2011年05月31日

ヘラトリ・トピックス第23号!

『世界の目を醒ます
ヘラトリ・トピックス』
(第23号)



『日本のピラミッド』
(その1)


(本稿は、2011年5月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)


 皆様こんにちは。本日はようこそ、北海道正心館にお越しくださいました。今日は、映像をふんだんに使って、映画館か視聴覚教室のような雰囲気で始めましょう。
最初に、このテーマの全体像を掴んでいただくために、最近の御法話である
『天之常立神(あめのとこたちのかみ)の霊言』
から、一部抜粋を拝聴していただきます。
 今日のテーマは、ヘラトリ(私)にとっても、新しい分野の開拓です。
日本神道というのは、過去に遡ろうとしたときに、他の宗教に比べて、歴史書が整理されてこなかったこともあって、解明が難しいと言われています。
たとえばユダヤ・キリスト教の旧約聖書と比べてみても、日本神道の正統な経典は「古事記」と「日本書紀」のみで、それ以外は異端とされてしまっているために、よくわかりません。
古事記はご存知のとおり、「水滴がボテッと落ちて淡路島になった」とか、そういう表現で、それを解明しようと日本開闢(かいびゃく)以来の神々のリーディングを録っても、余り正体を明かされないようです。
実は、
「日本神道系の神様は、全て宇宙人でした」
ということになると、神社本庁はじめ、今の日本神道の枠組みが崩壊してしまうので、「それを明らかにしていく度合い・タイミング」は、私たちの伝道の広がりとの兼ね合いがある、ということなのですね。
そういう状況を睨みながら、神道関係者を過度に刺激することなく、そうは言っても「真理は普及したい」ですから、今日は、
『日本のピラミッド』
という、「微妙ではありますがキャッチーなネーミング」を付けて、「くせ球で勝負しよう」というのが趣旨です。
『黄金の法』にありますように、約2800年前に天之御中主之神が降りられて、ある意味で、(天皇家の肉体先祖としての)日本が始まったのですが、
「それ以前にも、かなり高度な文明があったらしい」
ということが、最近のリーディングでわかってきています。
ただ、
「今の天皇家以前にも、天皇の歴史があった」
と発言することは、戦前なら不敬罪(打ち首?)に当たるでしょうから、そういう議論は、なかなか日の目をみることはありませんでした。
しかし、色々な方のリーディングの中で、
「今の日本の正史以前の高度な歴史・文明の中には、かつてのムー大陸からの流れもあったが、それ以外にも、宇宙をルーツとする文明文化があった」
ということも判明してきていて、それが"こしきゆかしき"日本神道の流れからすると、「ついていけない話」になってしまうわけです。
そこでは、様々な文明、天文学や測量学などの学問が降ろされ、高度な鉱工業が発達し、
「エジプトとほぼ同時期と思われるようなピラミッドも存在していた」
というリーディングが出ており、これは、ある種の考古学的研究の成果とも、後述するように、合致します。(学界の主流派は、顔を真赤にして否定していますが。しかしそれは、どの学問分野でも同じでしょう。)
最近のリーディングの中で、特にこの事実を体系的に説明して下さっているのが、天之常立神です。
「数千年前の日本にもピラミッド文明があった」というのですが、一説によると「国内には3000もあった」とも言われています。
人間によって、人工的に造られたピラミッドでしたが、その後、長きに渡る自然現象などにより、木が生え、今では三角の山にしか見えないものが沢山ありますが、その中には、「本当はピラミッドだったものがあった」というのは、以前より、一部の専門家からは、指摘され続けていました。
それでは『天之常立神の霊言』より一部抜粋をご覧いただきます。

(レジメでは省略)

これにより、はっきり分かったことは、
「私たちが認識している正史より前に、3000〜6000年くらい前に興隆期を迎えた高度な文明があった」
という事実です。それはピラミッドに象徴される文明で、数多くの学問が降ろされたのですが、当時の大津波を伴う天変地異によって、海辺を中心とした人々がすべて水に流され、
また文化的にも、その後大陸から漢字が入ってきたことによって、かつて使われていた「古代文字」が消滅し、文明・文化の証拠そのものが無くなってしまったということです。
にわかには信じ難いと思いますが、これは天御中主之神(宇宙のプロテクター)
や天照大神、国常立之神などの霊言によって、積み重なって明らかになってきた真実で、「それらの神々が、元は宇宙からの来訪者であった」ということと併せて、今後徐々に明かされていくと思います。



最初に発見されたピラミッド(広島)



「日本にかつてピラミッドがあった」という研究は、かなり以前からなされていて、最も古いものは、1934年(昭和9年)に発表されています。
日本で最初に、「ピラミッドだった」と言及された山は、広島県にある葦嶽山(あしたけやま)です。(ここで山の画像が上映される。)
見るからに三角形です。日本のピラミッドの特徴は、頂上にストーン・サークルとかストーン・スクエアと言われる「石の祭壇」のようなものが造られていて、おそらくそこで、神降ろし(&UFOとの交信?)が行われていたものと思われます。
発表された当時には、山頂に祭壇のようなものがあったのですが、今現在は破壊されていて、はっきりとした形跡が残っていません。
なぜ破壊されてしまったのでしょうか。この辺りから、歴史とリーディングの面白い関係が始まります。
(「その2」に続く)


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posted by ガンちゃん at 02:20 | Comment(2) | 幸福実現党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ガンちゃん;善悪の価値判断と責任感

破邪顕正を拝聴したときに感じたことを書いてみます。

以前は、邪教と唯物論、どっちが最悪かと考えていました。自分の中では邪教だろうなと考えていましたが、今は唯物論の方が人間を間違った考え方に導く思想だなと思っています。

ある程度、理性的な人であれば邪教にだまされることはないと思います。つまり邪教に間違ってはいる人の数はそれほど多くないと思われます。

しかし、唯物論的な考え方は一見すると知的装いをして来るので、多くの人が騙されてしまいます。科学、医学、哲学など根底に物しかないと考える唯物論的思考は、それが誤りであるということが、信仰心、正しい宗教的観点からでないと見破れないという難しさがあるなと思います。

また、考え方の基礎に唯物論があると自分にとって、この世的な損得しか考えていないので責任を取らない、責任を誰かのせいにする、自己責任と言う考え方がまったくできなくなります。

また、自己責任がないということは、善悪の判断をしたがらない。判断をした結果に対して責任が生じるから、曖昧な言葉や、判断に伴う行動が遅い。
もし、こんな無責任で卑怯な人間が国のトップになった時、日本はどうなるのだろうか。アメリカのオバマ大統領も基本的考え方は、左よりだと思いますが、今は、善か悪か、神の正義かどうかと言う考えをもって判断を下しています。

物しかないという考え方から、神の正義とは何かと、正しさとは何かをうちたて、それに基づいて判断し実践するという方向にはいかないであろう。

善悪を判断することは知恵の始まりと教わっています。

日本人は、正しさについて理解し、求めようとしないといわれていましたが、根底には責任を取りたくないという考えがあるのかもしれません。

善悪の判断ができ行動に移すのは勇気がいります。

プラトンは、ラケス(勇気について)の中で勇気とは、「思慮ある忍耐強さ」と述べています。

神の正義がどこにあり、神の視点から善悪の価値判断をして思慮ある行動に出ることが真実の勇気であると思います。

真実、信仰心をもち、神の正義とは何かを常に考えながら価値判断を下し、勇気ある行動にでることが、自分を含めたすべての人に求められる行動原理かなと思います。

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posted by ガンちゃん at 02:06 | Comment(0) | 御法話拝聴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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