すると、従業員は給料をもらう立場にあるので、上司の命令を聞き、仕事を通して自分の能力を磨き、会社が発展することで社会に貢献しています。個人の努力によって、会社に貢献し、それが社会全体の発展につながるという点で、それを否定するつもりは全くありませんが、しかし、宗教団体に、あるいは聖なる団体に、その考えをそのまま適用するのは、問題があるのではないかと思われます。
我々がサンガーに集うのは、主に対しての信仰心と、そこに集う人達の信頼関係で基本的には成り立っているのではないかと思います。
もし、サンガーの中で、リーダーとしての立場に立たれている方で、会社の上司のような気持ちで、他の人に命令したり、命令といわないまでも、上からの目線で話したりするような態度をとったりしたら、言われた会員はどのように思うでしょうか。
例えば、リーダーがいろんな行事なり、なんなりをお勧めしたとします。これは、善悪の価値判断からいえば、善であるでしょう。しかし、本当に相手の立場にたったお勧めなのかどうか、振り返る必要があるのではないかと思います。
意外と念の力で押し切って、相手に断れない雰囲気を作り出し、無理矢理に勧めているかもしれない場合があるのではないでしょうか。
これは、勧めている本人はなかなか気がつかないという弱点がありますが、一度、このような体験をされた会員さんは、理由はどうであれ次から支部に行きづらくなるのではないかと思います。
また、ある会員さんは自分のできる範囲でサンガーの為に、何かをしようと努力しているにも関わらず、今は○○が大事だからそんなことより、○○をしなさいと、相手のやる気を一発でなくしてしまう発言をする人を見かけたりします。
たしかに、リーダーになる人は、陰で大変な苦労をされていることは、知っていますが、だからと言って、言葉一つで相手のやる気を一気になくすような話し方をするのには、問題があると感じます。
やはり基本的には、自分に厳しく、相手には優しく寛容にという心が大事であると思います。
サンガーは会社組織と違って、会員同士の信頼関係で結ばれています。
信頼関係が築かれていないうちに、リーダーという理由で、相手に対してたとえ正論であっても、上から命令するような配慮のない言い方は、信頼関係を失っていく原因になるでしょう。
『信仰と情熱』には、次のように書かれています。
「真理の書籍を読み、各種の行事に出、また自らも講師なり、さまざまな指導者なりになろうとして努力している人であって、その心奢らず平静であって、そして仏神の心を己の心として生きているときに、その体からは必ずや淡い光がでているのです。
そうした人の特徴は、合った瞬間に、柔らかい温かい感じがするのです。おのれ自身の自覚のもとに厳しい修行を為していることとは別に、他の人に対しては、柔らかい優しい光がでていることが特徴です。」と書かれています。
もし、自分自身がそのような優しい感じのする雰囲気をまとっていないようであるならば、たとえリーダーであっても他の会員の人達に対して、礼の気持ちをどこかにもっているべきではないでしょうか。
周りの会員さんは、なかなかその人の問題点や不愉快に感じていることを話してくれません。本来は、その人の間違いを、愛の心を持って指摘することは大事なことであると思いますが、実際は、なかなか相手の問題点を指摘するのも勇気がいりますから、周りの人は教えてくれないと思ったほうがいいかもしれません。それゆえに、反省が大事であると思います。
自分自身もうぬぼれることなく努力精進をしていきたいと思います。
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