総裁先生のご法話を、メール転送やブログ転載することは控えてほしい、との方針があることを知りました。
それに関して、自分の考えを書きたくなり記事にします。
その方針に対しての批判ではありません。あくまでも幸福の科学の教えが広まっていくためには、各個人として、どのように活動に参加するべきかという問題と、今の自分には何ができるのかという現実問題です。
方針というのは、以下のような趣旨です。
「総裁先生が法話内容をメールやブログなどで、情報としてだけ聴くことをとても憂えている。
単に情報として知るだけで済ますのではなく、やはり支部や精舎に実際に足を運んで、主の言魂を直接拝聴するようにとの、講師の方からの注意があったとのことです。 なので、ご法話を、メールやブログなどで公開するのは、お控えください、とのこと。」
と言った内容であったと私は、理解しています。
信者のブログには、ご法話の内容を記事にしているところが、確かに多数あります。
しかし、それらのブログ記事が、ご法話内容を、単なる情報としてのみ右から左に流しているとは、思えない内容で、記事を通して支部や精舎に直接行くための、きっかけを作ってくれていると思える部分もあるかなーと思って読んでいます。
確かに総裁先生の御法話を情報としてのみ受け取って、支部や精舎に行かないというのであれば問題ですが、実際は行きたくても行けない理由というものがあり、それは各個人色々あると思うが、記事を読んで逆に支部や精舎に 行きたいと思った会員の方もいるので全面的にブログ転載を控えれば良いとは現時点では思えません。
こうした信者たちのブログ記事の内容を読んでみると、御法話に行くためのきっかけづくりとしての発信として読めるので、単純に情報を流したとは思えないと私は考えています。
もし、ブログやメールでの情報提供が会員数の減少につながっているなら問題だと思いますが、支部や精舎に行く人の数がもし増えていないのであれば、それはブログやメールが原因とは限らずに、他にもさまざまな問題点があるのかもしれません。
今の現代社会でメールやブログを否定したら、情報戦で勝つことは難しくなるのではないでしょうか。もしブログ転載などを控えた方がいいと言うのなら、その代わりになる案が必要なのではないか、と私は思います。
確かに、理想としては直接足を運んで聞きに行くべきだと考えますが、行けない人もいろんな理由により、行けないのであってその辺の理由なり事情も斟酌してあげる必要があるとも思います。思いや信仰心が弱いという、信者自身の問題もあるかもしれませんが、仕事や家庭との、信仰生活の両立、それはそう簡単に一朝一夕に実践できるものではないので、その修行過程においては、ある程度の準備段階なり、個人個人の事情に合わせた配慮や理解をもってあげることも、また必要なのではないかとも思えます。
それから、基本的には直接いろんな方とお会いしてお話しするべきというのが、むろん本来の宗教のあるべき姿だとは思いますが、だからといって、それがインターネットを否定する根拠にはならないと思いますし、ブログ信者は自分なりに、どのような記事にすれば、多くの信者の方が支部や精舎に直接、御法話を拝聴に来てくれるかを真剣に考えて記事にしているので、これを全面的に控えた方がよいといった方向性は、自由主義の在り方には適っていないのではないか、とも思えます。
新たな方針における、本来の伝道の姿に立ち返るべき、という精神にきちんと立脚しながらも、やはり単なる指示待ち人間になるのではなく、在家信者の方からもアイデアがあれば、どんどん提案できるような自由なカルチャーを育成していけたらなぁ、と思います。
それと、一般会員と本部講師や幹部の方々との距離が少しあるのかなーという感じは受けました。
会員数が増えるほど、情報の食い違い等によるトラブルなどが起きるのではないかと考えられるので、今後の課題の一つかなという印象を受けました。
分を超えた発言とは思いましたが、現時点での自分の考えを正直に掲載してみました。
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