2011年07月30日

ガンちゃん;愛を与えるといこと御法話論点4

今回で「愛を与えるということ」御法話論点は最後です。

「愛を与える」ということが幸福の科学の原点

愛を与えることは、相手の幸福を願うこと

仏の心や神の心に合っているかどうかを知りたければ、自らの生活、生き方を振り返ってみること。身近に接する人々に、愛を与える生き方をしているかどうかを考えてみたら良い。
人は誰でも幸福になりたいと思う。幸福になりたいと思うから人から愛してほしいと思う。しかし、他の人も愛が欲しいと思っている。しかし、欲しいと思っている人ばかりでは、愛は少しも増えはしない。
人から多く愛された人は、その愛をまた他の人に与えていくことができる、また、人に愛されなかった方も奪う愛に生きるのではなく、人を愛していくならば愛されるようになる。それは他の人を幸福にしたから。人々を幸福にするということが、一人一人が最大に輝き幸福なることである。
抽象的で難しい話になると分からなくなるが、いつも原点に帰って、愛を与えるとはどういうことなのか、自分は愛を与えて生きているか、毎日反省すれば簡単に分かること。難しいことではない。
与えたことは数少なく、奪ったことは数多い。更に奪いたいと思っている人が、人間のほとんどの姿。この奪いたいという心が実は、煩悩、欲望という言葉で表わされるもの。

成功するほど欲をすてる

生きている以上、欲望そのものは無くならない。欲望を他の人々が生きる方向に合わせていくことが大事。また、大いなる放棄も大事。欲望を捨てることで幸福になるのも仏教の教えの一つ。
個人としても団体としても、大いなる成功を捨てるほど、欲を募らせるのではなくて、より素晴らしいもののために自分は何ができるか、さらに何が捨てられるのかを点検しなければいけない。
欲に欲が重なって自己愛に生き、そして奪う愛に生きるようになっていくのが人間の煩悩である。欲望が悪い方向に固まって繁殖すると煩悩になる。
煩悩は煙のようなもの。炎が燃え上がる以上、煙をなくせないが、そのまま肯定するわけにはいかない。
煙をよく取り除くのと同じように、煩悩を取り除くこと。欲が過ぎたら捨てる。それが大事
「愛を与えるということ」について話をしてきました。常に原点に回帰する心を忘れないでほしい。

以上

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posted by ガンちゃん at 01:57 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

ガンちゃん;レッツ霊能者を読んで・・・

奄美のアマミちゃんのお気楽ブログをのぞいたら、美しい主婦の写真入りの素晴らしい記事が載っていたのでちょっとだけ転載させていただきたいと思います。

面識がないので突然、失礼かと思いますが、何か不都合なことがおきましたら、ガンちゃんで責任をとります。

以下↓

http://amamikyo.amamin.jp/e131772.html

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そもそも霊能力というものは自分の感性・認識力の延長線であり、霊能力(自分)というものを過信していたら簡単に魔道に墜ちる。自惚れの強い私がそんなものがあったらあぶねーあぶねー。

自分が見えてる世界が客観的な霊的事実だともかぎらないのに、「自称●●の神」とかが見えたらとびはねて
喜びそうな単純お馬鹿さんな私は、邪教系の動物霊(修行してた元人間)のいいエサだ。生前ある程度念力修行をつんだ霊は幻術もつかう。それも見破れない私に霊能力はいらない。

ご神仏とつながる力は、相応の実績(利他行・自戒)がなければ分不相応になる。分不相応とはどういうことか。

ちがう形でなんらかのものが代償となるということだ。

世の中はすべてバランスでなりたっている。分不相応というものがいかに怖いか、ノータリンな私でもわかる時点で「自分の過去世は有名人」「自分の守護霊は神格がある」とか末恐ろしい事など絶対に望みません(笑)

つくづく平凡なパンピーが一番だ。霊能力にあこがれるミーハーくらいな人生で、主を信じ、ご神仏を敬い、教えを学び自分の人生を整理しつつ周りに感謝する。これで充分だ。


隊長の祓いなどを聞いていると、霊能者の仕事というのは、「霊能力をつかったカウンセリング・交渉」なんだと思う。

それは相手を見抜くことであるが、その基本は「自分を見抜く」ことだ。

霊術・交渉術という「だましあい」のなかで相手の出方を見抜くには、つねに研鑽を重ねつつ内なる誤魔化しを見抜くことが第一であり、同時に、神仏との絆を深めて「神仏の目(道理)」を自分と一体化させることだろう。しかし「神仏の目」も、自分を見抜く研鑽がなければいただくことはない。

ここが、「神仏とのご縁(信仰)をいただく」ということの重要な部分であり、霊的な世界において「神々の加護をいただく」ことは「内在する智慧=天上の目」を得ることでもある。

自分を見抜く研鑽を「下座」といい「反省」という。これを身につけていない「自称霊能者」は、すべてある特徴があるのでわかる。特徴はおしえてあげない(笑)

やはり「信仰を深め徳をつむ」ことだと思う。これが霊能力という名の救済力の王道ではないだろうか。

相手の痛みがわかり、相手の苦しみがわかり、そこに適切なアドバイスができ、その実績を自分のものとせず神仏に感謝し、いただいた加護に感謝する。

その徳ある救済力は、人をこえているという時点ですでに霊能力ではないかと思ったりする。



以上ですが大変勉強になりました。

感謝(合掌)

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