2011年10月26日

ガンちゃん;食べ物と霊的作用

食べ物と霊的作用

我々の周りにある植物や鉱物は科学的には、分子、原子でできている物質であると認識されますが、実は一段深いところから観察するとすべては、霊的なものの表現、霊的エネルギーが顕在化した状態です。
物質の背後には霊的なものが存在します。

人間は肉体だけの存在ではなく、手で触れ、目で見ることができる肉体は人間の本質からしたら、ほんの一部でしかありません。肉体の内に宿っている超感覚的なものこそが高度な現実性を有していると言えます。人間は死ぬと肉体が諸行無常の法則で崩壊に向かいますが、地上に生きている間は、霊的存在が肉体の崩壊と戦っています。

自分の体験から霊的な方向に自分が変化すると、食べ物も変わってくることを感じます。青年時代はやはり肉食が中心だったと思いますが、年を重ねていくと不思議と肉よりも菜食に変化してきたなと感じます。人間は普遍的な方向に関心を持ち努力を続けると菜食の方向に行くそうです。根拠はありませんがいろんな本を読んでいるとそのように感じます。共感や反感を持ち、感覚的な情熱を持つ人間がいるのは肉食が原因であるとのことです。
ただ、霊的な感覚が出てき始まると危険な面があることも注意が必要です。霊的な感覚が磨かれてくると、霊的な音が聞こえてきたり、声が聞こえてき始めるという現象が起きてくると思いますが、心の修行がしっかりできていない状態で、そのような声に耳を傾け始めると危険であると考えます。真実、霊的世界に参入している人、そのような修行を積んでいる人は、人に対して声をかけてくる霊は高級霊よりは低級霊といわれる存在の方が、圧倒的に多いと知るべきで自分に対して非常に厳しくみつめる態度が大事であると教えています。

一般的に言われていますが、食べすぎは体に良くないです。これは自分の経験からしても、食べすぎない方が新陳代謝に良いような気がするし、毎朝お通じもいいかなという気がします。食べる量が少ない方が毒にならないので、よく栄養が摂れるということがしばしばあるようです。

アルコールに関しては、第一に人間の思慮分別、人間の心のいとなみに関係してくるそうです。これも飲みすぎた場合であって適度なアルコールは飲みたいなと思います。中道をこえて飲みすぎると、女性の場合は、人間の中にある地上的なものが崩壊に向かい、男性の場合は、周囲にあり人間の内にある動的、空気的なものが崩壊に向かうそうです。つまり、自分自身の内的なものが破滅に向かい周囲に対しても崩壊する方向に向かうということだと思いますが、お酒に関しても中道が大事であるということだと思います。

ただ、これは唯物論的に考えて物質が精神を規定しているということではありません。そもそも思考をしない人が野菜ばかり食べても、本質的なところはあまり変われないと思います。もし物質だけが活動するならば、牛肉や豚肉を食べたならば、人間も牛や豚の性質を受け取り、豚や牛に近づいて行くはずです。

一般的に精神生活をし始めると、肉食ではなくなってくるそうで、肉食を禁止するというよりは、健全に進化した本能が肉食を寄せつけなくなるということのようです。(肉食を否定しているわけではありません)

コーヒーに関しては、論理的な首尾一貫性を物質的に要求するようで、コーヒーを飲むことによって、事実に即した首尾一貫性を引き出すとのことです。
自分の経験からしても、ちょっと無理して難しい本を読んだり、考え事をしたりするときは、結構コーヒーを飲みながらの場合が多いと感じています。
コーヒーを飲むことで精神集中ができやすいかなと自分的には思いますが、個人差があると思うので一概には言えないと思いますが。
逆に紅茶は、精神を集中する方向とは反対に、精神を解放させる働きがあるような気がします。
紅茶を飲みながらご婦人がお話をしている姿をよく見かけますが、ご婦人がコーヒーを飲みながら話に夢中な姿はあまり見かけないような気がします。

これはあくまでも趣味の範囲なので、すべての人に当てはまるわけではありません。


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posted by ガンちゃん at 02:27 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月23日

ガンちゃん;ブログの影響力と優しい心と慢心の気持ち

ブログの影響力と優しい心と慢心の気持ち

『現代の法難C』を読んで感じたこと及びブログで注意するべき点など思うことを書きます。
これは、自分に対しての戒めと注意すべき事柄を含んでいます。
ブログで注意するべき点は広範囲に影響力が及ぶと言う点で、誰が読んでどのように感じているかが不明な点であると思う。悪意がある人が読んだ時、その内容の記事を悪用しようと思えば簡単に出来てしまうということです。また、記事を書く人の心に中に慢心の心があり、自惚れの心で記事を書いた時にも同じように悪影響が計り知れないところがある点で、ブログは便利であると同時に怖い点をも含んでいます。

心に慢心の気持ちがあれば、記事の内容にもその気持ちが表現されている。現代の法難Cであるように、その人自身がどのような人であるにせよ、自分が他の人より特殊な人物で普通の人より立場が上であると思いみや誤解をしていたり、周りに対しての影響力があるほど悪魔に狙われる確率が高くなる。ましてや自分が他の人より偉いと思いあがり、菩薩や天使だと思いこんでいたら、簡単にやられてしまう。
本人は聖母かマザーテレサのように聞こえてきた声を何のフィルターにもかけずに神の声と信じて行動に移したかもしれないが、理性的な判断がないと操り人形になってしまう可能性があり、他人事ではなく反面教師として学ばなければ危険であると思います。

声が聞こえたぐれいの霊現象であれば、経験している人はかなり多いのではないかと思うが、基本的に相手の気持ちが理解できる、あるいは理解しようとする優しい気持ちがなければ霊的な現象も本人にとってはマイナスでしかないと思う。
三次元は、物質世界としての意味があり霊的世界のように思うように自分の考えや環境が展開していかない点で霊天上界の視点からみれば不自由な世界であると言われていますが、逆になかなか自分の思うように自己実現できない世界だからこそ、その中でいかに自分自身の心や行動を統御しながら、他人に対して優しくなれるかが修行であると思う。

本で読んだことがありますが、人はある時、他人に対してかわいそうに見えるときがあるとのことです。それは、相手を自分より低く見るわけでなく、見下したわけではなく、いろんな辛いことや悲しい出来事を乗り越えて家族のために頑張っているのだなとフッと感じることがあるからです。
やはり自分も体験したことですが、夜遅くそば屋に食べに行くと作業着を着たおじさんが、そばを食べている姿を見て何となく、かわいそうだなと感じた経験が何度かあります。(相手を見下したわけでは、もちろんありませんが)
結局、三次元に生まれてくる意味の一つは自分が体験した苦しみや悲しみを、その経験を通して人の気持ちを理解できるようになるということにあると思う。(口先だけではなく)
もし、優しい気持ちがあれば、自分は他の人に比べて偉いとか、上から目線で見たり話したりしないと思う。

ブログの話に戻りますが、ブログの対象は不特定多数であるために影響力が一昔前に比べると、自分が感じ取っている範囲を大きく超えて他の人たちに影響を与えるので、その辺を自分も含めて良く考えなければいけないと感じています。

少なくともブログに記事をUPする場合はどのような影響があるかを、ある程度想定しながら書くべきだなと『現代の法難C』を読んで感じたことです。





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posted by ガンちゃん at 01:47 | Comment(2) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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