2012年01月15日

[HRPニュースファイル151]野田改造内閣で消費増税推進が鮮明に―消費税増税が国民生活を直撃する!

[HRPニュースファイル151]野田改造内閣で消費増税推進が鮮明に―消費税増税が国民生活を直撃する!

野田首相は昨日、就任後初の内閣改造を行い、13日、野田改造内閣が発足しました。参院の問責決議を受けた一川防衛相、山岡消費者担当相や、蓮舫行政刷新担当相などの問題閣僚を更迭した形です。

しかし、北朝鮮が11日午前、日本海に向けて短距離弾道ミサイル3発を発射するなど、日本を取り巻く安全保障環境が悪化する中、「素人」防衛大臣だった一川氏に代わって、新防衛大臣に就任した田中直紀氏も「防衛の素人」であり、「素人の次に素人」を持ってくる野田首相の「防衛軽視」は大問題です。

田中直紀氏は政治家としての力量の評価も低く、奥様の田中真紀子氏は大の親中派です。奥様の恫喝にも頭が上がらないような弱腰の直紀氏が、中国・北朝鮮の恫喝に渡り合えるのか疑問です。野田首相の内閣改造は消費税増税のために「問題隠し」をしたに過ぎません。

また、野田首相は、副総理兼社会保障と税の一体改革・行政改革担当相として岡田克也民主党前幹事長を起用し、消費税増税を含む一体改革への「不退転の決意」を鮮明にしました。

岡田氏は菅前政権当時の昨年6月に税と社会保障の一体改革案取りまとめに尽力し、野田首相の信頼も厚く、「消費増税法案」の通常国会提出を強力に推進する狙いがあるものと見られます。

私達は「消費税」という税制そのものに潜む問題から目をそむけてはなりません。

今、大メディアは政府・官僚と一体化して「翼賛メディア」を形成し、「大増税ファッショ」の道を歩んでいます。

この流れの中で、消費税増税により被る中小零細企業の痛みを報道する大メディアはありませんが、週刊誌レベルではそういった声が紹介されています。

「お国のために増税を我慢してくれ?バカいわないでくれ。われわれは消費税分はいりませんと値引きしてやっと商売ができる。それが8%や、10%になれば、もうかぶることはできないから廃業だよ。現実が見えているのか」(地方の商工会役員;週刊ポスト1/27日号)

消費税には他の税目と比べて、際立った特徴があります。国税庁が発表した2010年度の税金の滞納状況を見ますと、2010年度に発生した国税の滞納額は全税目で6,836億円となります。

この内、消費税の滞納額は3,398億円で、なんと50%を占めています。ここ13年ほど、常に消費税の滞納額がトップです。(国税庁「平成22年度租税滞納状況について」⇒ http://p.tl/GER6

また、中小企業庁が2002年に実施した調査によりますと、売り上げ規模が小さくなればなるほど、「価格に消費税を転嫁できない」と答える事業者の比率が高いことが分かります。

売上3000万円以下の事業者の、なんと52%の事業者が「完全な転嫁はできない」と答えています。そして30%の事業者が「ほとんど転嫁できない」と答えています。(斎藤貴男著『消費税のカラクリ』講談社現代新書)

すなわち、消費税が増税された場合、立場が弱い中小企業はその分、価格を上げることができず、消費税分を自分達でかぶらざるを得ないのです。

今回のように、デフレ不況の中で大増税を行った場合、中小企業の倒産・廃業が相次ぎ、自ずと失業率も上がり、自殺者が更に増加することが強く懸念されます。

97年の橋本内閣による消費税増税によって、失業率は97年には3.4%だったのが、翌98年に4.1%に上昇しています。(社会実情データ図録「失業率の推移」⇒http://p.tl/BvTB

また、自殺者の数は97年には2万3千人台だったのが、翌98年には一気に3万1千人台に跳ね上がりました。(同上「失業者数・自殺者数の月次推移」⇒http://p.tl/yZRQ

景気と自殺者数の関係は数量的にはある程度わかっているといわれます。

高橋洋一氏によると、マネー伸び率10%以上を継続すると、名目GDPは5%程度アップして、自殺者は2000人以上減る、と試算されています。(高橋洋一の民主党ウォッチ「民主党の経済政策では『自殺減らない』」⇒http://p.tl/hN8H

また、消費税には「仕入れ税額控除」という制度があり、消費税の支払いは、仕入れで支払った消費税を控除できるため、正規雇用から控除対象となる非正規雇用への切り替えを促進します。

消費税を10%まで増税したら、ますます非正規雇用が増えることは間違いありません。

このように、消費税増税は、中小零細企業に打撃を与え、倒産・廃業が相次ぎ、国民から雇用の機会を奪い、自殺者数を一気に増大させます。

野田政権、財務官僚、大メディアが「国民の痛み」を全く無視し、大増税ファッショの道をひた走っています。

これこそ、「国家社会主義」への道であります。(参照:2/18発刊『国家社会主義への警鐘』(大川隆法著、幸福実現党発刊)⇒http://p.tl/C9UO

幸福実現党は野田・民主党政権を早期に解散・総選挙へと追い込み、消費税増税を食い止めると共に、「国民政党」として、国民の幸福増進のために「経済成長戦略」を実現して参ります。(文責・加納有輝彦)
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posted by ガンちゃん at 02:04 | Comment(0) | 幸福実現党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月14日

ガンちゃん;神の御心

神の御心

「ルソー・カント・シュタイナー霊性と教育」の感想的な内容になると思います。
ルソーやカント、シュタイナーの生前の著書は何冊か読ませていただいて、どこまで理解できたかは別にして、大変勉強になったので、霊天上界に帰られてからの思想が学べることに感謝します。

ルソーの「自然に帰れ」という言葉を、表面的理解で解釈すると、子供は教育しなくても自然に育つとか、現代文明を否定して原始時代に戻れとかそのような受け止め方をされてしまいます。
それは、仏教的には「無我」という思想を我が無いということで唯物論的に死ねば何もかもなくなるといった、ほとんど何も考えていない解釈になってしまいます。
本来の意味は、子供たちが持っている隠れた才能や光りの部分、輝きを引き出しながら、かつそれを磨きあげることが教育者にとって大事なことである。また、その素晴らしい輝きを現代的な間違った価値観や唯物思想、宗教は悪といった考え方によって傷つけてはならない。「自然に帰れ」とはそのような意味であり、観念論哲学や仏教に通じる考え方であると思う。
また、「一般意思」についての考え方、説明として神の意志が確認できないときのものと限定付きで説明しています。仏や神の言葉やおこころが説かれている時は、当然それに従うべきである。しかし、いつの時代でも仏や神の御言葉を聞けるわけではない。
その時代に神の意志を確認できなければ「国民が全員で社会契約を結び、合意された意思が『一般意思』として神に代わるものとなり、国民全員が従ったほうがよいであろう。この世的なことは、この世の人達が議論することによって意思あるいは、向かうべき方向性を決めながら、それに従う」といった説明をされていたと思います。
ただ自分が思うには、国民の合意によって一般意思を形成し、それに従うには、はずしてはいけない前提条件として、国民一人一人が神仏に対しての畏敬の念、信仰心を持ち自助努力の精神を持っていることが条件として必要であると思う。その部分をはずすと、すぐに衆愚制に落ちてしまうと思う。

カントは「神の意志を『理性』として仮定し、とらえようとした」と述べられていますが、ルソーと同じでやはり限界があり、直接、神の心そのものをつかむことはできなかったと言われています。
カントは、あの世を学問の対象にしないといわれていますが、逆説的に学問の対象としないということ自体が前提条件としてあの世があることを認めたうえでの考え方になっているものと思う。

しかし、カントの生まれた時代背景を考えて思想を理解しようとしないと見誤ることになると思う。
中世からの脱却ということで、中世の暗黒的な側面として魔女裁判や火あぶりなどがあり、これらを切り離なさなければ、学問の自由を得ることができなかったと述べられています。中世にはジャンヌダルクやアウグスチヌス等、素晴らしい方はいらっしゃいますが、歴史だけを勉強すると魔女裁判等が強調されてしまいます。
宗教を学問の対象外にしたということは、宗教を否定したという意味ではなく、学問の自由獲得の為であったと理解できます。
霊肉二元論について、「デカルトは霊能者であったにもかかわらず、後世の人々はデカルトの霊肉二元論を都合のいいように使い、自分たちのわからない霊の部分を排除してしまった。」と述べられていますが、思想は、一部分をとってくればどのようにでも解釈が可能になってしまう。
やはり、前後の関係や、全体的にみて判断しないと個人の都合で全く違った意味に解釈されてしますので注意が必要であると思う。

シュタイナーに関しては、勉強ができる、点数の高い人たちが利己主義に走っていることに対しての危険性を言われていたと思う。勉強ができるということが、他者に対して自分の方が偉いと慢心し、また、収入が他者より多いという、そのようなことの為に勉学が使われていることに対しての危険性を指摘した内容であったと思う。あるいは警告の書とも受け止めることができる内容であったと思う。
やはり、勉強ができる、努力したということが利他につながっていかなくてはならない、その点が大事であると言われています。

国家が教育権を一手に握るという全体主義的な洗脳の危険性を指摘しています。現代のように教育現場が自治体のようになっていると、やりたい放題で子供のことより自分自身の立場をどのように守るかということに関心がいく危険性があると思われる。
もし、国家レベルですべての教育を一元管理したらどうなるのであろうか。
それは全ての子供達を一律にきりそろえたことになり、長所、短所を無視した、個性を殺した教育になるのではないかと思う。
ルソーが指摘したように、子供が本来持っている輝きに傷をつけるのと同じことになる。
全体主義のように競争や切磋琢磨がない世界は停滞と堕落をまねくことになる。
国家自体がまちがった場合、その害悪は計り知れないと思う。

シュタイナーは「国家社会主義は教育の世界において、すでに実現している」と指摘しています。国家自体が唯物論、無神論であれば、国民全体が精神病院に収容されているようなものだ。真実を嘘だと教える。逆に嘘を真実だと教える。」それを国家管理でやられたら逃げようのない『収容所列島』で現実に日本はそれに近いものがあると言われています。
これは大変なことだと思う。シュタイナーの視点で見れば日本は完全に間違った方向性に国家が運用されているように見えるということで、子供たちに及ぼす害悪は計り知れない。

人間の本質が霊的存在であるからこそ、仏神に近づいていく可能性があり、磨けば光輝くダイヤモンドがあるからこそ、教育に意味があると考えます。

この世の合理思想が、小さな箱庭のルールにしか見えないとも言われていましたが、地上ではある程度客観性が成り立ち、物事を合理的に価値判断できる世界であると思う。しかし、霊的世界はおそらく、客観性などなく、すべてが主観的な世界であるがゆえに、どういう世界なのか説明するのが難しいのではないかと思う。
全ての霊人の心の中で展開している世界が、現実のものとして現象化してくるのであるから、理性的に判断できるわけがないかもしれない。


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posted by ガンちゃん at 20:33 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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